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さよなら、アール・ブリュット 〜後篇〜


ひらめき前篇はこちら→

●「アール・ブリュット」ってどんな色?
「障害者アート」=「アール・ブリュット」という間違った構図が定着しつつあるのは、「アール・ブリュット」という言葉が ― 少なくともこの日本においては ― 誰もがどうとでも解釈できてしまう、いわば(まるで日本の政治によく見られるような)「玉虫色」の言葉になってしまっていることも、大きな要因のひとつなのではないだろうか(玉虫って本当にいる虫なの?)。
玉虫の気配は当然ずっと感じてきてはいたが、その確信を得たのは「公立美術館におけるアールブリュット作品の普及・展示活動に関する調査研究事業報告書」(編集・発行:滋賀県立近代美術館/発行日:平成27年3月)に触れる機会を得たことが大きい。この丁寧で真摯な調査・報告には心底感激した。日本の「アール・ブリュット」の現状をここまで詳細に調べ上げ、一冊の報告書にまとめあげるのは並大抵の労力ではなかったろうと思う。心から敬意を表したい。と同時に、この報告書のまとめの部分、「調査の総括と今後の展望/1.アール・ブリュットという言葉の多義性」に目を通すと、調査者による正直な言葉が並ぶ。

「調査を通して見えてきたことは、アール・ブリュットという言葉の受け止め方は、1人1人で微妙に、時には完全に異なっている、ということである。更に言えば、異なる分野でその捉え方が異なるだけではなく、同じ分野の中でさえ、立脚する場所が異なるとまるでまったく別の概念について話し合っているような状況に陥ることがある」(以上、引用)。




…アカンやん。

でも本当のことである。僕、全部、読んだ、一気に。
この業界(?)の名だたるトップランナーたちが、「アール・ブリュット」という、ある「美術」の一ジャンルについて、それぞれがまるで違う解釈を述べているのだ(もちろん一般的に用いられる、よく聞く定義を述べている方もいらっしゃる)。「多義性」と言えば多少聞こえはいいが、つまりはやっぱり「玉虫色」なんである。十人十色どころか100人に聞けば100人が違う解釈を返す、そんな超玉虫な感じの「アール・ブリュット」を公立の美術館が常設展示するなんて、本当に本気でマジなのだろうか?こんなええ加減な言葉を、本当に本気でマジで使っていいのだろうか?しかし「玉虫色」なればこそ、「アール・ブリュット」はその何となくそれっぽい、どうとでも取れる響きを最大の武器として、今後ますます「障害者アート」の代名詞として世間に浸透し続けるだろう。少なくとも2020年まではこの流れはどうにも止まりそうもない。




●ええやん!アウトサイダー・アート!
そもそも「アール・ブリュット」という言葉の前に使われていたのは、今はもうほとんど聞かれなくなった「アウトサイダー・アート」という言葉だった。それがある時期(恐らく2010年頃)を境に「アール・ブリュット」という言葉に、段々と着々と“移行”したように感じる。それは恐らく「アウトサイダー・アート」という言葉に差別的な響きがあることを、「福祉」の側が敏感に感じとったことが理由であろう。「何で障害のある人がアウトサイダー、言われなあかんねん!」「ここがアウトサイドやったら、じゃあインサイドってどこやねん!」と。しかし冷静に考えてみれば、元々この「アウトサイダー・アート」という言葉は、「アール・ブリュット」の英訳なのである。つまり「アウトサイダー・アート」から「アール・ブリュット」へ言葉をすり替えたところで問題の本質は何ら解決しておらず…いや、むしろ問題をうやむやにしたに過ぎないのではないか。




