
「同時代ギャラリー」にて開催した「親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO」京都展(以下、EXPO)が閉幕しておよそ1ヶ月(…マジっすか!??)。すぐにでもあーだこ−だと振り返りたかったのだが、恐らく虚脱感のようなものが勝ってしまってズルズルと来てしまった。気合を入れて書き出そうと思えばなぜかひーちゃんのどうでもいい話(→★「もしも女子高生が路上でボウリングをしているホプキンスを見たら…」)を書いてしまったり、「自分! もっとちゃんとして!」と仕切り直しても増田さんのことを一生懸命書いてしまったり(後日、アップします!)、多分、僕は長年付き合ってきたから知ってる例のあれ、「大事なことだけに後回しにしてしまう症候群」が激しく出てしまっていたようだが、「藁工ミュージアム」で開催する高知展が目前に迫った今、もはや妙な症候群を言い訳にすることはできない。「企画趣旨/親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO に寄せて上げて」にシンクロさせつつ、あの濃密な2週間をものすごく主観的に振り返ってみたい。

親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO に寄せて上げて
1. 哀しみをユーモアに変えるまで
親の年金をつかってキャバクラ
増田政男が書にしたためたこの言葉は、いつの頃からかスウィングに堂々と飾られ、日常の風景となっている。けれどこの言葉の裏に、彼の深い苦しみや哀しみを見てとる人は一体どのくらいいるだろうか。この言葉の通り、増田はかつて同居する母親の年金にまで手をつけ、キャバクラ通いを繰り返していた。しかしながら、この愚かしい行為について、彼がその当時から武勇伝のように笑って語っていたわけではない。増田は一夜の夢の後、決まって激しい自責の念に囚われ、ときには数ヶ月に渡って家に引きこもるというサイクルを何年も繰り返していたのだ。このサイクルから脱するまでには長い長い時間がかかったが、結果として増田は母親と離れて暮らすこととなり、また、あれば使ってしまうお金の管理を他者に委ねきり、つまり自らのどうしようもない弱さを認め、手放し、ようやく心穏やかな暮らしを手に入れたのである。増田がこの書を表すまでの、哀しみをユーモアに変えるまでの道程を思うとき、余裕綽々、安全圏から放たれる「多様性」「共生社会」「社会包摂」といった今の世を彩るスローガンが、底はかとなく薄っぺらく感じるのは僕だけだろうか。

●振り返る!
綿密に狙ったわけではないのだが、入り口から敷きつめたレッドカーペットの先にデカデカと掲げた増田政男の書(巨大習字)は、近くに来ないと「親の年金をつかってキャ…」までしか(床に垂れ下がっているので)見えないようになっており、「その先はなんだろう?」と書の全貌を確認しに入って来てくれるパターンがとても多かったように思う。確認した結果、「ねえ、キャバクラってなに〜?」と小さな子どもに尋ねられてしまい、もごもごごまかしながら足早に退場してしまった親子連れもいたにはいたが、ほとんどの人には好意的に受け入れられ、まるで観光地のシンボルかのように巨大習字の横に立って記念撮影をはじめたり、真横に設置したこの企画趣旨を丁寧に読んでくださったり、中にはご自身の経験と重ね合わせて涙を流している人もいた。

とりわけこの書に爆笑し、一瞬にして「増田政男」という見知らぬおっさんに多大なる興味を示してくれた若い男性3人組のことが忘れられない。「政男さんは? 政男さんは?」と興奮気味に場内を見渡しはじめた彼らに近づき、「政男さん、この人やで」と「Chapter.2 軍手」にあるゴミブルーポスターを指し示すと「政男さん、何者!??」と笑い、さらに「Chapter.5 ことば」に展示された書の現物や「これも政男さんの♡」と名作「Tバック」を紹介したりしているうちに、EXPOそのもの、あるいはスウィングそのものへの関心を深めてくれたようで、その後は丁寧に各チャプターを見て回ってくれていた。

