「親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO」の象徴的人物でもある増田さんは、およそ4年前からとあるマンションの一室でひとり暮らしをしている。いろいろあって、ありすぎるくらいに本当にいろいろあって、ようやく辿り着いた穏やかなひとり暮らしである。とは言え彼のひとり暮らしには多くの他者が関与している。増田さんは繊細すぎて「ちょっとしたつまずきにもド凹みして長期に渡って引きこもる」という性質があるため、スウィングには「即座に救出する用」のカギが、元気な時の彼の意思によって常時預けられているし、あればあるだけ使ってしまうお金の管理を委ねている居住区の社会福祉協議会には、週に1回、1週間分の生活費を受け取りに行っている(正確には支援者といっしょに銀行口座のお金を下ろしに行っている)。
そして調理と掃除のサポートのため、週に2回ホームヘルパーもやって来るのだが、その際の彼の行動がちょっと、いや、随分と変わっているのである。ヘルパーさんの来訪前、決まって彼は部屋を片づけ綺麗にし、そして時には料理の下ごしらえも済ませ、空調もバッチリ快適! の状態でヘルパーさんを迎え入れ、さらにはヘルパーさんが買い物に出かける隙間時間を縫ってお風呂とトイレの掃除までしてしまうというのだ。増田さん曰く、「ヘルパーさん大変なんで、できるだけ仕事減らしたいんですよ」。対して「助かってます」とヘルパーさん。どどど、どっちがヘルパーやねん! けれどこうした彼の振る舞いからは、どこかお堅い「サービス」という名のもとに【助ける側/助けられる側】とに一刀両断、二分化してしまった関係性を解きほぐす、温かな人間臭さのようなものが感じられやしないだろうか ー僕は猛烈に感じるー 。そんなわけで僕はいつの頃からか増田さんのことを、敬意を込めて「ヘルパーのヘルパー」と呼ばせてもらっている。
「いやいや、そんなことならヘルパー要らへんやん!」と思う人もいるかもしれない。しかしながら増田さんは、ヘルパーが来るからこそ、そしてヘルパーが大変だと思うからこそ「ヘルパーのヘルパー」に身を転じ、自分ができることを、できる範囲で(けれどMAXで)しているのであり、仮にもしこうしたきっかけがなかったならば、手が付けられないほどに住処を埃まみれにし、心を内へ内へと閉ざして生気を失ってしまう増田さんという人を、僕たちは、そして彼自身も痛いほどによく知っている。彼に2人の後見人がいるという事実がその証左になるかどうかは分からないが、少なくとも増田政男という人の、非常に見えにくい「生きづらさ」を知る手掛かりにはなるだろう。恐らく増田さんにとっては、「定期的に他者が訪れること/関わること」がこの上なく大切なのであり、そしてその他者が「家族」でも「友人」でもなく ― つまり近すぎる関係性にある他者ではなく ― 、接する時間も距離感も絶妙にちょうどいい「ヘルパー」という他者であることも重要なポイントなのだと思う。
良い悪いの話ではないし、先のことは分からない。ただ、決まって毎週2回、とある小さなマンションの一室で繰り広げられるちょっと奇妙な助け合いの風景と、そこに漂う増田さんの弱さと優しさと美徳を思うとき、僕の心はいつもほんの少し、ニンマリにやけてしまうのである。
木ノ戸