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【求ム!情報!】行け行け!はあと・フレンズ・ストア!


9月19日記事、『【知って欲しいこと】「はあと・フレンズ・ストア」のこと』のシェアが1,400に達しようとしています。→

反響を期待してはいたものの…予想以上で…本当に…嬉しいです!
多くの皆さまがこの件に関心や心配を寄せてくださっていること、ああ間違ってなかったと心強く、心から感謝しています。




昨日(10/6付)の京都新聞にも大きな記事が掲載されました。
(ネットの方にもあがっているかもしれませんが)以下が記事全文となります!


障害のある人が作る品物を販売「はあと・フレンズ・ストア」(下京)
移転先探しています

京都市内の障害のある人の手作り製品を販売する「はあと・フレンズ・ストア」(京都市下京区)が移転先の店舗を探している。店が入る京都産業会館(同区四条通室町東入ル)の建て替え工事で店舗スペースが確保できなくなるためで、事業主体の市や商品を納めるNPO法人が無償で借りられる移転先を募っている。

産業会館建て替えで 15年度内閉店 「お客さん安心させたい」
同ストアは、障害者の工賃向上や産学連携による新たな商品開発を図るプロジェクトの一環で市が2011年10月に開いた。店舗スペースは同会館から無償提供されており、市から委託された府高齢・障害者雇用支援協会(南区)が運営する。店内には、市内約40の福祉事業所から仕入れたクッキーやアクセサリー、アート雑貨など常時200〜300種類の商品を扱う。
地下1階の立地にもかかわらずオープン以来、売り上げは好調で、昨年度の店舗売り上げは初年度の2.5倍にあたる1千万円に届いた。季節ごとのフェアの充実や店のスタッフが福祉事業所と協議して改良を重ねた厳選した品ぞろえで、近年は若い女性の支持を得ている。
京都産業会館は京都経済センター(仮称)への建て替えを控えており、同ストアは15年度内の閉店が決まっている。市は今春から、現在の立地に見合う市中心部で無償または低賃料で借りられる施設を探してきたが、条件に合った移転先は決まっていないという。
移転を知った客や福祉事業所の利用者からは心配の声が寄せられているといい、9月には商品を納める市内外の約30施設(注:正しくは54施設)が移転先の確保や新たな店を構えるための賃料の予算化を求める要望書を市に提出した。
店長の木下佳子さん(33)は「商品の評判は良く、製品を作る利用者の達成感につながっている。いち早く移転先が決まり、お客さんや利用者に安心してほしい」と話し、チラシやホームページで移転先の情報提供を募っている。運営主体の市は「移転先は必ず確保する」としている。
移転先の立地条件は市内の商業エリア(烏丸や四条通)で、約20〜40平方�の店舗面積を確保できる施設。使用料は無償または低額を希望している。問い合わせは市障害保健推進室☎075(222)4161。(冨田芳夫/2015年10月6日京都新聞より)



京都市障害保健推進室には少しずつ候補物件の情報が寄せられているようです。
この国で起こっている一大事や、世界中で起こっている悲劇に比べると、ほんまにちっちゃいちっちゃいことやなあと思いながらも、こうしたちっちゃいちっちゃい価値あるモノゴトを、大事に大事にしてゆくことこそが、社会をより良く、本当の意味で豊かにしてゆくものと信じています。
引き続き関心を持ってください!そしてどんな形でもよいのでご協力ください!
今一度、以下が移転先物件の希望条件となります。


【希望条件】
●所在地:京都市内の商業エリア(烏丸、四条、三条など)
●店舗面積:約40�
●賃借料:無償又はできるだけ安く
※情報提供いただける場合は、平成27年10月末日までにお願いします。
※なお、上記期日に関わらず、早めにご連絡いただければ幸いです。 

【連絡先】
●京都市保健福祉局 障害保健福祉推進室/就労支援担当 坂巻様宛
●TEL:075-222-4161/MAIL:sabba685@city.kyoto.jp


どうぞよろしくお願いいたします!!!!!

木ノ戸
| 考えごと | 17:14 | comments(0) | trackbacks(0)
【知って欲しいこと】「はあと・フレンズ・ストア」のこと


「はあと・フレンズ・ストア」というお店をご存知だろうか?
所在地は「京都府京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町80番地 京都産業会館B1F」。京都市が2011年10月にオープンした、主に京都市内の福祉事業所に於いて、障害のある人によって作られた製品を販売するアンテナショップである。→

(このブログをご愛読して下さっている皆さまの中には、ここで何かご購入されたという方も多いのではないでしょうか。)

皆さん、お気づきの通り、店舗名が極端にダサい。だからオープン当初はこのいかにも行政らしいネーミングセンスに強い拒否感をおぼえ、「また行政がこんな名前で店やるんかあ…全く期待できんなあ…」といった、かなり冷めた思いを抱いていた。また、立地も微妙だった。「四条烏丸」という京都の繁華街、オフィス街に位置してはいるのだが、なんせ地味なビルの地下だし場所が分かりにくいし、京都市営地下鉄に直結してるとはいえだいぶ距離もあるし、「こんなところに人が来るんかなあ…やっぱり期待できんなあ…」と。

