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【揺れるヘンシュウチョー】だから、なのに、だから

事務用品ズ Q 2019

 

「私はAだからAします」とか「うちはBだからBしかできません」とか。最近、そうした言動に頻繁に、本当に頻繁に出会う。AだからA、BだからB。まあ、ごもっともなのだが、そこに微塵も面白みを感じないし、正直に言えばイライラしてしまう。そしてその苛立ちを根っこまで辿ってゆけば、「これはなんかヤバいぞ……」という、かなりマジな危機感に気づく。

 

男だから。女だから。夫だから。妻だから。仕事だから。いい年だから。「だから」に合わせて考えたり行動していると、皆が似たり寄ったりになってしまうことは想像に難くない。それどころか四角四面の型に当てはめようとすればするほど自主規制が発動し、その型の範囲はどんどん狭まってしまう。目には見えない、でも強力な同調圧力。結局のところ、不安なんだと思う。実は「だから」がファンタジーでしかないことに、それで上手くゆく人なんてもはや一握りでしかないことに、多くの人はとっくに気がついているのだ。でも信じているフリをし続けなければ、どう生きていけばいいのかも分からない。それゆえ逆説的に、ますます「だから」が強化される……という悪循環。

 

じゃあ、だからじゃなくって、そろそろ「なのに」にシフトしてみたらどうだろう? 建築家なのに、何も建てない人(坂口恭平さん)。超こだわりの一品を売っている焼き芋屋さんなのに、猫の着ぐるみを着ている人(山田三毛猫さん。山田なのに三毛猫)。すんごい山奥なのに、暮らすための家なのに、自宅を「私設図書館」として開放している夫婦(奈良県吉野郡東吉野村「ルチャ・リブロ」)。図書館と言えばスウィングだって、福祉施設なのに間もなくそうなる。いや、図書館化を待つまでもなく、スウィングでは仕事なのに一銭にもならない絵を描いたり、コラージュをしたり、詩を書いたりしている人がほとんどだ。AなのにB、BなのにC。ちょっと視点を変えて丁寧に見渡せば、既に「なのに」は、この世界のあちこちに点在している。是か非かではない。「なのに」には、もはや死に体と化しているにも関わらず、未だ僕たちを窮屈に縛りつける「右へ倣え」や「べき」「ねば」を揺るがす切実さとダイナミズムがあり、それはクソどんよりとした未来を「人間」として生きるための光だ。

 

 

二ヶ月程前のことだっただろうか。スウィングの事務員、有美さんと話をした。元々は彼女からの、何度目かの辞意表明が端緒だったのだが、ゆっくりと腹を割って語り合ううち、あるタイミングで僕の口から出たのは「死を思うことはありますか?」という、少々不躾な質問だった。言葉を慎重に吟味する彼女には珍しい即答。「はい」というその声に、まったく迷いは感じられなかった。彼女の人生は傍目から見ていても、決して楽なものではない。元々悪い目の状態は昨年二月に更に悪化し、足も不自由だからいつも装具を着け、杖を付き、ゆっくりとしか歩けない。付き合いはもう七年になろうとしているが、思うに任せぬ人生に悩み、頬をつたう涙を見たのは一度や二度ではない。でも、「だから」なのだと思う。スウィングで日々を送る多くの人たちが彼女を慕い、他の人には話せぬ悩みを打ち明けるのは。できないことが増えてゆくことに葛藤し、日常的に死を思わざるを得ない「彼女だから」こそ、誰かの迷いやつまずきを軽んじたりせず、優しく、親身に聞くことができるのだろう。

 

有美さんは「事務員だから事務員らしい仕事を」なんて人並み以上に生真面目に考え、それが上手くできない自分は失格だと思い込む、筋金入りの「だから」人間だ。でもその一方で、ガチガチの型を飛び越え、溢れ出し続ける彼女の人間性は、まるでカウンセラーのような役割を自らに担わせ続けてきた。恐らく自分では気がつかないうちに、事務員「なのに」。

 

いつまでスウィングで働き続けるのか、それを最終的に決めるのはやはり彼女自身だ。でもいつか来るその日までは、肩肘を張らず、実験を楽しみ続けてほしい。AだからでもBだからでもなく、「有美さんだから」を突き詰める実験を、一緒に。それはもう何年も前に、彼女自身がはじめた実験なのだ。

(フリーペーパー「Swinging Vol.27」より転載)

 

文・木ノ戸昌幸(きのと・まさゆき)

1977年生まれ・愛媛県出身。引きこもり支援NPO、演劇、遺跡発掘、福祉施設勤務等の活動・職を経て、2006年にNPO法人スウィングを設立。単著に『まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験』(2019/朝日出版社)。

 

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| フリーペーパー『Swinging』掲載! | 16:00 | comments(0) | -
【クソ真面目エッセイ-20】ありえるありえない場所

 

 「ありのままで」みんな好きだよね、この言葉。だけどさ、どうやったらいいわけ? そんなふうにできるのって特別な限られた人だけでしょ。そんなの無理だよ。「ありのままで生きてていい」なんてさ。いい年なんだし、そんなばかばかしい子供っぽいこと言うのやめなよ。

 

だってさ、子供だって「子供らしく」って言われるんだよ(笑)、いちばんありのままでいられそうなのに。それでさ、中学生になったら「中学生らしく」、成人したら「大人らしく」。延々続くんだよ。

 

それでさ、会社に入ったら、今度は社長は社長らしくリーダーシップを発揮して、営業は営業らしく大きな声で明るくあいさつして、事務員は事務員らしく、おそろいのベスト、腕カバーで、縁の下の力持ちって感じなんでしょ。どうせさ、名前でなんて呼ばれなくてまとめて「女の子」とかさ、ちょっと年いったら「おばちゃん」でさ。「ありのままで」なんて無理無理。

 

それにさ、声が小さくて陰の薄い社長とか、愛想がなくてむっつりした営業とかさ、クリエイティビティ発揮しまくってイノベーション起こす事務員がいたら、どうすんの? そんなのやりにくくってしょうがないよ。どうやって対応していいのかわかんなくって、フリーズしちゃう。そしたら会社回んなくなっちゃうじゃない。

 

つまりさ、「らしく」って役割なわけ。役割だからみんなそれをこなすの。「自分らしく」とかさ、全部幻想なわけ。面接でみんな「資格を活かして」とか、「特技を活かして御社に貢献したいです」って言うじゃない? けど、あれってさ、「活かす」より「貢献」の方が大事なんだからね。だって、組織ってそういうもんでしょ?

 

でもさ、その思考って、単に矯正されてきただけじゃん。幼稚園から制服着て、挨拶、号令、かけ声「1、2」で大きな声できびきび動いて、整列、前ならえの練習してるうちに、考えなくても指示されたら「ハイハイ」言ってできるようになっただけじゃん。パブロフの犬と一緒だよ。役割なんて、舞台の上のもんでしょ。舞台降りたら自分なのに、舞台降りても役割演じたままだと、舞台の上の役割に人生を浸食されちゃう。そんなの怖くない? 人間だよ、わたしたち。みんな人間。記号じゃない。

 

けどさ、ずっと「らしくらしく」で生きてきたから、いきなりお面外せないよ。それに、その方が楽でしょ、エネルギー使わなくて生きられるし。ほんとは言いたいよ、「御社が活かしてよ、わたしを」って。でもそんなこと言えるわけないでしょ。みんなそうやって生きてるんだから。

 

え、スウィング? 

居るのが仕事? ……よくわかんない。

 

でも、おもしろそう!  「ありのままで」って、ありえない望みだと思ってたけど、そう居られる場所もあるのかな?

