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【特集】精神科医×芸大教授×ドシロウト 〜「身体性」と「目に見えないモノ」〜

 

「心」ばかりを大事にしちゃって、「身体(カラダ)」をないがしろにし過ぎてるんじゃないか? 

「目に見えるモノ」ばかりを信じちゃって、「目に見えないモノ」をおろそかにし過ぎてるんじゃないか? 

「物」はたくさんあっても、どうにもこうにも息苦しいこの世の中。

「心」や「目に見えるモノ」ばかりに振り回されるのはもうイヤイヤ! 

「身体」ももっと大事にしたいの! 「目に見えないモノ」ももっと大事にしたいの!!

 

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蓑島豪智(みのしま・たけとも)

いわくら病院院長、WRAPファシリテーター。1968年生。1994年京都大学卒業、1998年京都大学大学院退学。おもしろそうだなと大卒後すぐに飛び込んだ脳科学研究の道。うまくいかず元々目指していた医者になると決め、悩んだ末選んだのが精神科。理詰めで進路を考えたけど、最後は感覚的に決めた。脳という切り口から入った臨床の世界。今はそれも大切だけど、病院への入院中心から地域生活中心に改革を遂げたイタリアに触れて人間くさいことの大切さに目を開かれ、病気があっても当たり前に地域で暮らすこと、病気があって凝縮して滲み出てくるその人らしさに心打たれながら、まだまだ入院医療の占める割合の多い日本の精神科医療のあり方を何とかしたくて精神科病院の現場にいます。

 

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水野哲雄(みずの・てつお)

京都造形芸術大学名誉教授。1948年生。1972年京都工芸繊維大学大学院修了。ヴィジュアルコミュニケーションデザインからビデオアートを展開。1978年から京都芸術短期大学ビジュアルデザインコースの教員となり、映像コース、京都造形芸術大学情報デザイン学科、2003年〜2006年芸術基礎教育センターを経て、2007年に新設されたこども芸術学科で教鞭をとる。2014年に同校を退職後、名誉教授となる。芸術基礎、ベイシックデザインを専門とし、アートやデザインが社会課題を解決することを希望に活動している。「こども」と「アート」の視点で生き方を捉え返すアートと福祉の交差点、アトリエ「み塾」、生活ゴミの資源化を基にエコライフの愉しさを実践する場、「暮らし工房」を主宰し追求中。

 

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木ノ戸昌幸(きのと・まさゆき)

NPO法人スウィング理事長。1977年生。立命館大学文学部日本文学専攻卒。NPO、演劇、祇園のスナック、遺跡発掘等々の活動・職業を経て、「毎日笑えるよ」という友人の勧めで障害のある人に関わる仕事に就く。2006年、NPO法人スウィングを設立。人の「働き」を「人や社会に働きかけること」と定義し、芸術創作活動「オレたちひょうげん族」、清掃活動「ゴミコロリ」、京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」等々の活動をプロデュース、障害の有無や対価の有無をとっぱらった「NPO」(=市民団体)、「一市民」としての創造的な取り組みや発信を通して、社会をオモシロく変えてゆきたいと願ったり願わなかったり。黄色が好き。でも青も好き。ちなみにホントは赤も好き。

 

 

「縁」に導かれて♡

木ノ戸:昨年の年明けぐらいから僕自身、調子が悪いというよりも、すごく内面に深く潜りこんでいくような時期があったんです。それはまぁ、しんどかったですし病名が付くような状態だったかもしれないけど、自分としては病気ではなくって、自分にとって必要な作業をしていると感じてたんですね。で、最終的に得た答えみたいなものを「身体性」と「目に見えないモノ」っていう言葉で表現しはじめたんですよ。

水野:なるほど。分かる、分かる。

木ノ戸:「目に見えないモノ」のひとつとして「縁」というものも思ってるんですが、今回このテーマでゆこう! と決めたとたんに、ドンピシャのタイミングで水野先生の「身体性」に関するテキストが目に飛びこんできたんです。偶然と言っても必然と言ってもいいんですけど、内容にもものすごく共感しまくって、「縁」だなあと。

