Swingy days Enjoy! Open!! Swing!!!

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ドラマチック1970
1970年。
我が父・ヒロユキ29歳、我が母・ミユキ20歳。
京都で働き京都で出会い、京都で暮らす、
父、母、ああ懐かしの恋人時代である。

この年、猫も杓子も万博、万博、世のカップルたちはこぞって大阪へ。
しかし折悪しく、若いふたりは喧嘩中。
万博へは行きたい、けれどお互いムカムカ、まだ仲直りには程遠い。
…そこでふたりはそれぞれが別の男性、女性を誘い、
別々に万博へと向かったのであった。

「当てつけ」合戦である。

父が誘ったのは会社の同僚であるS木さん、
母はというと、今ではさあ、誰と行ったか名前も顔も思い出せないらしい。

そんな素直になれないふたりではあったが、間もなくめでたく仲直り、
2度目の万博は、愛媛からやってきた父の母(つまり僕の祖母)
と妹(現スウィング賛助会員。おばちゃんいつもありがとう。)らと一緒に、
目一杯楽しんだとさ。

ちゃんちゃん。


…と、ここまでの話はこれまで母から何度となく聞かされていた。

耳にタコだが、何度聞いてもほほえましい感じがするし、
あの堅物の父がほかの女性を!?、という意外性も面白い。

しかし年末年始帰省の際、このエピソードには
新しいエッセンスが加えられていた。

父が母への「当てつけ」に誘ったS木さんの想いである。

昨年の11月、母は当時の懐かしい同僚達と京都で久しぶりの再会を果たし、
その席でS木さんの気持ちをはじめて知ることになる。

当時、S木さんは父のことが好きだったというのだ。

母にとってはまさか!!だった。
S木さんは美人でおまけに性格もいい、
「勝てるところのない」女性だったらしい。
そんなS木さんに父が好かれていたことを母は誇らしく嬉しく思い、
父も喜ぶだろうと愛媛に帰るとすぐに、仏前に報告しましたとさ。

再び、ちゃんちゃん。


…ここでひとつの疑問が浮かぶ。
甘酸っぱい、心温まる話ではある。
けれど当時、父がもしS木さんの気持ちを知っていたら??

…母の笑顔が凍りついた。

「お父さん、私のこと選んだやろか……」

決して謙遜しているのではない。
母には全く自信がないらしく、どうなっていたかわからないと言う。

もしS木さんがもう少し積極的な人で、
父に想いを伝え、父がその想いを受け入れていたとしたら、
母は失恋、僕や兄はこの世に存在すらしなかったかもしれない。

…ギリッギリやなあ。喧嘩なんかすなよぉ。

「たら・れば」ではあるけれども、一瞬背筋が冷たくなった。

「あ、そん時のS木さんの写真あるわ。」

母は唐突にアルバムを引っぱり出し、ページをめくる。
若い父母、祖母、そしておばちゃん。
2度目の万博、幸せの風景。

「あ、捨ててしもてるわ。」

恥ずかしげに笑う母。
S木さんの写真は1枚も無かった。

木ノ戸


ほっとはあとクリスマスの作品をスウィングに飾りました。


暗闇で見たら怖そうね…。
| ファミリー | 16:03 | comments(0) | trackbacks(0)
背広とカーディガン、父と王貞治。
先々週の土曜日。
いくら探しても、最近着倒しているカーディガンが見つからない。

どうやら前日の夜、どこかに忘れてしまったらしい。

週末の開放感と鉄壁の二日酔い対策(ポカリスウェット+ハイチオールC)
の安心感も手伝って、ついつい呑み過ぎてしまったのだ。

確信の持てないまま、心あたりのお店に問い合わせると、
よかった、あった!今度取りに行きます、とひと安心、
…そこで母から聞いた父の逸話をふと思い出した。

父と母が結婚する前、つまり2人が恋人同士だった頃、
酒を呑んで酔った父は、うっかり店に背広を忘れてしまった。

次の日、背広は無事父の手元に戻ったのであるが、
父は、ああよかったと呑気にひと安心などしなかった。

酔って背広を忘れるという、失態(!?)を演じてしまった自分を許すことができず、
自責の念と悔恨の情を綴った手紙を母に送ったというのだ。

酔って背広を忘れた自分が許せない…
恋人への手紙に綴る…

いつの時代の話やねん!そんな20代いるかあ!???