 

有美さんがカウンターにいる図書館はどんな感じだろう。そこができたら、とても行ってみたい。

(フリーペーパー「Swinging Vol.27」より転載)

 

文・太田明日香(おおた・あすか)

1982年生まれ・兵庫県淡路島出身。フリーランス編集者、ライター。著書に『福祉施設発! こんなにかわいい雑貨本』(伊藤幸子と共著、西日本出版社)『愛と家事』(創元社)。2015〜17にバンクーバーに滞在、帰国後日本語教師の資格を取得、現在は非常勤講師としても勤める。

 

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| フリーペーパー『Swinging』掲載! | 15:57 | comments(0) | -
【クソ真面目エッセイ-19】木曜日の憂鬱

 

毎週1回、木曜日がやってくる。今週も来週もやってくる。いつの頃からだろうか? 木曜日が来るたびに気が重くなったのは。「週末の前だから」とか、「1週間の疲れが溜まって」とかそういう理由ではない。毎週木曜日はスウィングの事務員全員が休む日なのだ。

 

スウィングの膨大な事務仕事をこなし続ける後ろ姿には日々頭が下がるばかりだが、その一方で僕が事務員のみなさんに対して「頼むから木曜日も来てほしい」と願うのは、本来の「事務的なお仕事」の部分ではなく、ほぼ自分の精神的な安定や癒しのためだ。

 

スウィングの事務スペース、通称「27教室」には紀野有美さん、田村仁美さん、山北和美さんの3名の事務員さんが居る。僕はひと月のうちに何度もそこを訪れ、一旦、事務関係の相談っぽい話をもちかけた後、どうでもいい、愚痴のような、ひとりごとのような話を聞いてもらっている。最近スウィングにやってきた田村さんと山北さんにはまだ緊張しているし照れもあるので、話を聞いてもらうのはもっぱら有美さんだ。有美さんは僕が照れ隠しに一旦かますカモフラージュの事務相談をさらりと解決し、その後のアホみたいな本題にもうんうんと頷きながら時折静かな口調で返答をしてくれる。そしていつも僕がため息交じりに「○○なんですよね〜……」的な終わり方でその場を去ろうとすると、やさしい笑顔と口調で一言背中を押してくれる。そして僕は心を軽くして現場に戻ることができる。

 

ところが今後、それがどうも難しくなりそうなのだ。というのも今年(2020年)4月から始まる「スウィング公共図書館(仮)」開設に向け、27教室は大きな変貌を遂げつつあるからだ。事務員さんを囲むような形でカウンターが作られ、事務スペースは整理された素敵な空間に仕上がった。ゆくゆくはその反対側(閲覧スペース)に本棚や読書のための机や椅子が設置され、居心地の良い空間ができあがるのだろう。しかし、その一方で僕は「う〜ん、このカウンターがあるとなんだか有美さんに甘えにくいなあ」などと考えてしまっている。「一体おまえは何を言っているんだ?」という声が聞こえてきそうだが、事実なんだから仕方がない。でも、こんなふうに感じているのは僕だけではないはずだ。それくらい有美さんの傾聴力(?)はすばらしく、そして落ち着く。

 

昔、誰かが言った。

 

「有美さんはスウィングのオアシスだ」

 

その通りだと思う。先日、某事業所に電話をかけたところ、そちらの事務員さんにとんでもなく事務的な対応をされ「ああ、これが本来の事務員さんの姿か。そういえば普通、事務員さんってこんな感じだな。……っていうかコイツめっちゃ腹立つ!」などと、「事務員の事務的対応」という本来ならば想定通りのはずの事態に「なんでそんなに事務的やねん!!」と理不尽な怒りの炎を燃やしてしまった。そうだ、有美さんは事務員なのだ。すっかり忘れていた。いや違う。もう忘れていいのだ。忘れたままでいいのだ。有美さんは有美さんとしてスウィングに存在し、僕たちはその存在に信頼や安心を感じている。有美さん自身は「なぜ? なにが?」と実感は沸かないかもしれない。でもそこにもう理由はいらないんじゃないか。自分らしく居られる場所で自分らしく居たら、なぜだかみんなに頼りにされる。最高ではないか。「自分らしさ」が信頼され安心される有美さんに、僕たちはこれからも尊敬と感謝を積み重ねてゆくのだろう。

 

それにしてもあんな静かな空間で女子3人が横一列に並んで黙々と仕事をするなんて、オナラしたくなったら一体どうするのだろう。その遠慮と羞恥心を僕が解決できたならば3人の事務員さんにとても感謝され、もっと仲良くなることができ、もっと甘えやすくなるはずだ。しかも今度は3人だ。3倍甘えられる。そうなれば僕はついに木曜日の憂鬱とサヨナラできるかもしれない。そうと決まればさっそくオナラ問題を解決すべく、すぐに動き出そう。さすがに有美さんには相談しづらいし、まずはスマホで検索かな。Hey Siri!!

(フリーペーパー「Swinging Vol.27」より転載)

 

文:沼田亮平(ぬまた・りょうへい)

1979年生まれ・京都府京都市出身。『Swinging Vol.21』で総力特集されて以来、時々「本物に会えた」と言われる。スウィング勤続13年目。2019年度の後半、長らく担当していた「箱折事業」からも「児童館交流事業」からも離れ、新たに「オレたちひょうげん族」の現場にやって来る。が、一体なにを仕事にすればいいのか……と悩む今日この頃。

 

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| フリーペーパー『Swinging』掲載! | 14:53 | comments(0) | -
【クソ真面目エッセイ-18】僕とONLY FREE PAPER

 

この原稿を書いている段階では、Swingingの最新号(つまり今あなたが手に取って読んでいる、まさにこれである)は未読であるが、フリーペーパーというものを考察するにあたり非常に興味深い内容になっている事は間違いない。なので、ここではフリーペーパーについて何かを書く事は止めておこうと思っている。僕がそれについて書かなくとも十分だと思うからだ。

 

では、ここで何が書けるのかと言えば、やはりONLY FREE PAPERという少し奇妙な店についてという事になるだろう。

 

あまり大きくもない商店街の中に2軒以上タピオカの店が開業するという事も珍しい光景ではない2019年7月現在の日本も全くもって滑稽だが、一定の理解はできる。人々の関心をさらうトピックの中に商機を見出し、スピード感を持ってそこに便乗するというのは短期的な売上を見れば、妥当な選択である。

 

2010年の暮れ、東京・渋谷に開業した奇妙な書店は様々なメディアを中心に瞬く間にその存在が広まっていき、9年たった今でも(当時ほどではないにしろ)各種メディアに取り上げられる事も多い。しかし、、、、全く現れないのだ。同じ事をやろうとする人間が。その他多くの【店】と同じように一定の定休日以外は常に営業しているという形で限定すれば、フリーペーパー専門書店は未だにONLY FREE PAPERしか存在しない。店の注目度から考えてみると、フォロワーが現れないのは不自然とさえ思える。

 

しかし、もっと細かく冷静に見ていけば簡単な問題ではある。要するに、全く商売としての勝機が見えないのだ。それはそうだろう。何と言ってもこの店には【売るものがない】のだから。店で取り扱う商品は基本的にはフリーペーパーのみ、もちろん無料だ。多くの読者はもうこの時点で意味が分からなくなってしまったかも知れない。そんな多くの方にとって一番興味があるであろうONLY FREE PAPERのビジネスの仕組みはここではとても書き尽くせないので過去の記事などをググっていただくとして、ここで取り上げたいのは「では、何故松江は商売として勝機がない店を9年も続けているのか」という部分だ。自分で書くのは少しむず痒いが、ここにこそONLY FREE PAPERの本質、もっと言えば商売の本質が潜んでいると思う。結論から言うと、未だにそれが何なのか自分でもよく分かっていないのだが。

 

僕は極端なほど感情を表に出すことが苦手だ。ここまで一緒にこの店を支えてくれたスタッフをはじめ、近しい人間も僕の事はロボットか何かと思っているに相違なく、最新技術を駆使したアンドロイドの方がマシだとさえ思う人間がいてもちっともおかしい事ではない。

 

そんな僕ではあるが、分かっている事だってもちろんある。それは自分が見たい未来とか自分がこう在りたいという姿だ。その実現のために一つ一つ形にしていく作業の一つがONLY FREE PAPERという店であり、それは内在する僕と外の世界を繋ぐインターフェースとも言えるかもしれない。つまりそれは僕自身が生き続けるために必要な生命活動そのもの。他者・外界との接続なしで生きる事は何人たりとも不可能なのだ。

 

僕はこの店のオーナーとしてONLY FREE PAPERと向き合っているが、フリーペーパーの発行者の皆さんも本質的には同じ事なのだと推測できる。発行者として自分の分身とも言える創作物をONLY FREE PAPERに設置する事により外(あるいは他)と接続する。(フリーペーパーにも色々な種類や属性があるので全てが全てそうではないという事は前置きしておきたいが)これまで「何故そこまでしてフリーペーパーを作るのですか?」という質問を受けている発行者さんを幾度となく見てきたが、質問者に対しての同情の念は持ちつつも「何だか愚問だなー」と違和感が押しあがる事はほぼ毎回と言っていい(僕自身も聞いた事はあるので何とも言えないのだが)。

 

つまりそれは、何で息してるんですか? 何で食べるんですか? これらに等しいのだ。だから、ある種の人たちが窒息しないように、飢餓にあえがないように、僕はこの場所を存続させている。というのも松江がONLY FREE PAPERを続ける理由の一つだ。 ここに商機があるかどうか、株式会社・営利企業として運営している以上無視する事は出来ないが、ニーズがある限りは必ずどこかに商機はあるというのが僕の考え方であるので問題にしていないし、実際僕は今生きている。そして、これからも頑張って生きていくつもりだ。

(フリーペーパー「Swinging Vol.26」より転載)

 

文・松江健介(まつえ・けんすけ)

1982年東京都生まれ。大学卒業後、音楽活動をしながらファッション業や飲食業など職を転々としたのち2010年12月、前職の同僚などと世界初のフリーペーパー専門書店『ONLY FREE PAPER』を開業。2012年より2代目オーナーとして現在まで店を運営する。現在は、音楽ユニットTAOHの一員としても活動し、フリーペーパーの発行も定期的に行なっている。