水野:ありがとうございます(笑)。

木ノ戸:蓑島先生からも同じようなタイミングである研修会の案内メールをいただいたんです。「うわ! 来た!」って思って。その研修会自体も素晴らしかったんですけど、もう「来た!」と思ったんですね。そんなにしょっちゅうメールを交わすほど仲良くはない。でも、お互いすごく好き合ってると僕は思ってるんですけど(笑)。で、先生はこの座談会の参加を迷われたみたいなんですけど、最終的には「何かのご縁だから」という言い方をしてくれたんです。

水野:「岩倉」[1] という地は聞きかじりですけど、非常に高貴な方がちょっとおかしくなって、で、お隠れになるというか、井戸かなんかの水を飲んで良くなったと。そういう謂れがやっぱりもともとなんですか?

蓑島:史実として、文書レベルで残っているものはあるみたいです。

木ノ戸:僕は中学校の教科書で「岩倉」を習いました。やっぱり日本の精神保健医療、発祥の地で間違いないんですかね?

蓑島:まぁ、いくつかあるんですけど、そのうちのひとつということですよね。

水野:蓑島先生は患者になったことはあるんですか?

蓑島:僕は医療機関にはかかりませんでしたけど、でも大学院生の時に一時「鬱」でした。

水野:みんなあるような気がするんですけど。僕は入院まではいかなかったんですけど、一応通院で薬を4年ほど飲まされましたね。あまり飲まなかったんですけどね、アルコールは飲んでましたけど(笑)。

全員:(笑)

 

[1]京都府京都市左京区南部に位置する地域。

 

肥大化する「視覚」

水野:「身体性」って身体をどう見るかによるよね。「心身」って言うじゃないですか、「心」と「身」。その「心身」というのを分けるんじゃなくて、どう繋がっているのか、どう関わり合っているのかというところに興味はありますね。

木ノ戸:昨年の11月に「アートミーツケア学会」[2] の札幌大会に参加させてもらったんです。そこで、ある講師のお坊さんと個人的に話す機会があったんですが、ものすごく興味深い話をささっとしてくれて。お経も元々は身体が先なんやと。身体から立ち上がったものを言葉として表したものであって、言葉が先じゃないんだという話で「あぁ、なるほどな」と思ったんですね。

水野:美術でもそう言うからね。絵を描く時にまず身体で描きやって。絵はテクニックで描けるもんじゃない。身体が何か感じたり思ったりしてるからキャンバスに投影できるんですよね。ある時、大学の山で木を一生懸命描いてる子がいて「木の根っ子のグ〜ッ! と立ち上がっている感じをどうしたら上手く描けるんですか?」って聞いてきたから「抱いてみ」って言ったの。素直な子やったから木に抱きついて、そしたら「何か分かるような気がしました、ありがとうございます」って。

木ノ戸:もっと五感ですよね。みんな同じぐらい大事なはずなのに、目からの情報にすごく今、囚われてるような気がします。情報の80%だか90%が視覚からって言いますけど、もともと目ってここまで大事だったのか? って疑問に思います。

水野:特にビジュアルの世界は道具がどんどん進化していって、どんどんメディアが発達していって、「こんなことができたらなあ」が身体を使わなくても何でもできちゃうようになった。すごく視覚が肥大化してイマジネーションの世界が簡単にリアルにできるようになって。頭でっかち、イメージでっかちになるね。そうなってくるとやっぱり身体は正直なもんで、疲れちゃうっていうかついてゆけなくなっちゃう。

木ノ戸:身体的に何も感じるものがないし、イマジネーションがイマジネーションじゃなくなりますよね。

水野:そう。何でもできちゃうと人間すぐ慣れちゃうからね。

木ノ戸:メガネを外すとぼやけますよね。視覚情報が鈍ってすごく楽なんです。スウィングの朝礼や終礼はいつも大体20人ぐらいでやってるんですけど、ある時、10人ぐらいやったんですよ。その楽さがすごかった。同じ空間にいる人数が少ないことのリラックス感をすごく感じたんです。いつもは喋らない人がすごくいい表情をして喋ったりとか。

水野:それと似たような経験、僕もあるんですよ。教師という立場にあったからやっぱり30人、50人を前に喋る。どうやったらいいんだろうと分からなくなって、そんな時にある人が「目の合う子に話しかけな」って。そうすると2人のその関係が広がるんだよね。たくさんいようが一対一の関係でいいと思えたからそれで救われた。蓑島先生はどうですか? 基本的に患者さんとは一対一という状況ですよね? 