EXPOの狙いのひとつというか、スウィングが常日頃からこだわっていることに「多面性」がある。「アートやってるとこでしょ?」「そうだけど、それだけじゃないです!」「ゴミ拾いやってるところでしょ?」「そうだけど、それだけじゃないです!」「子どもと遊んでるところでしょ?」「そうだけど、それだけじゃないえです!」。ある言葉や概念(例えば「障害」「アート」「NPO」)に付与され、固定化された「規定値」を揺さぶるため、世知辛〜いこの社会をちょっとでも柔らかく面白くするため、多面的な実践を展開することを心してきたわけだが、「親の年金をつかってキャバクラ」という書を入り口に「増田政男」というひとりの人を紹介しようとするとき、ゴミブルーだったり、詩人だったり、フリーペーパーに登場する人だったり、会場のあっちゃこっちゃにいるではないか。つまりスウィングという組織が志向してきた「多面性」が、スウィングで活動する個人個人にも当たり前に反映され、そしてこのEXPOでもちゃんと息づいていることに気づかされたのである。そして「ひとりの人」をきっかけにして数珠つなぎ的に場内を案内するという、企画者である僕たちも想定していなかった「新たなEXPOガイドの仕方」を生み出されたのも、彼らとの偶然の出会いの賜物なのだ。展覧会って生物!!!

2. 猛烈に生きづらい社会
スウィングにはこの世界に生まれ、この社会で生きてゆくことに(かなり強めの)「生きづらさ」を感じざるを得なかった、あるいは感じ続けている人がとても多い。それを「障害者」という言葉でひとまとめにしてしまえば簡単であるが、例えば一応、建前上、「健常者」とされてきた僕自身にも激しい「生きづらさ」はずっとあるし、事実、障害の有無を問わず、老若男女を問わず、この社会は呆れるほど安心感に乏しい「猛烈に生きづらい社会」なのではないだろうか。普通、常識、効率、生産性、上昇志向、社会的ラベル等に彩られた、余りにも狭量で画一的な価値観や固定観念に囚われ、逃れることができない、逃してくれない。それらに向き合い突破し、あるいは突破できずともなんとかやり過ごしながら、僕たちはときに戦いもがき、ときに諦め手放し、この世界を生き延びてゆくしかないのである。

●振り返る!
「Chapter.5 ことば」に長時間とどまり、熱心に詩を読み続ける人が数多くいた。その多くはすんげーくだらない下ネタを書いているかと思えば、唐突に生きることの深い苦しみを、飾らない、けれど抒情的な言葉で織りなす向井久夫の詩作品の数々に惹かれたらしく、その気持ちはものすんごく分かる。ある若い男性が清々しい笑顔を浮かべながら言っていた言葉、「むき出しっぷりがハンパないですね」、ものすんごく分かる(そしてそんな風に素直な感想を言葉にできる彼のことも、ものすんごく素敵だと思った)。僕は向井さんのことを「障害者」というフィルターを通して見たことは一度たりともない。けれど向井さんが、「障害者」なんて言葉では片付けようのない、とてつもない「生きづらさ」を抱えながらその半生を生き、そして多くのことを諦め手放し、それでも今なお、苦しみの日々を送っていることは知っている。あるいは向井さんは、何かを諦め切れていないのかもしれない。諦め切れないからまだ苦しいのかもしれない。でもそんなこと、どうだっていいじゃないか。彼は今、現に生きていて、そしてそんな向井さんの詩を読み耽っていた「生きづらさ」の意味を知る人たちも、笑い、泣き、確かに生きていたのだから。

会期中盤、EXPOの首謀者4人(僕と亀井と坂田佐武郎氏と成田舞氏)と、HAPS(東山アーティスツ・プレイスメント・サービス)の藏原藍子さんを招いてEXPOについて語り合ったトークイベントも満員御礼、大盛況であった。参加者の大半が若者たちであったことは嬉しかったし、どんどん質問や意見が出されたことも嬉しかった。また、どういう話の流れだったか成田舞氏がスウィングを評して「聖域をつくらない」と語っていたことが印象的だった。これは先に書いた「多面性」&「むき出しっぷりがハンパないですね」にも通じるのだが、スウィングは「世間があるマイナーな対象(やはり例えば「障害」「アート」「NPO」)に対してこう思いたいだろう像」を裏切り、僕たちなりに更新し続けてきたように思う。それは自覚的な試みでもあったし、本当のことを見せ続けた結果、勝手にそうなったとも言える。それを「聖域をつくらない」って、なんて上手いこと言うんだろう。「世間があるマイナーな対象(やはり例えば「障害」「アート」「NPO」)に対してこう思いたいだろう像」ってどんだけ下手クソやねん…。上手いことは言えなくとも一生懸命に話すことはできる。高知会場でもトークイベントございますので、ぜひぜひご参加ください!
→2018年9月15日(土)ー 12月2日(日)親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO/藁工ミュージアム(高知)