 

 

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| フリーペーパー『Swinging』掲載! | 17:25 | comments(0) | -
【クソ真面目エッセイ-17】ノストラダムスは大嘘つきだ。

 

フリーペーパーの専門店「只本屋」をなんで始めようと思いましたか? という質問をよくいただくことがある。諸説色々あってと冗談めかしているが、立ち上げたメンバー6人の想いは多分別々で、本当に諸説色々あるのだ。色々な縁やタイミングが重なって今に至る。その一端をお伝えしたい。

 

1981年東京生まれの僕は、ノストラダムスの大予言によって、21世紀を迎えることなくこの世からさよならするんだろうなということをまことしやかに思っていた。関西で地震があり、地下鉄で有害ガスがまかれ、いよいよ世の中もダメになると思った矢先に、あっさりと21世紀がやってくる。そして思ったのだ、ノストラダムスは大嘘つきだ。と。

 

外国では大きなテロ事件が起きているとTVで言ってはいるが、芸術の道へと突き進んだ僕は、いたって平凡な大学生活を送り、なんだかちょっと腑抜けになって生き残ってしまった。それだったらビシッとネクタイをしめてやろーと思えども、就職難とかなんとかで社会の方から仲間外れにされたり、先行きの見えない不況と不安を背負いながらせっせと歩いてきた。そういう世代なのだ。

 

せっせと歩いているうちは安心で、時間はどんどん経っていくし、経験が積み上げられていって、そういうものを見つめるだけでなんかほっとする。そうやってせっせと歩いていたら、ある日地震がやってきた。それから放射能の雨が降った。風が吹いた。どうしたらいいのかわからなくなった。どっちにいけばいいのか、なにを積み上げたらいいのか、誰にきいたら、信じたらいいのか、そういうあれこれが全部わからなくなった。それはとても不思議な体験だった。そして僕は30歳になっていた。

 

今僕らが生きているこの時代は平和なのだろうか。誰もが喜びを分かち合えるようなそんな世の中のだろうか。答えは今もわからない。災害大国日本で、災害がくれば今の常識とか生活とか日常が脅かされるそんな中で、それでも大切なものって一体なんだろうか。そんなことを考えたりした。それでも日常は、生活は進んでいくのだ。

 

それから2年して、東京という町を離れて京都にやってきた。あわあわしている間に2年が経ってしまった。何かを見つけたわけでもなく、どっちに行けばいいかもわからず、とりあえず歩み始めたという方が正しい。

 

京都にきてしばらくして出会ったのが、当時大学生の「只本屋」の立ち上げメンバーであった。彼らは僕にこう言った。「文化を作りたいんです!」なんと大それたことを言いなさる。しかしその後光をまとったかのような眩しい若さがまた新鮮でシャキシャキで、とても歯ごたえが良かったのだ。そしてまばゆいそのメンバーの仲間に入りたくて、自分の経験と知識を提供することにしたのだった。それからはもちろん苦労もたくさんあった(笑)。でもそれ以上に得るものはたくさんあった。何よりも一回りも離れた友人ができたことがとても嬉しかった。

 

そうこうしているうちにどんどん仲間は増えていって、京都だけでなく、愛知にもできたり、島根にもできたり。輪がどんどん広がっていく。いろんなところにきて欲しいという、自分の作っているものをおいて欲しいという、来るお客さんも「こんにちは」だけでなく、「ハロー」とか「ニーハオ」とか、そういう声をたくさん聞くようになった。誰と話したらいいのだろうかとか、そんなことを考える暇もなく気がつけば季節が4周していた。そして今もそれは続いている。

 

「只本屋」って一体なんなんだろうか? お金が儲かるわけでもないし、月に一度しか開いてないし、これは一体なんなのだろうか? そんなことを考えたりしている。ふと、横を見るとたくさんの仲間の顔がある。「なんなんでしょうね」と声をかけてくれる。何かを見つけたわけでもなく、どっちに行けばいいかもわからず、とりあえずみんなで歩いている。今はそんな感じだ。

 

予言ははずれてしまったのだ。本当にノストラダムスは大嘘つきだ。だからとりあえず歩いている。せっせと歩いてみようと思っている。あの頃と違うのは今は一人でないということだろうか。

(フリーペーパー『Swinging Vol.26』より転載)

 

文・山田毅(やまだ・つよし) 

1981年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業。東日本大震災を機に京都に移住、「只本屋」のプロジェクトを開始、メンバーの中では最年長のため、代表を務める。同時に京都市立芸術大学の博士課程に在籍し、研究制作を行う。アーティストの制作現場から生まれる副産物を取り扱う「副産物産店」や市営住宅の中に美術室を作る「第32棟美術室」など様々なプロジェクトを行い、現在に至る。

 

 

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【クソ真面目エッセイ-16】世界が芸術「的」でありますように。

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芸術とは何か。と、訊かれて必ず思い出す光景があります。 かつての僕の家のベランダには、鉢植えがいくつかありました。おそらくバジルを植えて、食べて、そのまま一年程放置された鉢植えや、ルッコラだった鉢植え。そのどれもが、種から芽吹き、ひとしきり悦んで食べられたのちに、食べられきれないほどの葉を繁らせ、花を咲かせました。「こんな花だったんだ」というわずかな心の膨らみを僕に与え、やがて枯れて、翌年には少し干からびた土を抱える器となりました。室外機とともにベランダに並んだ鉢植えたちは、一年間だけの小さな農としての役割を終え、中長期的な気まぐれに左右される次の出番を静かに待っていたのでした。 ベランダに並んだかつて小さな農だった鉢植えたち。その一つに、身に覚えのない花が咲いているのを発見したのは、翌年か翌々年か、ともかく干からびた器の存在を気に留めることもなくなったある日の夕方だったと思います。

 

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芽吹くはずのない器から芽吹き、咲いた、一つの花。もともと土の中に種があったのか、鳥や風に運ばれてきたのか、その出自はわかりません。いずれにしても、僕の知らないどこかから運ばれ、いつの頃からか土のなかで淡々と芽吹き支度をして、必要なだけの陽と雨を浴び、誰にも気づかれぬうちに葉を広げ、健気に花を咲かせ、地上で僕と出会った。まさかの一つの花が目の前にあったのです。それは、日常のなかに密かに準備されたささやかな奇跡でした。その奇跡が広げた想像力の翼の感触を、僕は今でも鮮明に覚えています。僕の想像力は―わずかな時間ではあったけれど―空間的にも時間的にも日常から飛び立ち、その翼に新鮮な風を受けたのです。

 

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芸術は、人を日常から解放する。僕はそう思うし、そう信じたい、といつも答えてきました。日常とは、棲み慣れた価値観でもあり、予定調和な時間でもあります。僕たちがいつのまにか慣れ親しんでいる常識でもあり、無意識の初期設定が支える世界でもあります。芸術は、そのような既知の景色のなかで、あらたな感受性へと誘うことができる。この一つの花のような機能を、世界にまさに芽吹かせること。それが芸術の役割だと思っています。

 

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そう僕は迷いなく書きますが、あなたにとってはどうでしょうか? 芸術とは何か。少しのあいだ、あなたの答えを探索してみてください。おそらく迷いなく答えることができる人は、実はそれほど数多くはいないのではないか、と僕は思っています。そこには、わずかながらの勇気、あるいは、ある種の覚悟までいるように思いますがいかがでしょうか? そこで、芸術「的」とは何か。と、問を変えてみようと思います。同じく答えを探索してみてください。今度は、わりとすんなりと言葉にできるように思います。自身の人生を少しだけ振り返れば芸術「的」だった経験は少なからず探し出され、その質感を言葉にすることで答えることができるように、僕は思います。いかがでしょうか。芸術を問われればうまく答えられいけれど、芸術「的」を問われれば、ビートルズも村上春樹も、母の料理も息子の笑顔も、わりと胸をはって、芸術「的」だと、答えることはできる。僕はそう思っています。

 

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この芸術と芸術「的」の間にあるもの、それが社会というものだと、僕は思っています。芸術「的」が社会化されると芸術という概念になる。言い換えれば、芸術とは共通の価値観や認識に支えられている。一方、芸術「的」は、「芸術としての特性を備えているさま」などと、辞書には答えのようで答えていない記述が載っています。そう、芸術としての特性を備えているかどうかを決めるのは各自に委ねれているのです。答えが社会の側にあるか、個人のうちにあるか、その差がそこにはあります。 身の周りを見渡せば、同じような構造に溢れているように思います。芸術を仕事、教育、優秀、健常…と置き換えてみてください。社会の初期設定と化した価値観、自分の外にある正解のもとに僕たちは生きています。その全てに「的」を付けて、自分の側に引き寄せる。その全てに「的」をつけて、柔らかで緩い価値観にする。それが、僕の肩書きである社会芸術の第一歩です。そして、各々が一つの種をこの世界に仕込みましょう。いつの日にか、たくさんの花が咲く世界の訪れを願って。世界が芸術「的」になる日を願って。