蓑島:う〜ん。

木ノ戸:先生、言葉選ばないで下さいよ。ちゃんと原稿見せますんで。ダメなものは後でちゃんと消しますんで(笑)。先生がスウィングに来てくださった時、「やっぱり現場の人には敵わない」って言ってくださったんですね。覚えてはりますか?

蓑島:言いました?

全員:(笑)

木ノ戸:言ったやん!

水野:それはどういう意味やったんですかね?

木ノ戸:どういう意味やったんですか? 覚えてないでしょうけど。

全員:(笑)

蓑島:僕の中で「そもそも何で病気になるのか?」っていうところが引っかかっていて。最終的には病気と呼ばれるしかないものにたどり着いちゃうと思うんですけど、でもそこに至る過程は当たり前の悩みだったりとか苦しみだったりとか、そういう段階があるような気がしているんです。でも、医療という現場にたどり着かれるにあたっては、それこそ病気としか呼べないような何かを携えて来られることになるから、普通に症状が拾われて、それをもとに「病名はこうです、だから治療はこうです」みたいな流れになっていくと思うんですね。それはそれで必要だとは思うんですけど、ただそれで「病気を減らしたい」とか、「治したら終わり」とかではないような気がしていて。やっぱりその人の生活とか文脈に根差したものが、そういうやり方だと置き去りにされちゃう。そうなるとまた同じようなことが繰り返されるだろうし、そうじゃなくても、その人のことなのに何か医療の問題みたいになって、変なことが起こっているような気がしています。

木ノ戸:病気ってお医者さんが病気って言ったら病気になるじゃないですか? お医者さんが病気扱いしなければ病気じゃないんでしょうか?

蓑島:そこが本当に難しいなと思っています。やっぱり相対的なものだろうなと思っていて。ある一線越えちゃうとやっぱり病気としか言えないようなところもあるかな。

木ノ戸:でも、それを許容できる社会であれば、病気にはならないということですよね?

蓑島:そうです。最先端の薬や医療が使える国よりも素朴な国のほうが予後が良いという研究もありますね。それはそうだろうなと思います。単純に病気として切り取られて治すべき対象として扱われて「どの薬が当てはまるか」「薬がダメなら電気ショック」とか次々にいろいろな「治療法」というものが当てはめられていく世界と、「ちょっと変わってるけどそれもいいよね」と受け入れられる世界にいるというのとでは全然違いますよね。

 

[2]人間の生命やケアにおけるアートの役割を研究する場として、またアートの力を社会にいかしていくためのネットワークとして2006年に設立。

 

「心」はどこにあるのか?

木ノ戸:僕はスウィングをはじめて半年ぐらい経った時に急に発作に見舞われて、いわゆるパニック発作やったんですね。あれは発作が来るかも分からない…という予期不安、それが発作を起こすらしいんです。

水野:地震みたいなもんやな。

木ノ戸:で、恐らく5年ぐらい服薬もしたんですけど、ある時から積極的に発作を呼びこむようにしたんです。

蓑島:すごい。

木ノ戸:例えば車を運転しながら「来いっ! 来いっ!」って具体的に言ってたんですよ。歌とかも歌ったりして。

水野:どうなったん?