けれど今現在の心情は180度の大転換、「とっても失礼な先入観を持ってすみませんでした!先入観のバカバカバカ!オレのバカバカバカ!」と深々と頭を下げたいくらいに反省している。なぜなら「はあと・フレンズ・ストア」は、この4年間、誰もが驚くほどの大成功を収め続けているからだ。

毎年、およそ1,000万円という売上をコンスタントに上げ続け、しかも年々増加しているという事実。これは我々取引施設の収入増に直結し、更には施設で働く障害のある人の工賃(=給料とほぼ同意。いろいろ施設の種別があるので一概には言えないのだが、全国平均で月14,000円ぐらい。)向上へと繋がっている。名前のダサさなど全く関係ないではないか!!!実際、店内の様子は名前から受ける印象とはまるで裏腹、いわゆる“普通”のオシャレな雑貨店のような雰囲気。だからここを訪れるお客さんも「福祉だから」とか「チャリティ意識で」というわけではなく、“普通”に買いものを楽しみ、“普通”に気に入った商品を購入する、という好循環が生まれている。

「はあと・フレンズ・ストア」のようないわば“福祉系ショップ”は、売上云々とはまた別の次元で、ベタに言えば「障害のある人への理解を深め、障害のある人の社会参加を促進する」といった使命を必然的に持つ。そして実際「はあと・フレンズ・ストア」は「障害のある人たちに対する社会の理解を促進し、障害のある人たちの自立を支え社会参加を推進する環境づくり」をコンセプトのひとつ(
正しくは「はあと・フレンズ・ストア」の運営を中心とした、京都市が推進する「はあと・フレンズ・プロジェクト」の…)として掲げている。…しかしながら、何となくよく聞くこの手の謳い文句は“言うは易く行うは難し”。行政が主体(民間の組織に補助金を出したり、業務を委託することも含む)となって運営する“福祉系ショップ”は全国各地にあるが、正直芳しい話はあまり耳にしない。しかしながら「はあと・フレンズ・ストア」は、“普通”にオシャレな店舗で、“普通”に良いモノを売ることを通して、あるいは店舗スタッフの皆さんの発想と工夫により続々と企画される、やはり“普通”に楽しいワークショップや各種フェア等を通して、まだまだ障害のある人のことを知らない、知りたいけれど知る機会がないといった、社会一般、市民一般の“悩み”を解消し、またその一方で、障害のある人たちの仕事や暮らしを充実させ、決してお金には換算できない生き甲斐や生きる喜びを生み出し続けているのである。

つまり「はあと・フレンズ・ストア」は、確固とした信念と日々の創意工夫の積み重ねの上で、“言うは易く行うは難し”のコンセプトを正にその言葉通りに実現しているのだ。この「はあと・フレンズ・ストア」の実績と成功は、全国的にも稀に見る事例であり、今では先進的なモデルケースとして行政関係者をはじめとする他府県の人々が視察や見学に訪れるなど、大きな注目を集めている。一取引施設として嬉しく誇らしいことはもちろんのこと、これはもう運営主体である京都市にとって、そして京都市民にとって、或いはこの国の障害福祉行政にとって、大きな大きな財産なのではないだろうか。大袈裟ではなく、僕はこのように感じている。

…そんな「はあと・フレンズ・ストア」が今、ある危機に直面している。

店舗を構えるビル(京都産業会館)が老朽化に伴う「建て替え」のため、今年度をもって閉館することとなり、従って「はあと・フレンズ・ストア」も現在地からの移転を余儀なくされているのだ。ビルを建て替えなければいけないから移転…誠に残念ではあるが、これはもう仕方のないこと。来年度以降、また新しい場所でこれまで通りの、いやこれまで以上の活躍を期待したいところである。しかしそうした期待以上に大きな不安を抱かざるを得ないのは、運営主体である京都市が持つ移転先についての現状の方針が、「無償で借りられる場所」を条件としている点なのだ。

言うまでもなく、これは相当に厳しい条件である。実際、現時点においても移転先は見つかっておらず、我々取引施設は、この「無償貸借」という条件に適う物件情報の提供を求められている。…しかしこのご時世にあって(このご時世でなくとも)無償で借りられる場所を探せと言われても…一体どうすればよいのか…手のつけようがない。市の財政状況が厳しいのは重々承知している。1円たりとも無駄な支出を増やすべきではないと思うし、健全な市政運営のため、そうしていただきたいと願う。しかし同時に必要なモノ・コトにはしっかりと「生き金」を使っていただきたいし、「はあと・フレンズ・ストア」は十分それに値すると、これまでの実績が揺るぎなく証明していると思うのだが…。

このような状況に対し、取引施設有志一同(京都市内・市外合わせて54事業所)は「移転先について立地環境等を十分に精査・検討した場所を確保してほしい」「そのためにも「無償貸借」という条件を無くし、店舗貸借に係る適正な費用を予算化してほしい」という旨の「要望書」を、先日、京都市長宛に提出した。(読んでいただけていればいいのだが…。)
賃借料すべてが無理だとしても、例えば委託率を変更する等して、何とかお金を生むことはできないのだろうか…。
(例えば委託率が70%であれば、売上の70%が取引施設の収入となり、残り30%が委託手数料として「はあと・フレンズ・ストア」の収入となる。年間売上1,000万の「はあと・フレンズ・ストア」であるから、単純計算で委託率を10%変えれば100万円の収入増が見込める。ちなみにスウィングの委託取引店舗で最も多いのがこの70%。「はあと・フレンズ・ストア」はそうではなく、取引施設に対してサービスが良すぎる状況である…。)