スウィングは「アール・ブリュット」も「アウトサイダー・アート」もな〜んも要らない、ただの「表現」(あるいは絵の場合は、ただの「絵」)でいいと考えている。We just enjoy HyoGen!!である。それはこれからも、きっとずっと変わらない。だが、それでも「スウィングはんの作品は何のジャンルでっか?」としつこく問われることがあるとしたら、「アウトサイダー・アート」と答えればいいんじゃないかと(今さら遅いだろうが…)今は思っている。実際、現実を直視すれば、障害のある人たちがまだまだ社会のアウトサイドに立たされているのは紛れもない事実だと思うし、「そのような状況を生み出している社会とは何か?そしてそのような状況をどのように変えていけばいいのか?」、このような問いに真っ向から向き合い、考え、議論を重ねてゆくための(ある意味、極めて福祉的な)力やきっかけを、この言葉が持っていると感じるからだ。さらに個人的な意見を述べるならば「アウトサイダー」って、ごにょごにょフランス語の「アール・ブリュット」より、パキッ!として、なんかちょっとカッコいいやん?と思ったりもするのである。



●アブノーマライぜ―ション
「障害者アート」=「アール・ブリュット」の定着以上に、僕たちが最も問題視しているのは「障害のある人」=「芸術性に秀でた人」という、根拠なき新たなド偏見が、明らかにあらわれはじめていることだ。このド偏見の定着には、やはり「アール・ブリュット」が持つ、何となくそれっぽい、カッコいい感じの“響き”が大きく影響しているものと思われる。そしてひとりひとり、当たり前に違う障害のある人たちが、「芸術性に秀でた人」というちょっとイイ感じのド偏見に、(恐らくちょっとイイ感じゆえに)乱暴に括られてゆく。これはもちろん「アール・ブリュット」だけが孕む問題では無く、障害のある人によるアートを取り巻く現状全体(もちろん、スウィングも含まれる)が生み出しているものだと言えるだろう。この完全に誤ったド偏見については『「障害者」になってみろ!』『「才能」に障害のある・なしは関係ないやろ。』『障害者だっていろいろ。アートだっていろいろ。くくらんといて欲しい。くくりんぱ!』(くくりんぱ!は職権乱用で僕が追加した)という、スウィングの面々からの言葉を添えて、先に書いたテキスト「アブノーマライゼーション」(→)を読んでいただければと思う。




●さよなら、アール・ブリュット
この1年間、「どんなきっかけであっても障害のある人のこと、障害のある人が生み出すアートのことをより多くの人に知ってもらえればいいんではないか?」という意見もよく聞かされてきた。「それの何が悪いのか?」と。分かる。とても分かる。でも承服はできない。なぜなら「障害者アート」=「アール・ブリュット」は嘘であり、間違いだからだ。嘘は嘘だし、間違いは間違い。嘘や間違いを知ってもらうきっかけにするなんて、それはどう考えても当たり前におかしい。先生に叱られる。バケツを持って廊下に立たされてしまう。
そして言葉に先導され、創り出されるブームは遅かれ早かれ終わってしまうだろう。そう、ブームはまさしくブームに過ぎないのだ。本物は言葉に依らない。むしろ言葉は後からついてくるべきものだ。2020年オリンピック・パラリンピックに向けて突き進む、今の「アール・ブリュット」ブームに利用されてしまってはいけない。むしろどうせ止められない流れなら、いつか終わってしまうブームなら「いっそ利用してやるぜ!」くらいのしたたかさを持って、「その先」を見据えた冷静な現状認識と勇気を持った行動が必要なのだと思う(きっとこのテキストもブームを利用しているのだろう。上手く利用できていればいいが…)。




僕たちは「福祉」を実践するものである。誰もが他の誰でもない、自分にしかできない生き方を生きられる世界を創ろうと、日々を奮闘するものである。アートは素晴らしい。しかしアートは手段に過ぎない。手段を目的と錯覚してはいけない。錯覚をぶっ飛ばす、揺るぎない理想を持たねばならない。アートに、言葉に、大きな力に振り回されてはいけない。社会の片隅で巻き起こされる、小さくとも丁寧な、そして鋭く力強いアクションと挑戦の積み重ねが、世界を、未来を、きっと少しずつ変えてゆくのだ。

…とか何とかカッコよくまとめかけたところで、「勝手に熱くなるな」とXLさんのありがた〜いお言葉が舞い降りてきた。





『どうでもいい。ややこしい。じゃまくさい。』


はい。すみません。
さよなら、アール・ブリュット。

木ノ戸
| 考えごと | 17:20 | comments(0) | trackbacks(0)
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