と笑いながら聞いた記憶があるが、くそ真面目だった父らしいエピソードである。

僕はというと、忘れたカーディガンを一週間後の週末に取りに行き、
このまま帰るのはもったいない、無くしたものがあったお祝いだと、
またその晩もしこたま呑んだのであった。

親子が似るとは限らない。


・・この一件に加えて、最近なぜか父を想わせるのが、
世界のホームラン王、王貞治氏である。

今期限りの監督引退やらWBCコミッショナー特別顧問就任やらで、
何かとクローズアップされているわけだが、
王さんをテレビや新聞で見るにつけ、その姿を父とダブらせている自分がいるのだ。

あの人柄。地味さ加減。…そういえば顔も。
随分スケールは違うが、何となく似ているなあ…と。

恐れ多い話だが、とにかくダブって見えるのだから仕方がない。

昔は失礼ながらこう思っていた。
王さんは記録は凄いけど何となく地味だなあ、もうひとつパッとしないなあ、と。
(どっちかというとやっぱり華のあるミスターだなあ、と。)

しかし最近は違う。

王さんを画面越しに見つめながら、王さんの向こうに父を見つめながら、
憧れている。
こんな人になりたいなあ、と。



……ちょっと待てよ。

気がつけばどんどん父が立派な人になってゆく。

そんっなに立派な人だったかあ??

背広を忘れて禁酒を誓ったはずなのに、
毎晩のように晩酌をして、いい顔をしていたではないか!!

死者の美化はとめどなく加速するのか…。
その内、世の立派な人は、み〜んな父に見えてしまうに違いない。

木ノ戸


青空屋さんに実習に行ってきました。
| ファミリー | 19:32 | comments(0) | trackbacks(0)
頭の中が100ワット!
昨日10月6日は母の五十ウン回目の誕生日だった。

仕事終りに、父を亡くして以来の習慣となっている、
『お誕生日おめでとうテレフォン』をかけると、

「ありがとう〜、覚えててくれた〜ん。」

と喜んでいる。
毎年このパターンだ。

そして互いの近況を報告しあい、
早々に話を切り上げるのが常なのだが、…今年は違った。

今年の母は、近況報告の流れに乗って、
ある地元銀行での腹立たしい出来事を熱く語り始めたのだ。

…やはり親子は似るのだろうか。

先日の一件を思い起こし、僕はしみじみ思った。

なるほど、確かにムカっ腹の立つ話だ。
100%、母の言い分に納得。

…けれど、いつまでたっても話が終わらない。

いいかげん、電話代も気になる。
腹も減っている。

「分かる分かる、銀行ってほんっまに腹立つよなあ!
けど銀行なんてそういうもんやで。
じゃ、もう切るわ。」

と、適当に切り上げようとすると、

「ちょっと待って!!」

と譲らない。

…どうしても最後まで話したいらしい。

僕はこの時間が誕生日プレゼントなのだと
自分を納得させ、気の済むまで話を聞くことにした。

うんうん、そうやなあ、それはムカつくなあ。
うんうん、そうやなあ、それはムカつくなあ。

そうして長いエピソードが終わり、
ようやく気の済んだ母は、最後にこう言い放った。


「もう頭の中が100ワットやったわ!!」


で、で、出た!頭の中が100ワット!!

最高の怒りを表すときの、母の必殺の決めゼリフだ!

ああ、なんて古くてダサい言い回し!
100ワットって全然大したことないし!!

幼い頃何度も聞いたフレーズ。
いつぶりだろう?本当に久しぶりに聞いた。

かっこ悪いフレーズをいつまでも使い続ける母。
いたって小市民的な100ワットの怒り。

僕は可笑しさと温かな気持ちを胸に、家路についた。

木ノ戸


ご近所の中華料理店「広来」さんに、月一回の外食にでかけました。


何これ、うっめ〜!なんで月一やね〜ん。


うどんもあります。写真はHさんご注文の肉うどん。お肉たっぷり!
(・・無理を言って卵も入れてもらいました。)


ラーメン一杯¥400!安い!!