木ノ戸:そしたら来ないんですよ。発作を歓迎しよう! とシフトチェンジしたら起こらないんですよ、全然。

蓑島:そういうのはね、森田療法[3]の中で「恐怖突入」っていうものがあって、苦手な場面に対してどんどん身を置いていくっていう。あとは認知行動療法[4]によって苦手な場面に身をさらしながら、その状況に慣れていくみたいなところなんですけど。

水野:「プレッシャーを楽しむ」みたいなことかな。

木ノ戸:どうせ起こるものであれば、こちらから歓迎しよう! という開き直りですね(笑)。身体的に声を出して脳が生み出す不安へ反攻するという。僕はそういう経験もあって脳じゃなくって身体が先なんちゃうかなって思うんです。脳が大活躍しすぎ! って。

水野:どうですか、蓑島先生?

蓑島:今の精神医学はやっぱり心は脳の中にあるって仮説して、分かる範囲を突き詰め尽くそうとしているように見えるんですけどね。僕もそうできたらいいだろうなあと思ってたんです。もともと精神科やる前には高次脳の働きに単純に興味があって、脳科学をやってる大学院に入ってたんです。その中でいろいろなことが分かってくる状況を見ながら、そういうことの延長でいつか説明がつく時代がくるかもしれないなと思ってたんです。だけど実際に医者をはじめたら、そんな簡単なことではないなって思うようになったのは実感しますね。

水野:脳は単なるスイッチだと思うんですよ。感じた情報をフィルターにかけるわけでしょ、役に立つとか立たないとか。今、僕3歳児と付き合ってるんですけど、4月、5月は宇宙人ですよね。9月、10月になると一応人間っぽいコミュニケーションが成り立って、2月、3月になるとすっかり地球人って感じになる。植物でもそうだと思うんですよ。種飛ばして、そこに根付いて、根を張って、頭を出して。温度とか水とかそこの環境に順応して、対応できたものが育つんですけどね。子どもも同じでさ、実生の芽吹いてくる在り様が見えてくる。

蓑島:僕、悩んだりすると、とことん悩んで閉じこもって動かなくなるんですけど、悩みが底尽きると動きたくなるんですよね。若い時だったら走りはじめたりしてその中で何か言葉が戻ってくるというか。ついこないだで言うと経験したことのない物凄い痛みに襲われて本当につらくって病院に行ってみたけど何も見つからなくって。でもある時、自分が言い出した仕事がいくつかあって、それが一通り終わった瞬間にパッ! と悩まされていた痛みが消え去って「なんやストレスやったんか」みたいな。

木ノ戸:身体は先に気づいてるわけですよね。

蓑島:そうですね。

木ノ戸:その感覚が大事なんじゃないかなと思うんですけれども。でも脳が作った「気持ちらしきもの」が優先されて、痛みとか身体の声がなかなか大事にできない。

蓑島:ある方から「身体全体の細胞が喜ぶことを大切に生きていく」という話を聞いて、そうだなと思って。身体は知っているのに頭が働いていろいろ理屈つけて抑えられてしまっているんですよね。身体の細胞が喜ぶことに向かっていくとたくさん困難もあるけど、自分なりに努力してベストを尽くす。その積み重ねの中で次々に扉が開きはじめて必要な人が集まったりとかお金が集まったりして目標が形になっていく。そういうもんじゃないのかって話してくれて、本当にそうだなと思いました。

木ノ戸:いろんな邪魔なものを取っ払って本当に自分が進みたい方向に進んでいくということを重ねていけば、道は開けていくと思うんです。スウィングを作るにしても、何の裏付けもなければ計画性もほとんどなかったです(笑)。

水野:でも、それって創作のプロセスとよく似てるよ。最初から最終形態のイメージがあるわけじゃなくて、何となくぼや〜っとしたものはあるけどね。やって、いじってる過程でだんだん「これが作りたかったのか」と逆に素材などから教えられる。だから創作の過程というのは作業じゃないんですよね。設計図があってそれに従ってやるのではなく即興と一緒です。最後どうなるんだろう? こっちのほうが面白いかな? とかやりながら、設計図も書きながらみたいな。そうしていい作品ができた時は自分にすごく発見がある時。