3. 言葉は後からついてくるもの
スウィングの「既存の価値観や固定観念を揺るがせる」「ギリギリアウトを狙う」「OKやセーフの余白を広げる」「日常に『抜け』を創る」等のコンセプトを俯瞰してみたとき、かなり確実な手触りを持って「ソーシャルアート」や「社会芸術」といった言葉が思い浮かぶ。が、その正誤は僕たちには分からない。結局のところ「これはアートか否か?」という問いに対する答えは、一人ひとりの感性に委ねられているのだから。いずれにせよ、言葉は後からついてくるもの。そこに依りかかりすぎてはいけないし、酔ってしまってはいけない。

●振り返る!
この「ソーシャルアート」や「社会芸術」然り、「市民活動」や「社会福祉」も然り、スウィングの何かを誰かに「伝えるため」に語っている言葉の多くは、スウィングの日常に在る言葉ではない。こんなん、誰も言ってない。EXPOに来場してくださった方はまさに多種多様であったが、ある人は「めちゃくちゃ愚直な市民活動ですね!」と言ってくださり、別のある人は「これはまさしくアートですね!」と言ってくださり、また別のある人は「ここにあるのは愛ですね!」と言ってくださり、どの言葉も本当に本当に嬉しかった。僕たちがしていることは変わらない。でもそれを評する言葉は人によって全然違う。「言葉は後からついてくるもの」である。

スウィングの実践、あるいはEXPOにこれだけの振り幅があることを誇らしく思うし、それは僕たちが何かの言葉を起点にするのではなく、「いいな!」とか「おもしろいんじゃないかな!」とか思うことをシンプルに実践し、表し続けているからなのだと思う。その一方で、例えば「これは悪魔の諸行ですね!」とか、納得がいかない言葉を付与されたとしたら僕はどうするだろうか…と考える。起こってもいないことを考えても仕方ないが、そんな場面に出くわしたときにはケツの穴をすぼめて反発をしたり、「ああ、そういう見方もあるのか」とケツの穴を広げたりすればいいのだと思う。

4. 敷居を下げること
「EXPO」という言葉の持つ、ポップでチープでどこかワクワクするような感じ、カッコよさとダサさ、未来っぽさとレトロ感の同居。それらはギャラリーや美術館という、若干シャレオツさ漂う場の敷居の高さを絶妙に下げてくれるように思う。イメージ、先入観、偏見等によって縁遠かったものとの距離がグッと縮まり、自分の中に予めある「回路」と繋がる、身近になる。それは自分の内なるものが揺らぎ広がる、とても素敵な瞬間なのだと思う。この「SWING EXPO」があなたの心のどこかと繋がり、ほんのちょっと世界の見え方を変えるきっかけになればいいなと願う。

●振り返る!
「EXPO」という言葉のみならず、「敷居を下げること」はスウィングが一貫して取り組み続けているテーマのひとつだ。難しい言葉やカッコいいっぽい言葉や内輪の言葉を使ってみても、伝わらないのでは意味がない。EXPOは5つのチャプターに分けて展示を構成しているのだが、各チャプターはそれぞれ、「Tシャツ」「軍手」「G」「紙」「ことば」と名付けられている。恐らく誰の日常にもあるだろう、親しみやすい「共通言語」を入り口にしようと考えたからだ。この効果がいかほどのものであったかは分からないが、各チャプター名からはじまる約700字のテキストを書き上げるのはなかなかの苦行だったこと、成田舞氏撮影の大判写真、そして坂田佐武郎氏デザインのパネルがめちゃくちゃカッコよかったことは間違いのない事実だろう。

また、京都の街中! ド真ん中! に立地し、にも関わらず誰でも気軽に入れてしまう「同時代ギャラリー」という稀有な場を会場としたことも想像以上の大正解であった。来場者数を数えないのはスウィングの伝統のひとつであるが、老若男女や国籍や障害の有無を問わず、本当に大勢の、いろいろな人が足を向けてくださった。実感としては知っている人半分、知らない人半分くらいの割合だったように思う。他府県からわざわざEXPOのためだけに来京してくれた人も少なくなかったが、たまったま通りがかりにやって来て、それでいてス〜〜と帰ってしまうのではなく、EXPOの何かがハマってめちゃくちゃ長居をしてくれる見知らぬ若者たちが数多くいたことが何より嬉しかった(そして個人的には小学5年生の頃の同級生が突然やって来て、30年振りの再会を果たせたことにMAX興奮した)。