(フリーペーパー「Swinging Vol.23」より転載)

 

文・桜井肖典(さくらい・ゆきのり)

デザインコンサルティング会社を経営後、2013年よりイノベーションプログラム「RELEASE;」を主導、現在まで国内外で6,000名を超える参加者へ講演やワークショップを重ねる。「芸術と社会変革のあいだ」でカテゴライズされない活動を展開する社会芸術家であり起業家。一般社団法人RELEASE;共同代表、オンラインメディア『PLAY ON(http://playon.earth)』発起人。

 

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【揺れるシセツチョー】ケツの穴の小ささについて または個人のスマホを職場で充電してはいけないのか

青空 杉本裕仁 2017

 

オーストラリアの巨大岩石「ウルル」(エアーズロック)は、「世界のヘソ」と言われている。じゃあ、「世界のケツの穴」はどこなのだろう。分からない。分からないが何となく最近、世界のケツの穴が小さくなってきているな…と思うことが多い。それはもちろんいい感じではなく、非常に息苦しい、居心地の悪い感覚である。

 

ある日のスウィング、終礼の時間。誰でも、どんなくだらないことでも言っていい(言わなくてもいい)、いつもの空気感の中で、いつものようにゆうと君がひょいと手を上げて、「じゅうでんして、すみませんでした!」と言い、ぴょこんと頭を下げた。これはいつもの「昨日の晩、何食った」とかいう、眩いばかりにどうでもいいことではない。軽く受け流すわけにはいかない。その日の昼休み、スウィングのある場所で、ゆうと君は自分のスマホを充電しようとしたらしい。すると傍にいた人たちの多くから「アカン!」「ダメ!」、そうした注意や叱責の集中砲火を受けたらしい。僕がその何分後かに事情を伝え聞いた時、頭ごなしに四方八方から責められたことが悔しかったのだろうか、ゆうと君は黙り込んで怒っていた。「スマホの充電くらいええんちゃうん」とかいう意見は1つも無かったのだろうか。結論を急がず、ちょっと立ち止まって考える人は1人もいなかったのだろうか。僕はシンプルに「なんてケツの穴の小さい話だろう」と思いながら、「充電無かったら困るもんなあ」とゆうと君のスマホを充電した。ええやん、ええやん、これくらい。こんなん、誰にでもあることやろ。…が、その数時間後、ゆうと君は不特定多数の、顔の見えない大勢に対して一方的に頭を下げ、しおらしく謝ったのだ。「職場ですべきじゃないっぽいこと」に対する即時的且つ大多数且つごもっともな正義に力技でねじ伏せられたのか。あるいはゆうと君自身が「みんなの言う通りスマホを充電するのは良くないな」と思い直したのか。僕はショックを受けながらも「スマホの充電がいけないのなら電子レンジを使ってお弁当を温めている人は? ガスを使ってカップ麺のお湯を沸かしている人は? 電気をつけて化粧直しをしている人は? ロッカーに私物を入れている人は?」等々並べ立て「良いか悪いかはスウィング中のコンセントが充電器で埋め尽くされた時に考えればいい。問題になる前から問題視するのは良くないのではないか」という私見を述べた。

 

目の前にあるのは常に歴史上はじめての風景であるはずなのに、「善」か「悪」か、「公」か「私」か、すぐに白黒をつけたがる風潮が蔓延している。個人による殺人は圧倒的な悪であるのに、国家による大量殺戮は正当化されたりする、そういうデタラメな世界に僕たちは生きているというのに。テレビをつければ一度の失敗を犯してしまった人への大バッシングが執拗に報じられている。問題をこれでもか! と拡大化し、問答無用の正義によって、問答無用の悪を、問答無用に押し潰さんとする光景には、「自分も失敗するかもしれない」という想像力の欠如というより、「失敗すること」に対する過大な恐れが満ち満ちているように見える。いずれにせよ、そこにあるのは「人間」という不完全な器の度量を遥かに超えた、「失敗は許されない」という誇大妄想であり、大いなる勘違いである。

 

違う。「人間」はちゃんと、失敗するようにできている。

 

「ケツの穴の小ささ」とは、他者に対する、ひいては自分自身に対する不寛容さと言い換えることはできまいか。スマホの充電ごときで誰かが死ぬわけでもないし、誰かの一度や二度の失敗が、世界を破滅させたりはしないだろう。安易に振りかざすケツの穴の小さい正義や正論は、結果的には自分自身の首を絞めてゆくことになる。誰かに対して禁じたことは自分自身にとっても禁じ手となり、その反対に誰かに対して投げかけたOKは、きっと自分自身の何かを赦し、少し呼吸をしやすくさせてくれる。もうルールは腐るほど用意されているし、もう皆十分に頑張っているのだと思う。だから、NGやアウトや過剰なリスクマネジメントではなく、できればOKやセーフや「よっしゃ! 今から失敗するぜ!」「よ! ナイス失敗!」といった寛容さや余白を、世界に増やしてゆきたいと願う。テレビやネットやどこかの遠い国ではなく、目の前を通り過ぎてゆく日々を、注意深く眺めながら。

(フリーペーパー「Swinging Vol.23」より転載) 

 

文・木ノ戸昌幸(きのと・まさゆき)

NPO法人スウィング理事長。1977年生まれ・愛媛県出身。立命館大学文学部日本文学専攻卒。NPO、演劇、祇園のスナック、遺跡発掘等々の活動・職業を経て、「毎日笑えるよ」という友人の勧めで障害のある人に関わる仕事に就く。2006年にNPO法人スウィングを立ち上げ、「障害福祉」の枠を超えた創造的な取り組みを通して、社会を変えてゆきたいと願ったり願わなかったり。黄色が好き。でも青も好き。

 

※ フリーペーパー「Swinging」は、スウィング賛助会員の皆さまからの会費を原資に制作・発行を行っております。→

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【クソ真面目エッセイ-15】どうせなら『生』で

 

つい先日、ここiTohenを使って頂きスウィングさんの企画・かなえさんの個展が終了。搬入に訪れてくれた木ノ戸さんと亀井さん。そして勉強に来られたという女性と共に、亀井さんが綿密に練り上げてきた計画図を元に、淡々と作品を設置しました。こういった作業は、途中で悩んだら危険です。いくらでも悩めるし、いくらでもこだわれます。何でもそうですが、『過ぎる』とろくなことがない。スウィングさんはこれまで、のべ15回に渡る展示で要領を得たのか、手際の良さでアッという間に、かなえさんのこれまでの変遷を御覧いただける展示を作り上げました。急に寒くなり始めたこの季節にはピッタリの温かい珈琲をはさみ、木ノ戸さんと談笑している時『近頃の若い人は。。。』なんてフレーズを、まさか自分で言うような年齢になったなんて信じたくはないですが、まあごく自然に言ってたわけです。そこでこのエッセイを書くにいたり。2003年の暮から大阪市北区本庄西と言う、“中崎町”の北隣、少し歩けばもう淀川、と言ったあたりで『いとへん』を始めました。なんやかんやと、この年末で15年目を迎えます。ここは基本的には、『展示をする場所』です。ジャンルは不問。絵でも、器でもなんでも。使いたい方が、使いたいようにしてもらえたら。そんな気持ちで続けてきました。ところが年々、『展示をしたい!』と言う血気盛んな若者を、とんと見かけなくなりました。SNSで十分なのか、それともそもそも自分の表現など、人に観てほしくないのか。。。それは一括りにする話ではありませんが、どこか人と関わろうと思う心の距離が離れていっている気がしています。それも年々。わずかだけど確実に。

 

 

小さな専門学校ですが、20年弱、週1回の先生としても勤務もしています。僕は毎年、年を取れど(当たり前ですね)、彼女彼らは毎年、だいたいハタチ前後。教室を見ていると、この2〜3年、急激にコミュニケーションのあり方が変わってきたように感じます。休憩に入り、元気に喋ってるなぁ、、と思うと突然、シーンとなる。見ると、みんな判を押したようにスマホにかじりついている。資料を探すとなると、PCの前から一歩たりとも動きません。もちろん全員とは言いませんが、9割は微動だにしません。まるで動くことが暗黙の了解のように固く禁止されてるかのように。僕は思うのです。画面越しの情報はたかが知れてると。(有用な情報も勿論ありますが)足を運んで、その場で聞いて、見て、意見を言って、考えてみて、、としないと大切な『何か』を得れないと思っているのです。どうやら人生は一度きりのようなので、であれば『?』と思ってしまった事は、とりこぼしたくないと思ってこれまでやってきました。でも、まぁ面倒ですよね。なぜ、そうするか? それはつまるところ楽しいから。僕は快楽を求めたいのです。だから、教室でも、自分のお店でも言い続けてます。現場に足を運ばないと『もったいないよ〜!』と。世の中に、お節介な人が減りました。それはそうだ。僕も含めてなんだか知らないけど、忙しい。なんだか知らないけど、年々、世間が厳しくなってる。人にかまってる場合じゃない。でも、僕は、嫌われようが、うっとおしがられようが、『お節介』を仕事の根本にするために独立してやってきました。もう、変えようがない。僕の生まれ持った『本質』だから。『芸術』は、未だに僕もさっぱりワカラナイ。と、言うか知れば知るほど遠のいていく。でも、関わる価値があることは体感しました。世にはびこる『サクセスの仕方』なんてつまらない本には書いていない智恵が、作品とそれを作った人物から学ぶ事が多々あります。その表現は、障害をもっていようがなかろうが関係ない。言語を使っていない視覚表現なんだから、どのように受け取ろうと、自由です。だから思うのです。ぜひ、『生』に触れてほしいと。それを繰り返していくと、何かから『解放』されると信じているから。