乱暴な言い方になるが、あっても無くてもいいような場所であれば、こんなに必死にはならない。なる必要がない。しかし先にも書いたように「はあと・フレンズ・ストア」は障害のある人、そしてない人にとって、既に無くてはならない場所なのであり、それはこの何だか殺伐とした世の中を、人が人として生きてゆく上で、本当に本当に大きな意味を持つことなのだ。




京都市長 門川大作さま
はあとフレンズストアはワークショップが
たのしいところです
ワークショップでTシャツにえをかいていろんな
ひとにほめられてうれしかったです
またワークショップがあったらいきたいです
ワークショップがなくなったらかなしです
ひっこしするところでもワークショップを
するばしょをつくってください
えをかざらせてもらいました うれしかったです
ぼくのえでつくったスウィンググッズをおいって
もらっています
おきゃくさんにぼくのえをみてもらったりグッズを
かってもらえてうれしいです
おみせがちいさくなったらたくさんグッズをおいてもらえません
あたらしいところでもいっぱいグッズを
おいてもらえるようにひろいおみせに
してください



これはスウィングメンバー・XLさんが京都市長宛に書いた手紙である。
絵は描きはじめても相変わらず字を書くことには多大なる抵抗を持ち続けているXLさんが、「お手紙書くわ」と額に汗を浮かべなら、何度も失敗を繰り返しながら、市長宛に手紙を書いた。聞けば生まれてはじめて書いた手紙だったという。内輪話的になってしまうが僕はこの事実に驚き、思わず涙が溢れ出る。




何もかも僕たちの願いだけが正しいとは思っていない。世の中には大事なことがたくさんたくさんあるし、解決しなければならない課題はいつだって山積みである。そのことは十分に理解した上で尚、僕たちは声を上げないわけにはいかない。「要望書」に対する回答はまだいただいていない。来年度はあっという間にやって来る。あまり時間が無いが、より良い着地点が見つけられるよう、粘り強く頑張ってゆきたいと思う。

そして皆さまには、もし条件に適う物件情報があれば、ぜひぜひ教えていただきたいと思っています。→


【希望条件】
●所在地:京都市内の商業エリア(烏丸、四条、三条など)
●店舗面積:約40
●賃借料:無償又はできるだけ安く
※情報提供いただける場合は、平成27年10月末日までにお願いします。
※なお、上記期日に関わらず、早めにご連絡いただければ幸いです。 

【連絡先】
●京都市保健福祉局 障害保健福祉推進室/就労支援担当 坂巻様宛
●TEL:075-222-4161/MAIL:sabba685@city.kyoto.jp


どうぞよろしくお願いいたします!!!!!

木ノ戸
| 考えごと | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0)
イメチェン「FUKUSHI就活フェス」雑感



去る5月31日(日)「FUKUSHI就活フェス」に足を運んだ。スウィングはお誘いを受けて「アート雑貨」の販売で参加をしたのだが、僕が興味を覚えた理由はそれではなく、このフライヤーを目にしたことが大きかった。「福祉がイメチェン。」とあるようにこのフライヤーを見る限りでは確かにイメチェンしている。ダサくなくって、ちょっと行ってみたくなるデザインである。ややサブイボが立つが、「フェア」ではなく「フェス」としているところも若者心を刺激する。(のだと思う。)
深刻な人材不足が続く福祉業界。次代を担う若者の心を掴む発信をしてゆくことは非常に大切である。最近、こうした就職フェア的な現場に目を向けていなかったこと、「入り口」(=フライヤー)だけ“見てくれ”を良くしてどうせ中身はあかんのちゃうのん?という意地悪な探究心が働いたこと、この2点がたまの休日に会場へ足を向ける原動力となった。



会場に着いて、正直びっくらこいた。予想が大きく外れ、相当に、周到に、綿密に、場がプロデュースされていたのだ。デザイン性の高い、キャッチ―な空間、雰囲気。良い人材を求める事業者もそれぞれイイ感じのポスターを作ったりして、上手に場づくりをしておられる。(何様やねん。)これは明らかに一昔前までとは違う。(だから何様やねん。)



運営に関わっている、1回会ったことがあるか無いか:::くらいの知人を見つけ話を聞くと、京都府が民間の上手なトコに外部委託し、フェス全体をプロデュースしているとのこと。うん。餅は餅屋である。行政は概してこういうの下手くそなんやから、得意なところに任せればいいのだ。



ちなみにこの1回会ったことがあるか無いか…くらいの知人は、その関係性の弱さゆえか僕の顔芸には一切触れてくれず、ゆえに僕の心は逆に耐え切れなくなり、この方との会話を最後にセロハンテープをそっと剥がすこととなった。(もう!意気地なし!)しかし就職活動ってやっぱりものすごくプレッシャーのかかるものやと思うから、採用する側の人はセロハン顔芸で求職者の緊張を解くくらいの大胆さがあってもいいんじゃないか、という考えについては譲るつもりはない。