Kさんご注文は・・


Eセット。このボリュームでなんと¥600!とにかく安い!!
| ファミリー | 16:24 | comments(0) | trackbacks(0)
こそばゆい兄弟。
父の死以来、僕はたとえ気恥ずかしくとも、
家族や友人、僕を支えてくれている人たちに対して
できるだけ素直に気持ちを伝えようと心がけている。

みんないつかは死んでしまうからだ。
死んでしまったら何も伝えられないからだ。

6月8日。
昨日は4つ離れた兄の誕生日であった。

・・素直に気持ちを伝える相手としてはかなりの難敵である。

「まあちゃ〜ん」「おにいちゃ〜ん」などと
無邪気に呼び合っていたのは遥か昔。

お互いもうりっぱな大人(おっさん)である。

一般的にはどうなのだろう。
兄の誕生日に弟がいちいち「おめでとう!」などと
メールしたりするだろうか?

などとためらいつつも、
こんなに自分が照れくさいのなら
メールされる兄も同じくらい照れくさいに違いない。
よっしゃ、兄キをこそばゆい気持ちにさせてやろう!

と動機づけ、「誕生日おめでとう」メールを送信した。
(まるで好きな女の子に告白メールを送るような気分だった。)

夜、兄から返信があった・・

「ありがとう。また遊びにおいで。」

キャー!普段絶対こんなん言わへんのに!
キャー!直視できな〜い!

思いきりこそばゆい気持ちにさせられました。

木ノ戸


お!セミの幼虫を発見しました。


もうでてきて大丈夫なん?
| ファミリー | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0)
亡き父に見守られ。
約1年前。
父の墓を決めるため、いくつかの墓地を母と兄と3人で見て回った。
(現実的な諸事情により、4年前に亡くなった父の遺骨は
実家の仏壇に安置され、分骨した一部を兄と僕がそれぞれに持っていた。)

ある欧米風の芝生型墓地。
区切りなく20基程の墓が整然と並んでいる。
墓石もほとんどが横置きで、それぞれの墓の前には綺麗な花が数輪。

はじめて訪れた、見も知らぬ人たちが眠る場所。

にも関わらず、なぜか僕の目には涙があふれてきた。
母や兄も同様だった。
言葉にかえがたい感動をそれぞれに感じていた。
決して嫌な気持ちではなく、素直に死者を悼むことができる、
そんな不思議な感覚だった。

父の眠る場所はここだ…

全員一致でその墓地に決まった。


そうして先日、父の墓の開眼式と納骨式を執り行った。
(信じられないくらいに仲の良い!)父の兄妹も、愛媛からやってきた。

骨壷から遺骨を出し、白い布に包んで墓に納める。
4年ぶりに目にする父の「姿」。

そこそこの年月が流れた。
さすがに号泣する者はいなかったが、
皆うっすらと目に涙を浮かべ、穏やかな悲しみを感じていた。

とにもかくにもまた一区切りである。


ある日のスウィング。
たけしさんが上の方を指差し、はっきりとこう言う。

「もうひとりいる」

てっきり2階(天下一品さんの倉庫)に誰かいるのかと思い、
誰がいるんですか?と尋ねると、
「お父さん」という返答。

「誰のお父さんですか?」
  「木ノ戸さんのお父さん」
「…どこにいるんですか?」
  「遠く。お墓。」

瞬間、僕はぐっと涙をこらえた。

科学では割り切れない、人智を超えた出来事はある。
少なくとも僕はそう考えている。

父は時々スウィングまでやって来て
僕の様子を見守ってくれているに違いない。

たけしさん、ありがとう。

父よ、安らかに。

木ノ戸


スウィンギング第4号、本日発送しました!