(フリーペーパー「Swinging Vol.23」より転載) 

 

文:鯵坂兼充(あじさか・かねみつ)

1971年鹿児島(現 薩摩川内市)生まれ。高校卒業後、単身で上阪。梅田にある大阪総合デザイン専門学校入学。研究生修了後、画家を目指しフリーターで生計を立てるも、挫折。内装業の仕事を経て大阪総合デザイン専門学校に専任講師として就職。2000年に独立後、作家の発表の場を作るべくiTohenと言うギャラリーを大阪市北区本庄西にて2003年に開設。同時にグラフィックデザイナーとして活動。現在に至る。

 

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【特集】「ゴミコロリ」という仕事。

 

NPO法人スウィングが2008年10月から展開する清掃活動「ゴミコロリ」。焼けつく日射しも凍てつく木枯らしも少々の雨も腰痛もおかまいなし! 毎月愚直に地道に続けてきたその回数は2017年2月、遂に「第100回」を迎えた。なぜスウィングは誰にも頼まれていない、一銭にもなりゃしない「ゴミコロリ」を大事にするのか? なぜ人は誰にも頼まれていない、一銭にもなりゃしない「ゴミコロリ」にやって来るのか? 内輪で盛り上がってもアレなんで、かと言ってなんにも知らない人に聞かれるのもアレなんで、このフリーペーパー「Swinging」を共に創り続けてきたデザイナー、坂田佐武郎氏をインタビュアーに迎え、我らのプライド、「ゴミコロリ」の謎に迫る!

 

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木ノ戸昌幸(きのと・まさゆき)

1977年生まれ。NPO法人スウィング理事長。立命館大学文学部日本文学専攻卒。2006年にNPO法人スウィングを設立。人の「働き」を「人や社会に働きかけること」と捉え、「障害福祉」の枠を超えた創造的な取り組みを展開中。

 

更田麻美(ふけた・あさみ)

1980年生まれ。2006年よりNPO法人スウィングに所属。通称・あちゃみ。「口から生まれた」メリットを生かし、1年365日ひたすらしゃべりまくっている。清掃活動「ゴミコロリ」では2015年より「ちゃみブルー」として活動している。

 

Q(きゅー)

1973年生まれ。2006年よりNPO法人スウィングに所属。清掃活動「ゴミコロリ」の他、芸術創作活動「オレたちひょうげん族」、京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」等、多方面に渡ってスウィングの「仕事」を中心的に牽引している。

 

Intervewer

坂田佐武郎(さかた・さぶろう)

1985年生まれ。グラフィックデザイナー。大阪のデザイン会社勤務後、出身地京都で独立。紙ものデザインを主な分野に活動している。2013年から「Swinging」のデザインを担当している。

 

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「ゴミコロリ」とゴミ拾いの違い

 

― 「ゴミコロリ」と「ゴミ拾い」は何が違うんですか?

 

Q  「ゴミコロリ」と「ゴミ拾い」の違いは、「ゴミ拾い」はゴミを拾うだけ、「ゴミコロリ」はゴミをコロリと拾うこと。

木ノ戸(以下、木) あ、いいね。

更田(以下、更) コロリと拾う(笑)。

木 平日の昼間にやるっていうのがまず違いやと思う。

更 ああ〜。笑いも入れつつ、タイトルつけたりとかユニークに。「ゴミブルー」 [1] になってやったりもするし、地域の人との関わりも考えて。

木 なんか予習してきたみたいやな(笑)。地域の人との関わりとか考えてるんや。

更 まあ、やっぱり子どもらに手振ったり。「ちゃみブルー」[2] やから。

 

― あちゃみさんは結構どっぷり浸かってるんですか?

 

木 あちゃみちゃん、「ゴミコロリ」がはじまった時からいるやろ? 「第1回」は2008年の10月ね。

更 はい。

木 Qさんは最初から乗り気やったと思うねんけど、あちゃみちゃんは割と最初の頃は積極的じゃなかったんよね。お金にうるさい人やってん(笑)。

更 はい、はい。そうですね。でもやったら楽しさが分かりました。吸い殻探しが楽しくなってきて。お金に換えられないものが「ゴミコロリ」にあるんですよね。

木 「(ゴミが)無い無い!」うるさくって。

一同 (笑)

木 そんないきなりゴミ袋がいっぱいにならへんやん。

更 ウフフフ。今も「無い〜無い〜」言うてますよ。

 

― いいことか、悪いことか分からないですね(笑)。

 

木 結果的にはちゃんといっぱいになるんやけどね。ゴミ袋もいろいろ歴史があったよね。

Q うん。

木 最初は45ℓの袋。なかなかいっぱいにするのが難しいし、いっぱいになったらなったで重くて運ぶの大変やから、それを段々30ℓとか15ℓの袋に持ち替えていって。

更 そうですね。

 

― すごいですね、段々洗練されていってる。

 

木 あと全員がゴミ袋持たなくていいとか。

更 ああ、あったあった。

木 今、全員は袋持ってへんよな。

更 誰かとシェアっていうのが多い。全員持たんでもええやんって。

木 毎月いつやるかも決めてなかった。

更 そうですね。今みたいに第3水曜日って決まってなかったですよね。ふんわりとはじまった気がする。

木 車や自転車が危ないってことを警戒して、無難な賀茂川[3]沿いからはじまってんな。ただでさえゴミが少ない賀茂川沿いをみんなでね。

更 そうですね。最初はみんなでぞろぞろと。

木 先に歩いてる人がゴミを拾っちゃって、後ろの人はゴミが無いみたいな(笑)。だからだんだんグループ分けもしていって。今は上賀茂地域[4]を6エリアに分割してる。

 

― なるほど。なんか年表作りたくなってきた(笑)。

 

木 だから例えば南-1エリアの人は自分たちのエリアに着くまでは、その間に通る他のエリアのゴミは拾わないっていうルールがあんねん。

Q でも、拾ってしまうねんな。

更 拾いたくなりますもんね。

 

― 拾いたくなるゴミとかあるんですか?

 

更 煙草の吸殻を見つけたらもう…。あの側溝の網々の中にはまってるのを見つけたら拾いたくて仕方がないんですよ。でも、エリアが決まってるから拾ったらあかんと思ってこらえるんですけどね。

 

― エリアに入ったら拾い出す?

 

更 「やったー!」って。吸い殻を拾うたびに嬉しくて、嬉しくて(笑)。

木 回を重ねるごとに他にもルールができていったよね。畑に入っちゃいけないとか。

Q それとか火バサミを車に当てないとか。

木 「首に気をつけろ!」っていうのもあるな。

 

― 首に気をつけろ?

 

木 車道のゴミを拾う時に、昔あちゃみちゃんが危ない目にあってん(笑)。北山通り[5]でね。足は歩道にインしてるんやけど、首が車道にアウトしてんねん。そこに市バスがやって来て、もうちょっとで首をもがれかけた。「首ポロリ」ね。

一同 (笑)

 

― 「首ポロリ」なってたら、もう「ゴミコロリ」無かったですね(笑)。

 

木 そうそう。そういうピンチがあったから、気が利く人が車道側に立って歩道側の人を守るとかするようになった。

 

― どんどん更新されてますね。どうやってバージョンアップされていくんですか? 木ノ戸さんが決めてるんですか?

 

木 そんなことないよ。

 

― 畑に入らないとかは?

 

木 あれはやっぱり誰かが畑に入って怒られたからやな。おれが言ったんかもしれんね。「畑はどうやら入ったらダメみたいだ」って(笑)。危ない目っていうとね、Qさんがゴミを拾うか? 命を守るか? っていう2択に迫られた時に、命を捨ててゴミを拾いに行ったことが忘れられへんねん(笑)。

一同 (笑)

 

― それ、どういう状況ですか?