蓑島:それって理詰めの研究でもそういうものなんだなと感じさせてもらっていて。実験する時もある程度「こんなこと試したらこんなことが起こるんじゃないか?」と想定してやるんですが、その通りのことが起こってもそれは大した研究じゃないんですよね。いい研究というのは想定したことから外れたことが出てきた時。出てきたことにちゃんと目を開いて何があるのかを見て気づけた時に大転換が起こって、これまで想定もしてなかった面白いことが出てくる。

木ノ戸:「こうなるに違いない」という確定的な仮定を持ってはじめたことって、その仮定に沿って動いていく気がするんです。実際に動いているのか、そう見えるだけなのか分からないですけど。

蓑島:何か降ってくる気がするんです。本当の意味で震えるようなことって降って来るような気がする。あまり自分の考えの範囲の中でやっていることって驚きも少ないし、喜びも少ない。思っていること、言いたいことがあるから投げかけてみるんだけど、その結果、想定外のことが起こって一時的に批判があっても、そこを乗り越えてやっていくと「化ける」というか。やっぱりそういう掛け合いの向こうに面白いことが転がっていると思う。

 

[3]精神医学者・森田正馬(もりた・まさたけ)によって創始された精神療法。対人恐怖や広場恐怖などの恐怖症、強迫神経症、不安神経症、心気症などが主たる治療の対象とされる。 [4]「認知」(現実の受け取り方やものの見方)を修正することで、気分や行動を変化させようという治療法。

 

話し言葉 vs. 書き言葉

木ノ戸:言葉が目に見えるものか、見えないものかっていうのもすごく難しい問題だと思うんです。話し言葉って耳から入ってくるけど、その点、書き言葉は目に見えて残ります。蓑島先生は患者さんと対面する時に話しながらカルテに書くわけですよね? 何か切り分けがあるんですか?

蓑島:僕は医学教育的には悪い書き方をしてると思うんですけど。聞いたまんまに書いていくんです。たぶんそれは僕の特性で、音で聴いたことを途中まで本当にできるだけそのままにカルテの中に収めていくんですね。でもそれは、その人の「声」を聴くステップのような気がしていて、聴こえてきたら突然やめてる自分がいるんです。向き合って入っていくまでの準備段階みたいな感じでいますね。

木ノ戸:カルテとして成立しないんじゃないですか? 途中までは書いてって(笑)。

蓑島:そうですね、途中からスタンスが変わっちゃってるので(笑)。ただ、そうやってその人の状況や今が語り出されて紙に紡ぎあげられていく中で、何となく「そうなのか」みたいなのが自分の中に芽生えてくると、そこでちょっとやり取りをはじめたりして。そんな感じかなと思います。

木ノ戸:話し言葉は耳から入ってくる分、自分の都合のいいように解釈したり、あるいは都合の悪いように解釈してしまう可能性がありますよね。

水野:その時にね、僕は「声」だと思うんですよ。言葉じゃなくてね。言葉というのは意味が含まれてくるでしょ。そうじゃなくて、ただ発語するというか。乳幼児の「声」はまだ言葉になってないけど、何かすごく分かる。

木ノ戸:政治家の発言が信じられないとか、そういうことですよね。

全員:(笑)

木ノ戸:いくらいいこと言っても、こいつは嘘ついてるっていうのがバレちゃう(笑)。

水野:そう、そう、そう。

木ノ戸:言葉以前に何かがあるという。

水野:思いなり、発する何かね。「聞いて!」ということなのかもしれませんけどね。

木ノ戸:書き言葉はもう揺るぎようがないじゃないですか、だって書かれてるし消えないものですから。それをどう解釈するかは、見た人がどうかってのはありますけど、話し言葉ほど自由じゃないですよね。

水野:手書きって大事ですよね。でも意外と書き文字もね、違うんですよね。字の形が委縮してるなとか、体裁ぶってるなとか、そういうこと気にせず気持ちがガーッ! と出てるなとか。

蓑島:僕、たぶん話し言葉なのか、書き言葉なのかがポイントじゃないような気がしていて。話し言葉であろうと書き言葉であろうと、行ったり来たりが必要ってことじゃないんですかね。そこがないと一方的になって、こちらの思いとかの文脈の中での理解になっちゃって。