話を元に戻す。
相当に、周到に、綿密にブロデュースされた会場の様子は目の当たりにした。就職活動に訪れた若者たちの表情もなんだかピカピカ輝いて見えた。(主催者は600人の来場者を期待し、結果、400人だったという。)

しかし、だ。

フライヤーも「入り口」なら、就活フェスそのものだってやはり1つの「入り口」に過ぎないのだ。現場はそこから遠く離れたところにある。



良い「入り口」を用意し、人を集めることは確かに大切だが、結局のところ問われるのは「中身」なのである。会場ではハッキリ言って業界的には良い噂を聞かない事業者に、恐らく“見た目づくり”が上手いがゆえに求職者が群がっていたり、なんだかなあ…という思いをアレコレ感じたのもまた事実である。福祉は離職率も非常に高い業種である。至極当然のことなのだが、それぞれの現場が「中身」を魅力的なものに変え、充実させてゆくこと(低賃金の問題なんかは事業者の努力だけではこりゃムリだ。)が何より大事なのであり、“見てくれ”ばっかり良くしてもしゃあないっちゅーことを、あらためて痛感させられた機会であった。

木ノ戸

| 考えごと | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0)
【ariya. 23号】文学と障害者アートとハーフパイプと。(そして100mと。)


展覧会を開くことは、スウィングの大切な仕事のひとつだ。
芸術に障害も健常もクソもないのだから、だた作品だけを純粋に見て欲しい。楽しんで欲しい。それが恐らく本来である。しかし、現実的にはそんな風にシンプルにことが運ぶとは考えにくいし、僕自身、そうしたいとも思っていない。

僕は大学生の頃には「本が好き。」という理由で日本文学を専攻していた。ところが“文学を研究すること”は全く好きになれなかった。その作品を書いた作家のこと、その作品が書かれた時代背景や社会背景など、(僕にとっては)どうでもいいことばかりほじくり返すような学問だったからだ。うるさい。作品が全てではないか。作品の中に作者も時代背景も社会背景も全部つまっているではないか。そして芸術の本質とは、“理屈抜きに心が震えるかどうか?”その一点に尽きるのでなかったか。そんなこんなで僕は文学は好きだったが、文学研究は大嫌いだったわけである。で、あるならば、障害を持つアーティストの展覧会だって、作品そのものの魅力自体が伝わったらそれでええやん?作者がどんなんでも、背景がどんなんでも、どうでもええんちゃうん?そんな声が聞こえてきそうである。僕の内側からも聞こえてくる。

こんな時、僕はスノーボード・ハーフパイプを思う。

(もう古い話になるのん?)盛り上がったあのソチ冬季五輪を思い出して欲しい。そしてとりわけ日本中が熱狂したのが、童夢君…ちゃうな…歩夢君や、歩夢君、平野歩夢選手が銀メダル、平岡卓選手が銅メダルを獲得するという、若い日本人男性の活躍が目覚ましかったハーフパイプだ。そして皆さん覚えているだろうか?世界の大舞台でメダルを手にした2人が残したコメントを。

「ハーフパイプのことを、たくさんの人に知ってもらえる機会になったことが嬉しい。」

(多少違うかも知れんけど)この言葉を聞いたとき、僕はああ同んなじやなあ…と深い共感を覚えたのだった。

マイナーな存在と言うのは、事の種別を問わず、少しでもメジャーになりたいと願うものらしい。それは恐らく宿命のようなものであると同時に、ただマイナーだからメジャーに!ということでは勿論無く、その世界の魅力を肌身で十二分に知っているからこそ、より多くの人に伝えたい!と願うのだろう。逆に言えば、陸上100mの王者ウサイン・ボルトなどは「ナンバーワン!ナンバーワン!」と、個人の輝かしい成果を吠えるだけでいいわけで「この100mという競技をたくさんの人に知ってもらえる機会になって嬉しい。」なんて言う必要などまるで無い。だってもうみ〜んな知ってるんやもん。

マイナーな存在を世に伝える立場にある者には、その個人を超えて、その世界の「代表者」となる責任が伴う。本人が望むと望まないとに関わらず。自覚的であるか、無自覚であるかに関わらず。
例えばハーフパイプという世界においてはオリンピックにおける平野選手や平岡選手の演技や結果、あるいは彼らの人柄までもが、ハーフパイプという世界全体のイメージをある程度形づくってしまったに違いない。怖いことだ。しかし(どんなに若くとも)彼らのように個人の成果以上に「知ってほしい・伝えなければならない」という強い使命感がある限り、それはちゃんと、正しく伝わる。誰かの胸に、きっと真っ直ぐに届く。

障害者アートについても似たようなことが言えるのではないか。障害を持つ人が世に出る機会はまだまだ少ない。(バカみたいに少ないのだ。業界の「中」にいる僕たちは「最近、割といけてんちゃうん?」とか思いがちだが、それは恐らくただの錯覚、願望、思い込みである。)障害やらなんやらそんなもん置いといて、作品だけを見て欲しい。もちろん僕たちだって心の底ではそう思っているが、世界はまだまだ偏見と不信に満ち溢れている。「ノーマライゼーション」も「インクルージョン」も、未だただただ聞こえのいい、単なる「言葉」に過ぎないのが現状なのだ。(ちなみに「ノーマライゼーション」や「インクルージョン」についても言いたいことはあるが、頭が破裂しそうになるので今は書かない。)