 

木 賀茂川沿いのまあまあ車通りが激しい土手があって、ビニール袋がふわふわと舞ってたんやね。Qさんは車とゴミ、両方の情報をキャッチして迷ったわけ。で、「いける!」って判断したんやけど、めっちゃ危なかってん(笑)。

 

― ビニール袋は取れたんですか(笑)?

 

Q 取れた。

木 だからおれ、あちゃみちゃんが市バスに首をもがれかけたやつと、Qさんが車に轢かれかけたやつ、あの風景を見れただけで「ゴミコロリ」やった甲斐あったなって思ってる。

一同 (笑)

 

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― 僕、事務所に自転車で行くんですけど、朝、銀行の人とかいろんな人が掃除してたりするんです。

 

木 必ずやってるよな、あれ。

 

― あんまりいい感じには見えないんですよね。

 

更 ああ、言われたしやってるみたいな?

木 言われたからやってるんやと思うで。おれらは別に誰にも言われてないもんな。

更 自分らは楽しんでやってるし。

木 普通の「ゴミ拾い」に参加したことある?

更 普通の「ゴミ拾い」は無いですね。「ゴミコロリ」でやったのがはじめてですね。

 

― 僕は何回かありますね。小学校の授業でなんですけど、山の中でいろんなゴミが落ちてるのを拾いましたね。

 

木 「ゴミコロリ」と「ゴミ拾い」の何が違うんだろうと考えた時に、「ゴミ拾いしましょ」ってなったら「面倒臭い」って気持ちになるやん。

 

― 見てる方は面白くないですよね。面白くないというのが基本で、あとはちょっとウザいとか、押しつけがましいとか、ゼロからマイナスに気持ちが傾くんですよね。

 

木 なんか清らかなものを見せられてるような感じがするよね。

更 恩着せがましい?

木 そう。「ゴミ拾い」にはどうしてもポジティブに捉えざるを得ない暴力性というか、押しつけがある気がする。そのへんが「ゴミコロリ」にはあんまり無いんちゃうかなあ。

 

― 確かにそうですね。

 

更 楽しんでやってるしね。

木 「ゴミコロリ」がお金にならないか? っていう議論した時期はあったやんな。

 

― そういう議論、やっぱりあったんですね。

 

木 あった、あった。

Q でも「ゴミコロリ」ってお金にならへんやつやろ?

木 せやで。でも「ゴミコロリ」に広告つけようかっていう時期もあったやん、スポンサーを。でもスポンサーをつけるとやっぱり顔色をうかがったり一気に制約かかるし、無い方が「Swinging」だって、こうやって好きな風にできるわけやん。

 

― そうですね。スポンサーの宣伝になりますからね。やっぱり裏が見えてしまうというか、やらしい感じがしますよね。ゼッケンは「第1回」からあったんですか?

 

木 「第1回」からあった。あっ、そういう意味ではちゃんと準備してたんやなあ。火バサミもあったし、ゴミ袋もあったし。区役所行ったり、最初はおれが段取りしたんやと思うで。

 

― 区役所行くんですか? こういう活動しますって?

 

木 毎月、区役所行って申請してんねん、実は。もう馴染みやけど。行政用語で「一斉清掃」って言うの。

 

― ええ〜、「一斉清掃」!?

 

木 大勢で一斉に清掃するっていう意味で。坂本一生[6]かと思った。

更 ああ、でも高橋一生[7]の方が…。

木 でもって何やねん(笑)。

一同 (笑)

木 そういう意味ではスポンサーは行政やんね。

 

― そうですね。そう考えると、あながち自分たちが楽しいからやってるだけではないような気がしますね。行政のひとつの活動として、それを代行してるって感じしますよね。

 

木 ………。

 

― そこまでではないですか?

 

木 いや、それ新しい考え方やなあ。

 

[1]「ゴミコロリ」の広報部隊、「まち美化戦隊ゴミコロレンジャー」の構成員。全員、ゴミブルー。

[2]現在、唯一の女性ゴミブルー。あちゃみがゴミブルーやから「ちゃみブルー」。

[3] 京都市内を流れる一級河川。

[4]京都府京都市北区上賀茂。名所として賀茂別雷神社(上賀茂神社)、深泥池等があり、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている。

[5]京都市街地北部の東西幹線道路。現代感覚をとり入れた建物が並び、ブティック、飲食店等も多い。

[6]さかもと・いっせい。タレント。旧芸名は新加勢大周(しん・かせ・たいしゅう)。

[7]たかはし・いっせい。俳優。

 

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「ゴミブルー」の登場

 

Q ゴミ拾いと「ゴミコロリ」の差は〜。

木 あ、すごい。最初に戻したな(笑)。

Q ゴミブルーがいるかいないかだと思うんだけど。

木 その心は?

Q ゴミブルーだけ警察に捕まるから。

木 確かにね。警察に捕まるゴミ拾いなんて無いもんな(笑)。

Q  でも段々覚えてもらって、今がある。

更 うんうん。そうや。

 

― ゴミブルーは最初からいたんですか? ゴミブルーを登場させるきっかけとかあったんですか?

 

木 最初はいない。

更 何きっかけやったかな? 覚えてないな。

木 覚えてないの?

更 忘れてます(笑)。

木 ゴミブルー初登場は「第50回」の時ね、ちょうど5年前ぐらいやわ。

更 あ、そっか。

 

― じゃあ、結構ためてたんですね。もっと早いこと出てたイメージが。そのぐらい計画されていたというか狙いすましてやってたのかと。

 

木 「第50回」に至るまでにもゴミブルーはいたんよ、キャラクターとしては。イベントに出たりね。でも「ゴミコロリ」本体にはずっと登場してなくて。やっぱりね〜、この上賀茂地域って伝統的で歴史もある地域やから(笑)。

 

― 「第50回」まで温められてたと。

 

木 「お祝いやし盛大にやりましょ!」ってノリで出した。で、やってみて「意外と大丈夫!」っていう手ごたえを得たんやと思う。警察に通報された時期は…ちょっと分からんなあ。

更 50回の時とちゃいます?

木 記憶力すげーな。あちゃみちゃん、そん時いた?

更 いましたよ。

木 Qさんは?

Q いたよ。

木 ビビった?

更 ビビりましたよ、もちろん。

 

― チャリンコで来たんですか、警察は?

 

木 パトカー3台。

 

― パトカー3台!? すごいっすね。

 

木 だって超不審者やもん。

一同 (笑)

 

― 僕も夜、家帰ってマンションの前にゴミブルーがいたら通報すると思います(笑)。

 

木 でも今は警察に通報されたりする気しないんやけどな。コンビニ入って買い物だってするしなあ。だいぶおかしいよなあ。

更 はいはい。

 

― それはかなり。このご時世ですからね。

 

木 コンビニも入るやろ。もう平気で交番にも行けるんやから行けない場所ないやん。

更 そうですね。

木 第1回目からゴミブルー登場させて、「クレジットカード落ちてたんですけど」って交番に行ったらたぶん射殺やんね。ゴミレッドになるな。

 

― いや、ゴミパープルになりますね。

 

一同 (笑)

木 なんかね、実感としてはどこに行ってもセーフなんよね。ゴミブルーをおかしいと思わない周りの視線もそうやけど、ゴミブルー自身の変化もデカイと思う。

 

― ああ、パフォーマンス力。

 

木 そうそうそう。ゴミブルーが「私たちは異物です」っていう感覚を持ってるとやっぱりそれは伝わると思うんやな。

更 ああ。

木 今はもう、自分がゴミブルーであることを忘れる時すらある。「今日どっちやったっけ?」って。ほんで「あっ、視界が狭いから今日はゴミブルーか」みたいな(笑)。

 

― もう麻痺してる?

 

木 麻痺してる。こっち側も「慣れた」っていうのはあるね。自分の中でもうOKが出ちゃってる状況が緊張感を生まないんやと思う。

 

― それはあると思いますね。犬もこっちがビビると、向こうもビビるみたいな。

 

木 そうそう。だから銀行強盗する人は「銀行強盗感」をいかに出さないかが勝負やねん。

一同 (Qを見る) 

Q しーひんわ!

一同 (笑)

更 まだ自分は恥ずかしさが残ってますね。

木 失格!

更 うう、失格は困る…。

 

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「ゴミブルー」の力

 

― ゴミブルーがいるっていうのはやっぱりすごいですよね。

 

木 「全ての属性をかき消す」っていうのがゴミブルーのすごいところ。「男/女」とか、「障害者/健常者」とか、「頭おかしい/おかしくない」とか。

 

― うんうん。

 

木 例えば変なカチューシャ付けたりするわけやん、Qさんは。その場合、「ゴミコロリ」必須の火バサミはたぶん逆効果で、周りの人からしたら「子猫の首を拾いまわる人」みたいに見えると思う(笑)。で、ゴミブルーの存在が猫殺しのQさんを…。

Q 猫殺しちゃうで!

