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【クソ真面目エッセイ-16】世界が芸術「的」でありますように。

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芸術とは何か。と、訊かれて必ず思い出す光景があります。 かつての僕の家のベランダには、鉢植えがいくつかありました。おそらくバジルを植えて、食べて、そのまま一年程放置された鉢植えや、ルッコラだった鉢植え。そのどれもが、種から芽吹き、ひとしきり悦んで食べられたのちに、食べられきれないほどの葉を繁らせ、花を咲かせました。「こんな花だったんだ」というわずかな心の膨らみを僕に与え、やがて枯れて、翌年には少し干からびた土を抱える器となりました。室外機とともにベランダに並んだ鉢植えたちは、一年間だけの小さな農としての役割を終え、中長期的な気まぐれに左右される次の出番を静かに待っていたのでした。 ベランダに並んだかつて小さな農だった鉢植えたち。その一つに、身に覚えのない花が咲いているのを発見したのは、翌年か翌々年か、ともかく干からびた器の存在を気に留めることもなくなったある日の夕方だったと思います。

 

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芽吹くはずのない器から芽吹き、咲いた、一つの花。もともと土の中に種があったのか、鳥や風に運ばれてきたのか、その出自はわかりません。いずれにしても、僕の知らないどこかから運ばれ、いつの頃からか土のなかで淡々と芽吹き支度をして、必要なだけの陽と雨を浴び、誰にも気づかれぬうちに葉を広げ、健気に花を咲かせ、地上で僕と出会った。まさかの一つの花が目の前にあったのです。それは、日常のなかに密かに準備されたささやかな奇跡でした。その奇跡が広げた想像力の翼の感触を、僕は今でも鮮明に覚えています。僕の想像力は―わずかな時間ではあったけれど―空間的にも時間的にも日常から飛び立ち、その翼に新鮮な風を受けたのです。

 

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芸術は、人を日常から解放する。僕はそう思うし、そう信じたい、といつも答えてきました。日常とは、棲み慣れた価値観でもあり、予定調和な時間でもあります。僕たちがいつのまにか慣れ親しんでいる常識でもあり、無意識の初期設定が支える世界でもあります。芸術は、そのような既知の景色のなかで、あらたな感受性へと誘うことができる。この一つの花のような機能を、世界にまさに芽吹かせること。それが芸術の役割だと思っています。

 

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そう僕は迷いなく書きますが、あなたにとってはどうでしょうか? 芸術とは何か。少しのあいだ、あなたの答えを探索してみてください。おそらく迷いなく答えることができる人は、実はそれほど数多くはいないのではないか、と僕は思っています。そこには、わずかながらの勇気、あるいは、ある種の覚悟までいるように思いますがいかがでしょうか? そこで、芸術「的」とは何か。と、問を変えてみようと思います。同じく答えを探索してみてください。今度は、わりとすんなりと言葉にできるように思います。自身の人生を少しだけ振り返れば芸術「的」だった経験は少なからず探し出され、その質感を言葉にすることで答えることができるように、僕は思います。いかがでしょうか。芸術を問われればうまく答えられいけれど、芸術「的」を問われれば、ビートルズも村上春樹も、母の料理も息子の笑顔も、わりと胸をはって、芸術「的」だと、答えることはできる。僕はそう思っています。

 

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この芸術と芸術「的」の間にあるもの、それが社会というものだと、僕は思っています。芸術「的」が社会化されると芸術という概念になる。言い換えれば、芸術とは共通の価値観や認識に支えられている。一方、芸術「的」は、「芸術としての特性を備えているさま」などと、辞書には答えのようで答えていない記述が載っています。そう、芸術としての特性を備えているかどうかを決めるのは各自に委ねれているのです。答えが社会の側にあるか、個人のうちにあるか、その差がそこにはあります。 身の周りを見渡せば、同じような構造に溢れているように思います。芸術を仕事、教育、優秀、健常…と置き換えてみてください。社会の初期設定と化した価値観、自分の外にある正解のもとに僕たちは生きています。その全てに「的」を付けて、自分の側に引き寄せる。その全てに「的」をつけて、柔らかで緩い価値観にする。それが、僕の肩書きである社会芸術の第一歩です。そして、各々が一つの種をこの世界に仕込みましょう。いつの日にか、たくさんの花が咲く世界の訪れを願って。世界が芸術「的」になる日を願って。

(フリーペーパー「Swinging Vol.23」より転載)

 

文・桜井肖典(さくらい・ゆきのり)

デザインコンサルティング会社を経営後、2013年よりイノベーションプログラム「RELEASE;」を主導、現在まで国内外で6,000名を超える参加者へ講演やワークショップを重ねる。「芸術と社会変革のあいだ」でカテゴライズされない活動を展開する社会芸術家であり起業家。一般社団法人RELEASE;共同代表、オンラインメディア『PLAY ON(http://playon.earth)』発起人。

 

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| フリーペーパー『Swinging』掲載! | 14:09 | comments(2) | trackbacks(0)
コメント
>おかるさん

こちらこそありがとうございます。
このエッセイはフリーペーパー『Swinging』に掲載されたものなのですが、次号(8月中旬発行予定)掲載のエッセイもよいですよー!

| kinoto | 2019/08/01 3:54 PM |
はじめまして。
「芸術は、人を日常から解放する」とても頷けるし、素敵だなって思います。
私には解離があって、よく感覚がどこかへいっちゃうんだけど、絵や音楽で"私でしかない私"にかえってこれることがあります。それこそ、日常の"妻や母としての役割の私"から逃げ出したくなっちゃうんでしょうね。その度に、その"役割"って何なんだ?と考えさせられます。
この記事を読みながら、このまんま揺れながら、行ったり来たりをするのがいいのかなぁ〜なんて感じました。
ありがとうございます。
| おかる | 2019/07/29 10:09 AM |
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