ところで今さらであるが、「Chapter.1 Tシャツ」は芸術創作活動「オレたちひょうげん族」、「Chapter.2 軍手」は清掃活動「ゴミコロリ」、「Chapter.3 G」はスウィング最年長Gさん、「Chapter.4紙」はフリーペーパー「Swinging」と京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」、「Chapter.5ことば」は詩にまつわる展示をしているのだが、会期前半はそれほど人を集めなかった「G」や「紙」チャプターに、日を重ねるごとに長期滞在してくださる人が増え、とりわけ終盤、「Gさんが良かったです!」と言う人が激増したのは不思議だった。

1日1日、EXPOという場が熟成され、いきなりGさんという知らない爺さんと直面しまくるなかなかのディープゾーンへも、だんだん入りやすくなったのかな…という僕の見解は、勝手な思い込みなのかもしれない。また、韓国から来てくれた女性は「面白かったんだけど、でも、あそこだけなんでいきなり人なんですか?」と尋ねてくれた。確かにそうなのだ。他はスウィングの実践やモノ・コトを展示しているのに「Chapter.3 G」だけGさんという「人」オンリー!

理由1はそのまんま。いきなり人を見せたら面白いんじゃないか、という思いつき。が、あんまり生々しい人だったらリアルすぎて「圧」が強すぎるかもしれないから、だいぶ人から遠ざかりつつあるGさんがいいのではないか、という考察。理由2はGさんというキャラクターが持つ力。Gさんが日常の中で生み出すオモロ際どいエピソードの数々は、天然ボケ、知的障害、認知症というトリプルパンチのどこから生み出されるものなのか皆目分からず、そこにはただGさんという人が揺るぎなくいるだけで、社会から付与されたラベルはほとんど意味をなしていない。つまりGさんという人は、「既存の価値観や固定観念を揺るがせる」「ギリギリアウトを狙う」「OKやセーフの余白を広げる」「日常に『抜け』を創る」といったスウィングのコンセプトをナチュラルに体現し続けている人なのだ。…といった具合に説明をすると、その女性もものすごく納得してくれたのだった。ちぇき。

「親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO」京都展を振り返る!。書き出してみるとやっぱりいろんな光景やそのとき感じた思いが蘇ってきて、その全てをここで表し切ることはできなかったが、総じて「予想以上の大成功だった!!!」と言えるかと思う。
この企画をおよそ1年に渡って共に練り上げてくれたかめちゃん(NPO法人スウィング)、坂田佐武郎さん(Neki inc.)、成田舞さん(Neki inc.)、そして坂田氏と共にデザインしまくってくれた桶川真由子さん(Neki inc.)、パネル印刷からキャバクラ風看板から設営作業から隅々まで力借りまくったアズモクラフトの皆さん、大阪から駆けつけてくれ深夜まで設営をしてくれたMICROCOSMOSの皆さん、京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」のプロデュースやらゴミの英訳やら惜しみない協力をしてくださった美馬智さん、長期間に渡り本企画の実現をサポートしてくださった同時代ギャラリーの皆さん、まだ何もできてもいないのに企画段階から深い共感を寄せてくださり協力者となってくださったcon*tioの杉千種さん、山口里佳さん、藁工ミュージアムの松本志帆子さん、このほか多大なるご協力をいただいた皆々さま、そしてアッツイアッツイ中をご来場いただいた全ての皆さまに、この場を借りて深く深く感謝申し上げます。
なんだか終わりの挨拶みたいになってしまったが、EXPOはこの後も、そして2019年度も続いてゆく。まずはもう目前! 9月15日(土)から「藁工ミュージアム」ではじまる高知展!
→2018年9月15日(土)ー 12月2日(日)親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO/藁工ミュージアム(高知)
ありがたいことに長い会期です。高知の皆さま、四国の皆さま、地球上の皆さま、ご来場を心よりお待ちしております!!!
木ノ戸
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