一同 (笑)

木 「アブナイ人」扱いされかねない人がいても、もっとビジュアル的なインパクトがあるゴミブルーに目がいくっていう。車イス押されながら「ゴミコロリ」やってるKAZUSHIくんだって、ゴミブルーになると「目が見えにくい」とか「歩きにくい」とか、そういう「障害」的な視点が破壊されてしまう。

 

― そうか〜、それは面白いですね。いろんなもんをゼロにするというか。Qさんはゴミブルーにならない?

 

木 ゴミブルーに必要なのは体形とやる気だけ。Qさんはやる気があっても体形が…。

Q (スーツに体が)入らん。

木 だから塗るしかないな(笑)。

更 ボディペイント(笑)。

木 ゴミブルーがもはやセーフやからアウト作んないと(笑)。

 

― 物理的な問題ですね(笑)。じゃ、逆にサイズがあればQさんもやりたい?

 

Q あんまり。

木 ほんとは入りたいくせに!

 

― でもなんかハメが外れるっていいですよね。昔だったらお祭りとか普段の自分じゃなくなれる機会って結構準備されてたような気もするんですよね、無礼講な感じというか。そういうのが最近無い気もするんで、ゴミブルーがそういう役をやっているような感じもしますけどね。

 

木 「ハレ」と「ケ」みたいなことをすごく考えたことがあったんやけど、そういう意味では落ち込んでる日でもこれ着たら「ハレ」にならなくちゃいけない! っていう回路が働く。あちゃみちゃんだって調子のいい時ばっかりブルーになってるわけじゃないやん?

更 そらそうですよね。

木 ゴミブルーを見る側の人も「ハレ」になるよね。「ケ」の人は通報するか、スルーやわ(笑)。

 

― それこそ獅子舞とかでも、中に「誰々のおっちゃんが入ってる」って分かってるけど、盛り上がる前提ってあると思うんですよね。それにちょっと近いと思います。

 

木 うん、近いね。「上賀茂幼稚園」 の裏門とか分かりやすいよな。

更 ああ、うんうん。

木 幼稚園のところに小さい門があって、ゴミブルーに気付いた子どもたちが「あのオッサンやろ!」って寄って来んねんけど。

更 増田ブルー が一番じゃないですかね、やっぱり。

 

― バレてるという(笑)。

 

木 バレてることも織り込み済みで「こないだゴミブルーで来てた人や!」っていう認知が成立していて。だから何年か前まではゴミブルーじゃないと手を振られなかったわけ。

 

― うんうんうん。

 

木 で、今は増田政男その人に手が振られるわけね。

更 私もまれに「ゴミレンジャーの人や」って言ってくれる子がいて。増田ブルーには適わんけどあそこまでなりたい。

木 増田さんは子どもひとりいたら(緊張で)スウィングに来れなかった人やで。そう思うとやっぱり、あのマスクの持つ力ってなんかあるなあ。

 

― いや、あるんじゃないですか、やっぱり。簡単に言うとスウィングがやってる「ごっこ遊び」やと思うんですけど、幼稚園児からしてもそれに乗っかれて単純に楽しいっていうのもあるし、やってる側の心境の変化とかも含めると、ちょっと心が楽になるみたいなのがあるんかなと。一瞬リアルな自分を離れられることによる解決というか、何かと距離を取れるというか。

 

木 「ゴミコロリ」をしてるだけで「私たちは平日の真昼間から胸張ってゴミ拾いをしています!」みたいな解脱感はあると思う。なんか「ゴミコロリ」ってなるとちょっとだけ気合い入るよな。

更 よっしゃ! 頑張るぞ! みたいな。

木 そういう意味では相当、非日常的な「ハレ」やと思うんよ。ある種の優位性を感じてるのかもしれない。でもゴミブルーは特にそうやわね。いつもの自分じゃなくなって一層「ハレ」の世界に飛べる。

 

― カメラマンもそんな感じですね。成田とかでもカメラを持って撮りに行くってなるとカメラを武器にちょっと変な人にならないと人に接近しきれないみたいな。何かしら非日常性みたいなものを出すことで人との距離を縮めるみたいなことはあるみたいです。

 

木 うん。人と人との間の敷居を下げる。

更 「ゴミコロリ」きっかけの増田さんと子どもたちとの関わりとか、スウィングも全然休まなくなったっていうのがすごいし、今は増田さんがいなければ「ゴミコロリ」盛り上がらへんのちゃうかなと思うくらいですね。

木 すごいよな。

 

[8]かずし。2013年よりNPO法人スウィングに所属。芸術創作活動「オレたちひょうげん族」にて愛してやまない「志村けん」を頂点とした独自の表現世界を展開中。

[9]京都市立上賀茂幼稚園。スウィングのチョーご近所。

[10]増田政男が中身のゴミブルー。増田政男については下記。

[11]ますだ・まさお。2006年よりNPO法人スウィング所属。左官屋、自衛隊、夜の街での(あり得ない)豪遊等々、さまざまな経歴(?)を持つ。かつては休み癖がひどく、最盛期は出勤率3割を誇る。

[12]成田舞(なりた・まい)。写真家。第16号より夫の坂田佐武郎氏とともに「Swinging」の制作に関わる。2009年、littlemoreBCCKS写真集公募展大賞・審査員賞 (川内倫子氏選)。2008年littlemoreBCCKS写真集公募展審査員賞 (松本弦人氏選)。

 

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「持続性」と「場開き」

 

― 10年という時間もすごいですよね。「ゴミコロリ」ってネーミングも「ゴミブルー」もアイデアがすごいなあっていうところが目につきがちなんですけど。それと同じくらい10年続いてて、そのアイデアを受け入れてくれる地味な地元の認知の広がりみたいなものが面白いなって。

 

木 「ゴミコロリ」を通じて増田ブルーが知られて、結果的に増田政男その人が子どもたちから愛されてる。増田さんがこうなった過程って増田さんの中でも引き継がれてゆくものやし、地域の中でも引き継がれてゆくものやんか。やっぱり「毎月1回」って続けてゆくのが大事なこと。そういう地道さしかないよね。積み重ねやなあ。

更 そうですね。

 

― 京都は特にそういう部分あるかもしれないですね。

 

木 ゴミブルーが出る出ないに関わらず、たぶん見てる人は見てたと思うよね。だって目につかないわけないやん、あんな2、30人で。ゴミブルーがいなくてもおかしいで、そら。

更 ああ、青のゼッケンつけた集団が。

木 やっぱり、相当怪しかったんちゃうかな。

Q うん。

更 今は「ゴミコロリ」してたら「ありがとう」って言ってくれる人の方が多いですよね。

木 昔はなんか言われたの? 悪いこととか。

更 昔はどうやったやろ? あんまり記憶に無いけど「ありがとう」の言葉はなかったかな。

木 それは、あちゃみちゃんがPTAみたいなオーラ出してるからと違うん?

一同 (笑)

更 ええ! そんなことないですよ。でもまだその頃はなんか、地域の人も声かけにくかったっていうのもあるんでしょうね、たぶん。

木 そらそうやろうね。

更 今は気軽に声かけてくれはるし。

Q 「ご苦労様です」って言ってもらえる。

木 「苦労してへんわ!」って逆ギレせーへんの?

Q なんでや!

 

― 10年間、台無しですね(笑)。

 

一同 (笑)

木 暑いから寒いからって止めないもんね。1年通して必ずやるっていう地道さがやっぱり一番物を言うんじゃないかな。

更 吹雪の中もやったし。

Q 雨の中でも。

 

― 「敷居の低いイベントが定期的にある」というのは地域的な住みやすさにも繋がるんじゃないかと思うんです。

 

木 そういう「装置」が必要な時代であり社会なんやと思う。「装置」なんか無くてもそうなればいいんやけど、たぶん「装置」を作らざるを得ないんやと思う。でも、それらしい不自然な一過性の「装置」では文化として根付いてゆかない。「ゴミ拾い」って誰が見ても分かるから根付くよね。でもQさんの絵は「誰もが」にはならない。

Q なんでや。

木 おれは今日もQさんの詩見てゲラゲラ笑ったけど、面白くない人には面白くないやん。

更 そりゃ、読んだ人の目線ていうのはそれぞれやし。

Q 見る人によって個人差があるっていう。

木 そういうこと。

 

― 「ゴミコロリ」にはそれが無いということですよね。

 

木 誰も文句のつけようが無いっていうか。そこが「踏み絵」みたいなもんで、仇でもあるんだけど「どうぞ踏んでください」的な余地を残しているところがあざとい(笑)。

 

― もうひとつ大きいなと思うのが、「ゴミコロリ」は他のスウィングの活動と違って積極的に外に出てますよね。「持ち出し型スウィング」というか。

 

木 そこに面白さがあると思うんよね。今「場を開く」っていうことに対してすごく関心が寄せられていて、そういう試みがたくさんある気がする。でもただ開けばいいってもんでもなくって、開いた気になってるってことが多いと思う。

 

― うんうん。

 

木 「場を開く」っていうのは、「私たちのこの感じに反応する人、来てください!」って特性を持つやんか、当たり前に。つまり、ある文化っていうのはどうしても人を限定する。「オープンですよ」って言いつつ実はすごく限定してる。いい悪いじゃなくてね。それは「ゴミコロリ」も一緒なんやけど、いかにそのハードルを下げるか? っていうのが肝心やと思う。最近多いやんか、「お気軽にお入りください」とか書いてある立て看板。でも、入りにくいもんは入りにくい。「場を開く」っていうのは、「ウェルカムな状況で待つこと」じゃなくって、「ウェルカムな状態でその場の異文化を持って外に出ていくこと」やと思うねん。自分たちのテリトリーの中で「待つ」っていうのは実はすごい閉じてる。怖がってる。でも「場を開く」っていうのはそれぐらい怖いことなんやと思う。そういう意味では展覧会とかは「待つ」しかできないから難しい。でも「ゴミコロリ」の場合は「待つ」んじゃなくって「勝手に通りすぎる」やん?(笑) ゴミブルーがコンビニで買い物もするやん?(笑) そういう「待つ」んじゃなくって「動く」場の開き方をしたいんよね。

 

[13] スウィングは芸術創作活動「オレたちひょうげん族」から生まれた作品群を発表する主催展覧会を、毎年3回程度開催しているのだ!