木ノ戸:書くという行為はフィジカルな行為ですよね、そのフィジカルな行為に至るまでの間にワンクッションというか、言葉を選ぶと思うんです。ある程度整理して、どう伝えたらいいのかってことを考える。僕らのいる業界は特に…かも分からないですけど、言葉で話してるけど伝わってないことって本当に多いんですよ。伝えられる側も分かってないのに「うん、うん」って聞いちゃうんです。

水野:でもね、本当に思いがあって言わずにいられない時って、雄弁になるっていうか伝わるよ。ビヤ〜ン!って。

木ノ戸:それはもう、ちゃんと「声」になってますよね。

水野:「身体性」があるわけか。

木ノ戸:「身体性」のある言葉は人に訴える力があるし、そうじゃない言葉って響かないと思うんです。

蓑島:僕、声ちっちゃいってよく言われるんですけど、でも本当に言いたいことが溜まってきて言う時って、何か自分でも「声」が出てるなって感じるんです。

水野:僕なんか中学の頃、よくクラスで意見とか言うじゃないですか、ミーティングとか。あの時に何か「これ言わなくちゃ」って思うと、胸がドキドキして言えなくなるんですよね。手が上げられなくなるんですよ。「好きです」って言う時でも言えないでしょ、ドキドキして(笑)。

木ノ戸:その時に「好きですって言えない」って言えたらいいですよね(笑)。それが身体の「声」やと思うし。

全員:(笑)

水野:それ言えたら楽だね。そういう発想なかったな。

木ノ戸:例えば、慣用句にも身体がよく出てきますよね。「胸が痛む」とか「目から鱗」とか「肌が合う」とか。僕たちは何気なく理解して使ってるけど、こういう言葉って身体感覚を大事にしているからこそ生まれた言葉なんだと思うんです。

水野:そうですね。

木ノ戸:そして実際、「肌が合う」という身体的な快、不快を出発点にしているからこそ、言葉としての強度を持つんじゃないかと。「同じ匂いがする」とかも、ただの表現としてではなく、実際自分と同じ匂いを身体的に感じたんじゃないかと思うんです。

 

脳のアンバランスと「人」

木ノ戸:僕の中での「目に見えないモノ」の中には「自然」があります。最近やたらと「自然」に足が向きはじめたんですが、例えばさっきまでささくれ立っていた気持ちがちょっとドライブして「自然」に入っていくと、それがもう大転換したりしている。自分の脳がこしらえたものなんて大してあてにならないなあと思いますし、何かもっとこう、大きなものに生かされていることを実感します。「自然」というのは木であるとか川であるとかそれ自体は見えるけれど、そこから受け取るものは目に見えない。

水野:「現象」ですね、それはきっと。「自然」の表れというか。僕の漠然としたイメージでは自分の存在というものは意識している自我の領分とそれ以外の部分があって、その2つの潮の満ち引きのようなもの。自己を主張すればするほど自然的なものが後退していって、逆に自分を空っぽにしていくと「自然」が向こうからやってくる。キャッチボールというか、どちらかだけでは嫌なんだよね。その動き、ダイナミズムが面白いと感じる。

蓑島:さっきの脳の話でも思ったんですけど、木ノ戸さんが言っている脳って高次脳機能だと思うんですよ。ものすごく進んだところの脳の話。

木ノ戸:そうかもしれないです。

蓑島:脳って本来「本能」の部分も扱っているわけで、今はそこの中でアンバランスが起こっていて、脳の中で活躍しているところが限局しているんですね、このあたり(おでこのあたり)に。

木ノ戸:それは臨床の場で実感されますか? いわゆる精神疾患の人って増えてるんですか?