だからこそ、作品や展覧会などを通じて「知ってほしい・伝えなければならない」。

(アーティストに限らないが)障害を持つアーティスト自身が、特にその人が知的障害者である場合、“その世界の「代表者」”となり、個人の成果以上の意味を自覚するのは難しいだろう。多分、その役割を担わなければならないのは、多くの場合「支援者」と呼ばれる僕たちである。僕たちが彼らと一緒になって、明確な意思と責任を持って、伝えなければならないのだ。障害のある人のことを。障害のある人の“本当”のことを。(あなたと同じ人がただの1人としていないように、障害のある人も当たり前にいろいろなんやで〜! あなたがこの街で“当たり前”に生きているように、障害のあるひとも“当たり前”に生きてるんやで〜!それが世界の“当たり前”の姿なんやで〜!)

いつかハーフパイプも障害者アートも、文学の世界のように、ある限られた暇人が成果“そのもの”以上をほじくり返すくらいになればいい。

その時僕たちを取り巻く世の中は一体どんな風に変わっているのだろうか。

木ノ戸昌幸(NPO法人スウィング 施設長)


※ この文章は「ariya. 23号」より転載しました。



ひらめきアリヤ ariya. とは? 〜始まりは、小さな一歩。〜
アリヤは、福祉施設で作られる製品や福祉の活動を中心に紹介します。製品の良さを知ってもらい、購入してもらうことで、障害者の雇用促進と自立支援をめざしています。印刷は福祉工場で行っており、購読料の一部は障害のある方々の工賃に繋がります。アリヤは、広告に頼らず、読者が支える本です。ひとりひとりの存在は小さいけれど、みんなで助け合い、支えあえばきっと誰もが幸せに生きていけるはず。地に足をつけ、蟻の目線でゆっくり歩いて行きたい。そんな思いをこめて『蟻の家=アリヤ』と名付けました。(アリヤWEBサイトより)

→ アリヤ ariya. 
http://www.arinoie.com
| 考えごと | 17:49 | comments(0) | trackbacks(0)
立ち止まって・深く・丁寧に考えなければ。
【発達障害児も共に学び「不登校ゼロ」を実現した奇跡の学校】
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150129-00065873-diamond-soci
大空小学校の取り組みを追ったドキュメンタリー映画「みんなの学校」公式サイト→http://minna-movie.com/

この記事をフェイスブック上に見つけたのは2月1日のこと。
僕は感動し、たくさんの人に知って欲しい!と即座にシェア、当然の如くスウィングスタッフ一同にも「これを奇跡と呼ばないようにしないといけない。」と熱く勧め、「すごい話がある!」と、友人の家に押しかけたりした。

...が、時を経るにつれ、ムクムクと湧きあがる、どこかすっきりとしない違和感。
…なんなんだろう?

冷静に考えてみれば、30年前、僕が通っていた小学校には特殊学級など無かった。(当時、あった、無かった、分かれるようである。)
障害のあるクラスメイトも、授業中にウロウロするクラスメイトも、違和感なく、同じ教室に、“当たり前”にいた。(中学校に上がり、障害のある同級生が目の前からいなくなってしまった時の驚きは今でも忘れられない。なぜそんなことになるのか、全く理解できなかったのだ。)


今、この社会状況の中にあって、大空小学校の取り組みは「すごい」…ように感じる。映画を観てみたいと思う。観もしないうちからああだこうだは言えない。しかし僕が子どもの頃には“当たり前”だったことが、今の社会にあっては「奇跡」と言われてしまう、この不思議…。果たして「すごい」の一言で片づけてしまっていいのだろうか?「これを奇跡と呼ばないようにしないといけない。」?偉そうに語る前に、そもそも「奇跡」として受け入れ、通り過ぎてしまっていいのだろうか?

怒涛のような“情報の洪水”の中で、超高速のレスポンスを求められ、いや求められているような気になり、効果的に情報を発信することに躍起になってしまっている自分(そしてそこのアナタ)…。いつの頃からか「思考停止」という言葉を頻繁に聞くようになったが、正に今、自分自身の問題としてそれを感じる。

情報過剰…コマーシャル過剰…不穏な政治…不安定な世界…。
そんなことは分かっている。本当に分かっている?分かっているつもりだったが、今一度そうした得体のしれないものへの対峙の仕方を考え直さなければならない。自分の感受性くらい、自分で守れ。ばかものよ…である。

立ち止まって・深く・丁寧に考えなければ。

木ノ戸
| 考えごと | 19:25 | comments(0) | trackbacks(0)
知るのも、知らせるのも、ホンマに難しい。


11月26日。京都市北部障害者地域自立支援協議会主催「第13回地域懇談会」。スウィングは第一部で事例報告の時間をいただき、スウィングが積み重ねているさまざまな地域への取り組みについて発表した。会場に1ミリの笑いも起こらなかったことは、僕のプレゼン力の至らなさの証明…軽く凹まされたことは言うまでもないが、実は「スベる」のもそれ程嫌いじゃないというどうでもいい事実についても軽く付け加えておきたい。さらにどうでもいいが、だからと言って僕が「M」かというと、恐らくそう短絡的な話でも無いんだよ?でも長くなるから今日はもうやめておくよ?