 

07.jpg

 

「ゴミコロリ」は続くよ、いつまでも。

 

― 「ゴミコロリ」の心得をお願いします。3つ集まるはずなんで。

 

木 3つ集まった時、何が起こるんやったっけ?

一同 (笑)

更 ドラゴンボールもらえる(笑)。なんやろ、心得…。ゴミを見つけたら人に取られるな。

木 最低やな(笑)。パンデミックとか起こった時にスーパーで1番最初に盗み働くやつや。

更 えええ! それは無いっす(笑)。

木 まあ、いいや。じゃ、ちゃみブルー目線で。

更 ちゃみブルー目線やったら…子どもの笑顔は大切。フフフフ。

Q 子どもだけか? 「ゴミコロリ」とは「いたちごっこ」なり。

一同 ああ〜。

木 でも捨てられんと仕事にならへんわけやろ? それはどう思うの? 「いたちごっこ」やとゴミ捨てる方が悪いみたいになってるやん。

Q 微妙。

更 「微妙」ときた(笑)。

木 捨ててほしい?

Q 微妙。まあ、どっちにしろ「いたちごっこ」には違いないから。誰かが捨てるから拾う。

更 なるほど。ゴミが無いと「ゴミコロリ」はできないってわけで。

 

― 持ちつ持たれつ(笑)。

 

木 でも、やらんでも誰も困らんわけでしょ? それが心得やと思うなあ。やった方がいいと思うようなことに意味が無くって、やらんでええと皆が思ってることの方に意味がある気がするんよね。「ゴミコロリ」は誰も一銭も儲からへん。だけどみんなすごく充実感があって「金になることが全てじゃない」っていうことをちゃんと証明してるひとつやと思う。それが人ひとりにとってすごく大きな意味を持つものやということ。

更 ほんまにね、拾うことが生きがいになってたりするしね。

木 生きがいやったら毎日すると思うんやけど、してへんやん(笑)。

更 「ゴミコロリ」の時だけやるから〜。

木 そうそうそう。生きがいみたいになってしまうと、それはそれでしんどくなると思うわ(笑)。

更 でも毎月の楽しみではありますね。

木 そうね。楽しみ方も人それぞれやんか。休憩時間のアイスが楽しみでやってる人もいるし。

更 ほんまですね(笑)。

Q ゴミブルーになるのを楽しみにしてる人もいるし。

更 もうちょっとやってもいいかなと思ったりもするけど。週2ぐらいでやったら京都市内すっきりする(笑)。

 

― 週2。多いですね(笑)。

 

2017年11月6日(月)収録/写真:成田舞

(フリーペーパー「Swinging Vol.23/特集:『ゴミコロリ』という仕事。」より転載)

 

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【揺れるシセツチョー】「目に見えないモノ」だらけ

新しい家が欲しい/後藤実/2016

 

大型ショッピングモールに行く。滅多に行かないが、時々は行く。そこには楽しそうな表情を浮かべた人、明らかに苛立っている人、無表情に淡々としている人、本当にたくさんの人がいるが、僕は同時に「そこにいない人たち」について考えることがある。こんなにもたくさんの人が、今、当たり前のように目の前にいるが、この場所に来たくても来られない人はどのくらいいるのだろうか、あるいは存在さえ知らない人は一体どのくらいいるのだろうか、と。来れたら幸せ、来れなければ不幸せというのではない。ただ、賑やかに晴れやかに、まるでこの時代や社会を端的に象徴しているかのような大型ショッピングモールという景色の中で、「そこにいない人たち」に思いを馳せる時、世界が決して「目に見えるモノ」ばかりでできているのではないという単純な事実を、分かりやすく感じることができる。 

 

いつの頃からか、月に1、2回、目の見えない人に鍼を打ってもらうことが習慣化している。お店に入って予め指名した人(当然「達人」を指名する)と「こんにちは」と出会う時、いつも僕の心は少しばかりほっとするのだが、それは恐らく、自分の姿を見られていないことに対する安堵感のようなものだと思う。そしてベッドに寝そべり、いざ施術がはじまると(もちろん目で見られているわけではないのだが)、今度は自分の身体の奥深くまで、優しく丁寧に見られていることの心地良さを感じはじめる。誰かが「怖い! 鍼は目の見える人に打ってほしい!」と言ったのには笑ったが、なるほど、まあ分かるような気もする。けれど、この安堵感や心地良さの正体は一体なんなのだろう。 

 

先日訪れた京都の北部の方(つまり田舎の方)のある温泉には「浴室内で喫煙しないこと、発見したら即出入禁止」といった旨の貼り紙がはられていた。浴室内で喫煙する人がいるのか!? …というシンプルな驚きと、そりゃ最低限のマナーは守らなあかんよなという思いとともに、1回失敗! 即退場! という寛容さに欠ける風潮が、社会の隅々にまで浸透しているのを目の当たりにしたようで、なんだか暗澹たる思いに包まれた。映画館に行くと、あれも禁止! これも禁止! のオンパレードが続く。やはりマナーは大切だと思うけれど、前の席を蹴ってしまったなら「あ、すみません」でいいのではないのだろうか。誰かによって都合よく作られた「べき」やら「ねば」やらおせっかいに囚われ、思考が、身体が、行動が萎縮してゆく。何かもっと大切なことがなおざりにされているような気がする。 

 

ある時、スウィングのある人の危機的な状況について、また別のある人がこう言った。この状況はピンチではなくチャンスなんだと。それもその人固有の問題ではなく、スウィング全体がより良くなるチャンスなんだと。皆が皆じゃないにしても、こうした発想が「誰か」から生まれるこのスウィングという場を、僕は誇らしい! 素晴らしい! と素直に感じた。個の問題を個の内に留めず、もっと全体をいい感じにしようぜ! という捉え方は、僕が考える「アート」にとても似ている。私的な(そして多くの場合、非常に切実な)問題や美意識なりを、「普遍性」「全体性」を有するものに高めること、その過程にこそ「アート」は在るのではないか、あるいはそうした過程をこそ「アート」と呼ぶのではないか、そんな風に考えている。もちろん作品としての「アート」があることは確かだが、過程無くしてそれが生まれ出ることはない。卵が先か? ニワトリが先か? の話に似ているけれど、僕としては作品としての「アート」(=ニワトリ)が成立するまでの過程に宿る、目に見えない「アート」(=卵)の方に興味がある…というか日々魅力を感じ続けている。 

 

この世界で生きてゆくことは、多くの「目に見えないモノ」によって支えられ、時には阻害されている。「縁」とか「運」とか、年を取った人たちはさらっと何気なく言うけれど(…偏見だろうか?)、それらは本来さらっと言えてしまうくらい、当たり前に大事なことなのだと思う。北野武監督・映画「座頭市」は小石につまずいて転んだ座頭市の「いくらめいっぱい目をおっぴろげても、見えないもんは見えないんだよなぁ」というセリフで締め括られる。映画を観た当時はこのセリフ要らん! と残念に思ったものだが、今この歳になってようやく、このラストの意味が我が身を通して少し分かる気がする。

(フリーペーパー「Swinging Vol.22」より転載) 

 

文:木ノ戸昌幸(きのと・まさゆき) 

NPO法人スウィング理事長。立命館大学文学部日本文学専攻卒。NPO、演劇、遺跡発掘等々の活動・職業を経て、「毎日笑えるよ」という友人の勧めで障害のある人に関わる仕事に就く。2006年にNPO法人スウィングを立ち上げ、「障害福祉」の枠を超えた創造的な取り組みを通して、社会を変えてゆきたいと願ったり願わなかったり。

 

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