サシェ(香り袋)をより可愛く改良中です。
| ファミリー | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0)
2月27日
死んだ父のことを想わぬ日はない。

…こう言えるとカッコいいのだが、実際はしょっちゅう忘れている。
けれど生きていた時よりも、父を想う事は多くなった。

脈絡のない、ふとした瞬間。
面影がよぎる。

大なり小なり何かに直面した時。
父ならばどう考えるだろう どんな風に言ってくれるだろう
と頼る。

父は僕の将来を案じながら逝ってしまった。
当時の僕はいろいろと問題の多い職場で働いており、
父もそのことをよく知っていたのだ。


生前、闘病中の父は、人知れずこんな句を詠んでいた。
(死後、父の机を整理していた時に僕が見つけた。)


未知の旅へ 

携帯電話を持ちゆきて 

あの世の沙汰を知らせたし



洒落たことを言う。
携帯電話など持ったこともなかったのに。

僕もこの世の沙汰を知らせたい。

今の自分やスウィングのことを。
きっと喜んでくれるのになあと思う。

2月27日。
父が亡くなって今日で丸4年になる。

今夜は愛媛の母に電話をしよう。

木ノ戸




休み時間。ジェンガや黒ひげが流行中です。
| ファミリー | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0)
POMとみたらサッ。
以前このブログにも書きましたが
愛媛では水道の蛇口からみかんジュースが出るという噂、
ついに実現したようです。

・・すごいですね。
(詳しくはこの記事を。)

毎年和歌山県とみかん生産量日本一を賭けた
抜きつ抜かれつの争いを演じている愛媛県。

間もなく始まる裁判員制度の広報キャラクターに和歌山県が
「みかんくん」だか「みかんちゃん」だかを採用したようですし、
両県の熾烈な争いからは今後も目が離せません。

僕の母は
「POMと見たらサッと買う。」
と、言っていました。

僕は天一さんに行ったら
「こってり。にんにくアリで。」
とメニューも見ずに言ってしまいますが
それと似たような感じでしょうか。

しかしPOMジュースは最近、
甘〜い甘〜い果汁25%くらいのものも出しているのです。

「POM」という文字で反射的に手が出てしまい、
商品をよく見ない母は、先日5本くらいまとめ買いしたものが
果汁25%と知ってかなりショックを受けていました。

「POMジュースは100%」という思いがあるのでしょうが、
もう少し注意深く買い物してください。

今日、スウィングに母から大量のみかんが届きました。
サンキュー、マイマザー。

木ノ戸


昨年設置したすのこにも大分慣れてきました。
お陰で靴箱も有効利用です。


昔はこの通り、上履きを持って各教室を移動、
せっかくの靴箱も使えていませんでした。
| ファミリー | 10:50 | comments(0) | trackbacks(0)
愛媛発スウィング着
みかんと言えば愛媛県。
愛媛県と言えばみかん。

「愛媛では蛇口からポンジュースが出るって本当?」

こう真顔で聞かれたことは一度や二度ではない。

実際は水道の蛇口の隣に2つ蛇口があって
あったか〜いポンジュースとつめた〜いポンジュースを
味わうことができるのであるが、そこまで知っている人は
さすがに少ないようである。

嘘です。出ません。

みかんご飯も僕は食べたことありません。

しかし大学進学を機に愛媛から京都に来て10年以上になるが、
未だみかんに不自由したことはない。

毎年欠かさず母が大量に送ってくれるからだ。

もちろん今年も。
昨年からは自宅ではなく、スウィングに届くようになった。

休み時間にメンバーやスタッフ皆で食べる。
ご家庭にも持って帰っていただく。
今年のは特においしい。

全くの私事であるが、父を亡くして3年余り、
母は愛媛で一人暮らしをしている。

趣味のガーデニングに没頭しようが、
毎日大好きな韓国ドラマを見倒そうが、
いくらみかんやポンジュースが安かろうが、
寒い夜に寂しい想いをしているのだろうか。

今日はお礼もかねて電話をかけてみよう。

目の前のみかんを眺めながらこんな風に想う僕は、
やっぱり愛媛人なのだなあ。

木ノ戸


あなた白いの取る派あるね。ぼく取らない派あるよ。
| ファミリー | 18:36 | comments(0) | trackbacks(0)
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