「存在と生活のアートvol.10 Enjoy!Open!!Swing!!!」、いよいよ始まりました。
(なんせ田舎モンの東京初進出ですから!やっぱ「いよいよ」言うてまいます。)
…先週、水曜日。
なんやかんやで9時間かかって会場設営を終えて、打ち上げの中華料理店の料理があまりに美味しくて食べ過ぎ、飲み過ぎ…最悪の二日酔いで迎えた展覧会初日にも平日だってーのにたくさんの人にご来場いただき…慌ただしくあっという間に京都への帰路につき…到着した京都駅ではチョー大物芸能人、某MAPの某村さんを目撃しテンション上がりまくり…無事、日常に帰って来たわけですが…いつもとどこか違います。
いつもの達成感や感慨と…何かが違うのです。
東京まで行った。
ベストを尽くしていい展示ができた。
あーーー良かった!!!…だけではない気持ち。
胸の中に、もひとつなんか知らないものがあるのです。
この「もひとつ」何だろう…??とず〜っと考え続け、そして具体的には一昨日入ったお風呂の中で、その答えみたいなものに思い至りました。
…「存在と生活のアート」は作品を見せるだけの展覧会ではありません。
「存在と生活のアート」とは?
表現されたモノだけではなく、そこから生まれる「コト」も含めて立ち現れるアート。
「人間が生きる」をさまざまな形で見せるシリーズ展です。
…なのです。
「人間が生きる」をさまざまな形で見せる? ある人が、特定の空間で過ごす、限定された時間の中で?
考えれば考えるほど出口の無い迷路に陥ってしまう、(僕たちの力量不足も含めて)めちゃくちゃ難しい展示でした。
今回、僕たちはスウィングの「日常」や様々な「仕事」を通して、「アート」の可能性や「働き」の多様性を提案する…ということをテーマにしました。つまり、それは、殆ど、「スウィング“そのもの”を再現するということ。」でした。
が、それは当然、不可能なことです。どう考えたって、どれだけ頑張ったって無理なのです。
ギャラリー内には「3人の中年男、それぞれの日常」と題した映像が見られるモニターが設置してあります。また、12の詩作品の展示と共に、作者本人による朗読をヘッドフォンで聴くことができる場を用意しています。
モニターの中では、アッキーやXLさんや向井さんが、いつもの調子で絵を描いたり、ウロチョロしたりしている。
ヘッドフォンを耳に当てると、みんなの声が予想外の名調子で聴こえてくる。
それらに触れ、正直に言って、僕はとてもとてもホッとしました。
生の、いや、生に限りなく近いスウィングがそこに感じられたからです。
昔の偉い人がこう言ったそうです。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!」
と。
僕が感じた「もひとつ」の思いの正体は、ちょうどこんな感じです。
やっぱり、やっぱり、「現場」が大事なんや!!!という、改めての確信だったのです。
今回の展覧会も、日々の、「現場」の、苦楽の積み重ねがあったからこそ実現できたもの。
東京で展覧会を開けるなんてヤバイ! メチャクチャうれしい!
でも僕たちの目的は「展覧会を開くこと」ではない。それはあくまで結果としてあるものであって、僕たちの日々は、展覧会を開くための日々ではないのだ(開きたいけど!)。誰かに見せるための、評価されるための日々ではないのだ(評価されたいけど!)。
つまりは「現場」を、「現場」での日々を、楽しみながら、苦しみながら、慈しみながら、丁寧に丁寧に歩んでゆくこと、結局のところ、それしか無いのだ!!! …という、あったりまえのスタート地点を思い知らされたのです(だと思います)。
「現場」からの「発信」は大事。それは僕らの仕事。義務。責任。
でも、「発信」が先に来ることは絶対にあり得へんねん!
「現場」がはじまりやねん! 全てやねん!
障害者アート全盛?のこの頃。
展覧会や商品化そのものが目的化してしまっているように見えて、なんか違うなあ…立ち止まらんとあかんなあ…と、まるでスウィングは違うかのように、カッコつけて思っていました。が、多分、己のことだったのです。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!」
ああ、気づけてよかった。
全部じゃないけど書いてスッキリした。
「存在と生活のアートvol.10 Enjoy!Open!!Swing!!!」は、東京「A/A gallery」にて絶賛開催中です。
当然、完璧な「現場」ではないですけど、それなりの現場感を伴って、とにかくいい「場」ができあがってますんで、たくさんの方に見ていただきたいです! 3月9日(日)まで!
どうぞよろしくお願いいたします。
(開廊日は木曜日から日曜日となっておりますのでご注意を!!)
木ノ戸