第一部の事例報告(スウィングの他には「YOUYOU館」さんからの報告があった。)がどれくらい参加者の皆さんに響いたかは分からないが、それはそれとして、約100名の参加者が13のグループに分かれ、障害福祉サービス事業所と地域との関わりについて熱い議論を交わした第二部のグループ討議がとにかく面白かった。参加者の半数以上は障害者相談員や地域支援者等、各地域で地域福祉に関わっておられる方々。「障害福祉サービス事業所が地域の人々と一緒に何かに取り組むには何が必要?」「障害福祉サービス事業所と地域の人々とがもっと良い関係になるには?」など、一応のテーマ設定がされていたわけではあるが、地域の方々からはそんな“答え”にはほど遠い、真正直で辛辣な意見の数々が次々に出されたのだ。「福祉施設は近寄りがたい、怖い」「どんな風に関わっていいか分からない」「ニュースなどで問題ばかりが目につき、とっつきにくい」「障害者と関われる機会が無い」「家族がうちに囲い込んでしまっている」等々…。
障害者アートが盛り上がってるだの、障害者の社会参加が進んで来ただの、僕らの“達成”とやらは、この広い世の中で一体どれほど微細なものなのだろうか…。僕は清々しく(予想通りに)打ち砕かれた。

あらためて厳しいスタート地点を再確認させられた機会ではあった。しかし、一昔前と恐らく違ってきているのは、地域の方々にとって福祉施設や障害のある人が、相変わらず「近寄りがたい」「関わる機会が無い」存在であることには違いないが、「“だからこそ”知りたいのだ」という前向きなトーンが多くの方の言葉に感じられることだ。もちろんこれを世間一般、大多数の思いとして捉えることは乱暴に過ぎるかもしれないが、そうした思いを持つ人は確かに増えつつあるのだと信じたい。
ある参加者の方がこんな風に言っていた。「バス停で声をあげている(障害のある)人がいて、最初はただ怖かった。でも毎日見ているうちに慣れてきました。」と。そうなのだ。街中で声が出ちゃう人もいる。それがそもそも「当たり前」の社会のはずなのだ。例えば電車の中で赤ちゃんが泣いている。怪訝な顔をする人もいれば、微笑んで見つめている人もいる。反応は違えど「赤ちゃんは泣く」という「当たり前」の景色を誰しもが見つめていることには変わりはない。「当たり前」が快いものとは限らない。不快なものとは限らない。  
しかし知ることも知らせることも、これは本当に難しい。「ゴミコロリの事、知らへんかったわ〜」と左京区の方にしみじみ言われたが、そんなもん、北区の片隅で月1でやってることを知ってることの方が稀に決まっている。この社会の中では本当にたくさんの、多種多様な人が生きていて、そのひとりひとりが、知らないことばかりで生きている。

(「書を捨てよ…」ではないが)もっともっと障害のある人は外へ外へ出るべきだと思う。そして、いろいろな施設が、いろいろな障害のある人が、小っちゃい小っちゃい声を上げる機会を、できれば楽しく清々しく、もっともっと持つべきだと思う。力は強いが偏った一方向へと人の目を向けてしまう大きな声ではなく、小っちゃい小っちゃい声を、もっともっと外へ。

木ノ戸
| 考えごと | 15:59 | comments(0) | trackbacks(0)
脱・民間企業信仰
この福祉業界、昨今、民間企業信仰ともいえる雰囲気がある。
端的に言えば、民間企業がしていることが良しで福祉施設のやり方はダメ!福祉は民間の真似をしなさい!といった空気が、施設経営にしても商品開発にしても、何かにつけ漂っているのだ。

いやいや、民間企業の真似をしたければ、福祉施設などやらずにハナからそうすればよいではないか。実際、そのような形を成功させている素晴らしい例もあるではないか。

民間企業から学ぶことは多々ある。 学ぶべきところは学ばなければならない。けれどどちらが上下の話になるのはおかしいし、福祉施設が民間企業「もどき」になるのはとてもとても気持ちが悪い。そもそも社会的に担っている(この言葉、大げさで嫌いだが)使命や役割が全く違うではないか。

福祉施設はただただ全うに社会福祉を実践してゆけばいいのだ。社会を豊かにしてゆく何らかを。民間企業とは違うやり方で。
違いを認め合い、強みも弱みも認め合い、そうして“お互いが”学び合ってゆければ最高なのではないだろうか。(あ、これ、人間関係もいっしょやー。)

木ノ戸


先日、開催の「イモコロリ」(イモ掘り)の様子。ズラリ!
| 考えごと | 19:43 | comments(0) | trackbacks(0)
“偽善”の欠片もありませんね。


8月19日(火)から25日(月)まで、恵文社一乗寺店「ギャラリーアンフェール」にて開催したアッキー初個展「ACKEY'S EXHIBITION マボロシ★リアリズム VOL.1」は予想を遥かに上回る成功裏に終わった。
1週間という会期はスウィングとしてはこれまでで最短だったが、ああ、なんという濃密な1週間。誰も書いてくれなくても仕方ないな…と思いつつ用意した感想ノートにははビッシリとたくさんのメッセージが書き込まれ、展覧会を目的に来て下さった人たち、ふらっとはじめてアッキーの表現世界に触れて下さった人たちで会場は毎日溢れ…ただただ感激と感謝である。
そしていろいろな方と直接言葉を交わす機会も数多くあり、有難い数々の言葉をいただいた。