蓑島:話の最初の方に出ましたけど「岩倉」って精神医療領域のレッテルがあって、誰でもかれでも気軽に受診していただけるっていう環境にはなっていないと思います。町のクリニックとはちょっと違うんですね。でもそういう限られたフィルターを通してでも入院されてくる方は変わってきてるんですよね。前だったらはっきりと「鬱病」とか「統合失調症」というような人が多かったはずなんだけど、同じ病名が付いていてもその色合いは変わってきていると思います。そういう意味で言うと裾野は広がってきていると思います。

木ノ戸:なぜ裾野が広がってきたんでしょうか? ある人が「今の時代、精神科を受診すれば誰でも必ず病名がつく」って言ってたんですね。ちょっと「不安なんです」「悩みがあるんです」とか言えばすぐ病名がつくと。そういう「ハードルの甘さ」なのか、そもそも社会の許容値が狭まったのか、どんな感じがしていますか?

蓑島:下世話な話で申し訳ないですけど、今の病院のシステムだと病名がつかないと医療機関で料金が発生しないんです。めちゃめちゃ効率的にやると「睡眠について問題があるか?」「気分について問題があるか?」ポンポン聞いていって、それに当てはまる病名を付けられないわけではないんです。

木ノ戸:ただ問題や課題を抽出するのは楽ですよね。そういうものばかり取り出す風潮って何でしょうか?

蓑島:目の前にいるのは「人」なのにも関わらず、どこか「物」扱いというか。人と人として向き合うとなるとエネルギーもいるし、出されたものに対して反応する自分も出てくるし、その掛け合いの中でややこしいことになる場合もあるわけです。でも、そういうことの向こうに表れてくるのが「人」であるのに、「なまもの」としての扱いが削がれていって「物」みたいな扱いになってしまうというか。それで済んでいくこともあるから、そういうアプローチも否定ばかりはできないですが、いつまでも大変さが残っていく時に、最初のそういうところでの掛け違いが原因で長引いていることもあるかなと思います。

 

再び「縁」について♡

木ノ戸:蓑島先生は今回の座談会を「縁」という風に言ってくださったんですけど、何かそういうものに対するお考えってあるんですか?

蓑島:僕は繋がりを求めつつ外に出られない人間だったんです。固い話なんですが精神科で仕事をするようになって、これからどうしたらいいのかと悩んでいる時に、本当に偶然だったんですが、イタリアの精神医療を見学するツアーがあったんで参加したんです。イタリアには単科の精神病院がない[5]んです。僕は精神医療の見学だけのつもりが、たまたま案内してくれた人が人類学者で、ユダヤの収容所跡にも連れて行かれて。見学が終わった後にぼそっと「これができたことと精神病院ができたことは同じだよね」って疑問を落とされたんです。で、そうやって頭を壊されていく中で、その時に一緒に行った知らなかった人たちと、食事を囲んで美味しいワインを飲んでゲラゲラ笑いながら話をしたんです。そのうち何となく知り合えていくようになって、日本に帰ってからも「こんな面白いこと今度あるんだけど来てみない?」とか誘っていただいたりして。これまでの閉じた世界と変わっていくんですよ。多分この場に来ているのもその延長じゃないかと思うんです。怖いけど自分を出してみた時に、そこに招かれるというか、そういうのは起こるべくして起こるんだと感じます。

 

[5]1970年代に脱精神科病院を掲げて政策転換、1998年には全ての精神科病院が機能を停止し、そのマンパワーとお金を地域支援に注ぎ込み、患者さんの地域での生活を可能にした。

 

2017年5月8日(月)夜の京都にて…

(フリーペーパー「Swinging Vol.22/特集:精神科医×芸大教授×ドシロウト 〜「身体性」と「目に見えないモノ」〜」より転載)

 

※ フリーペーパー「Swinging」は、スウィング賛助会員の皆さまからの会費を原資に制作・発行を行っております。→
※ 全国津々浦々「お! それウチに合うよ! 置くよ!」という店舗さま等いらっしゃいましたら、スウィングまでご連絡ください!(10部〜20部程度)
※ 全国津々浦々「お! あの店に置いたらええんちゃうん?」的な情報がございましたら、スウィングまでご連絡ください! → Tel:075-712-7930 → Mail:swing.npo@gaia.eonet.ne.jp(木ノ戸)
※ 現在の配架先については(情報が古いですが)コチラをご参照ください。→
※ 次号「Swinging Vol.23」は2017年12月1日発行の予定です!

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