「“偽善”の欠片もありませんね。」


中でも、ある方が笑いながらこう言ってくださったこの言葉は、小躍りしてしまいそうなほど嬉しかった。これはもうスウィングが自覚的に、確信的に目指すところの一つであるので、このことをアッキーの個展の中で示すことができたのなら、本当に最高である。
今回の展覧会の主役はアッキーだったし、タイミングを慎重に見計らって得た満を持しての機会だった。当然、アッキーの世界にできるだけ多くの人に触れてほしい!というのが第一の目的であったことには違いないが、それと同時に、作品世界そのものを超えて、アッキー自身の事を、アッキーが日々を送るスウィングの事を、スウィングが身を置く障害福祉の世界の事を、“まだ知らないひとたち”に伝えるための「場」としても、成立させたいと考えていた。そうした意味で、「“偽善”の欠片もありませんね。」という言葉は、アッキーの個展という意味を超え、僕たちが意図して創り上げた「場」すべてに対しての賛辞のように受け止められたのだ。

“福祉”にまつわるイメージは様々だが、“偽善”もそのひとつではないだろうか。(日テレ24時間テレビとか。あんなもん見ない。でもGさんは毎年喜んで募金に行っている。オモロ。)僕らは別に人助けをしているわけではない。何年か前の話になるが、「“福祉”やってる自覚ありますか?」そんな質問をスタッフにしたところ、声を揃えて「ありません。」と返ってきた。頼もしかった。

所詮人間のする事、欠片くらいあるのがむしろ自然というものだろうが、“福祉”が“善”でも“偽善”でもない、なんでもないものになる事を、僕らはただ願っている。

木ノ戸


本当にたくさんのメッセージをありがとうございました!

 
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| 考えごと | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0)
最高の味噌汁


先日の長野出張(
)。宿泊した旅館には大満足だったのだが、何に大満足したのか書いてしまうと褒めてるようで実は悪口になってしまいそうなので書かない。
けれどあの“味噌汁”の事だけは書かずにはいられない。なぜなら生まれてはじめての、そしてもう2度と飲めないかもしれない、最高の味噌汁に出会ってしまったのだから。

僕はけっこうな猫舌である。熱い食べ物や飲み物が大の苦手だ。しかし大抵世の中では「あっつあつ」や「ほっかほか」が良いとされていて、僕ら猫舌が好む「ぬるめ」の美味しさついてはなかなか理解してもらえない。(僕は熱い風呂もとっても苦手だが、風呂については半身浴にいいとかで、“ぬるめのお湯”も随分前から市民権を得ているように感じる。)

僕がつい数年前まで鍋やおでんが苦手だったことも、この「あっつあつ」「ほっかほか」信仰に由来している。子どもの頃、母親に「今夜はおでんよ!」なんて嬉しそうに言われると、その日1日が台無しになってしまった。鍋やおでんは熱くてとても美味しく食べられない。それにぼやぼやしている間に“ぶ厚い舌を持った強者ども”が、容赦なく食べ物を喰らいつくしてしまう。そんな無慈悲な食卓を楽しみに待てるわけがないじゃないか。(僕が鍋やおでんが平気になったのは、「自分の分を先にまとめて取っておいて、後はゆっくり冷めるのを待てばいい」という目から鱗の必殺技を30歳頃に思いついてからだ。我ながら天才である。)

日本の食卓に欠かせない、いや日本人にとっていわゆる「空気みたいな存在」と言っても過言ではない、味噌汁とて当然同じことだ。
全然美味しいと思えない、「あっつあつ」「ほっかほか」の味噌汁を良かれと提供され続けたこの幾年月…。だが文句は言えまい。だってそこにあるのは100%の善意なのだから。それでも僕は時として要求してきた。「熱いの苦手なんでぬるめで」と。けれど「あっつあつ」「ほっかほか」信仰に真っ向から矛盾するそんなふざけた要求を、一体どれほどの人が真に受けてくれたというのか?この世界は結局のところ、
“ぶ厚い舌を持った強者ども”(←気に入っている。)のものだというのか?

そんな不満を抱えながら生きてきた37年間。僕は遂に出会ったのだ。長野県茅野市の古びた旅館の朝食バイキングで。とうの昔に諦め、それでも心の片隅で求め続けてきた最高の味噌汁に!
具が何だったかのはまるで覚えていない。どうせまた「あっつあつ」なんやろなあ…と覚悟しつつ、ちょびっと口をつけた瞬間、生まれてはじめて味わう「適温」が、僕の舌先をぶるるん震わせたのだ。熱い…でも全然飲める!なんぼでも飲める!そして味も分かる!旨い!知らんかった…。「あっつあつ」「ほっかほか」の味噌汁って…熱いなりに「適温」ならめっちゃくっちゃ旨いやんけ!
ああ、俺は“猫舌だからぬるいのが好き”とこれまで本気で信じ込んできたが、真実はそうではなかったのか。好きだったのではなく、熱いのはべろヤケドするし無理やけど、ぬるいのならヤケドの心配も無く安心して飲めるから…だったのか。ごめん…。俺…。自分だけヤケドするのを恐れて…。今さらだけど、恋に恋してただけでした!

同席していたスタッフなべちゃんは「(旅館の人が)ほったらかしにして、いい感じに冷めてただけなんじゃないですか?」とかロマンの欠片も無いこと(つまり真実)をのたまいおったが、どうあれ、やっぱり「適温」っちゅーのは人それぞれなわけですよ!つまりアナタ方(誰?)の言う美味しい「あっつあつ」「ほっかほか」ラインも人それぞれっちゅーわけですよ!え?なに?面倒くさい?うるせー!この“ぶ厚い舌を持った強者ども”!

とにかく僕はこの経験をこれからに活かさなければならない。…経験をこれからに活かす?そうか、これが「キャリアアップ」というやつか。ああ、今はじめて自然にキャリアアップしよ!思えた。鼻クソと一緒に丸めてゴミ箱にポイ!するくらい大嫌いな言葉だったが、そうか、こういうことを言うのか。なんやー。割とええ感じやーん。キャリアアップー。え?なに?全然違う?うるせー!この単細胞のキャリア馬鹿!

もとい。

とにかく僕はこの経験をこれからに活かさなければならない。自分の「適温」は未だによーわからん。しかし、べろに負担さえかからなければ実は熱いのが旨かったっちゅーことは、たぶん、これまで思ってたヤツよりは熱め…を狙ってゆけばいいのだ。つまり食堂なんかでは胸を張ってこう言えばいいのだ。

「おばちゃん、俺、猫舌なんで、ぬるめで。…いや、ぬるめよりは熱めで!」



こうして僕が人生最高の味噌汁にべろを震わせ、様々な思いを馳せている間も、隣のかなえさんは黙々と朝食を食べ続け、最後になぜか、ちょっとがんばれば全然余裕で食べられる卵焼きをひとつ、そっとお皿に残していたのだった…。(あ、最高の味噌汁も…。)

木ノ戸


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| 考えごと | 18:54 | comments(0) | trackbacks(0)
本当は全然「当たり前」なんかじゃない。

暑い日が続くがそりゃあまあ夏なんだから「当たり前」だろう。スウィングのエアコンは幸いよく効くので、暑さにひーひー言う事もあまり無いのだが、エアコンが効きすぎて真夏に「寒い…」とか思うこともしばしば、これほど可笑しな話も無い。しかしエアコンなどこれほど普及したのは割と最近のことじゃないのか。少なくとも僕の小・中・高校時代に学校にエアコンなど無かったし、夏はダラダラ汗を流しながら、冬は寒さに凍えながら授業を受けるのが「当たり前」だった。今の学校の環境はどうなっているのだろう。やはりエアコンなど「当たり前」になっているのだろうか。「当たり前」に快適になってしまったことからはなかなか抜け出せない。もっともっと!どこまでも快適さを追求し、「当たり前」を更新してゆくのだ!バカの一つ覚えの平和ボケ。僕たちは一体どこに向かっているのだろうか。分からない。分からないが、僕たちが手にしている「当たり前」の多くは、そう見えたり感じたりするだけで本当は全然「当たり前」なんかじゃない。

本当は全然「当たり前」なんかじゃない。

ここしばらくこの感覚に強く捉われ、考え続けている。働く場所があること、収入を得られていること、3度の飯が食えること、家があること、家族がいること、友人や仲間がいること、手足が動くこと、2階に上がれること、目が見えること、耳が聴こえること、不平不満を言えること、歌えること、迷えること、選べること、この国に戦争が無いこと、生まれてきたこと、今の今まで生きてこれたということ…とにかく全部、本当は全然「当たり前」なんかじゃない。



きっかけは祥子さんだ。祥子さんが教えてくれたのだ。今年の2月から、「絵を描きたい」とスウィングにやって来た祥子さん。数年前、不慮の事故で「高次脳機能障害」となり、様々な生き辛さを抱えることになってしまった祥子さん。
祥子さんは1時間近くかけて家に帰る。車で行けば5分もかからない、スウィングから1番近いところに住んでいるにも関わらず、1時間近くかけて家に帰る。ある日、真夏の炎天下、車イスをフラフラと自力で走らせながら「さようなら!」と懸命に進んで行く祥子さんの姿を見送った時、情けないことに、スウィングをはじめていい加減もう9年目なのに、僕は自分の勘違いと縮こまったダサい視野の狭さに突然気づかされたのだ。

皆、それぞれの「当たり前」を生きてゆけばいいのだと思う。平和ボケだろうが何だろうが、「当たり前」を生きてゆくということが、それほど簡単なことではないことも知っているつもりだ。「当たり前」にも色々と厄介なことがつきまとう。けれど、「当たり前」の多くは、本当は全然「当たり前」なんかじゃないんだということ。このことをちゃんと理解し、腹に落としておくことが、日常に感覚が麻痺してしまった自分を顧みたり、自分とは違う誰かを心から思いやったり、自分とは違う誰かと助け合い支え合い生きてゆくための、大きな力になるのではないか。

僕は今日「当たり前」に生きている。
でも本当は全然「当たり前」なんかじゃない。

木ノ戸


同志社大学社会福祉学部社会福祉学科×Swingクリアファイル(非売品)完成!

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