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G一周忌:正座する美しきくるくるパー

 

スウィングで僕を見かけるたび、Gさんはわざとらしく残念そうな表情を浮かべながら、素早くくるくるパーを宙に描き出した。

 

くるくるパー。

 

当たっている。申し分なく正しい。100%認める。

だけど同時に僕には僕の言い分、いや礼儀というものがある。

右手の人差し指をピンと伸ばして丁重に2回小さな円を描き、そしてできるだけ分かりやすくハッキリと右手を開き、パーの形を作る。Gさんを真っ直ぐ見つめ、「伝われ」と念じながら。

 

くるくるパー。

 

少々独特なこの挨拶の往復には、なかなかに深い意味合いがあったように思う。

僕たちは互いを傷つけ合っていたわけではなく、むしろお互いの、この世界における正確な立ち位置を確認し合っていたのだ。

 

くるくるパー。

 

あなたよりは少しだけマシだと思うけれど、そこは双方譲りがたいけれど、今日も明日も、過去も未来も、完全無欠にくるくるパー。残念だけど、まあ仕方がないよね。お手上げして、受け入れ続けるしかないよね。

 

そこには他の誰とも交換しようのない、不思議な公平さがあった。

 

 

1年前。現実的な色合いを持って刻々と近づく別れの時を前に、なぜこんなに悲しいのだろうか? とパートナーに尋ねたことがある。

彼女から返ってきたのは「当たり前よ。友だちだからよ」というシンプルで明快な答えだった。

 

そう言われるまで気づけなかった。

年も立場(それがなんだって言うのだ??)も随分と違ったが、確かに僕と彼とは公平な友人同士だったのだ。

時折キッチンで膝を抱え、狂ったように嗚咽せざるを得なかったは、彼が稀有で特別な友人だったからに他ならない。

稀有で特別な友人を間もなく失くそうとする時、人は大声をあげて泣くものだと思う。

泣いてもいいのだと思う。

 

 

Gさんとはよく遊びに行った。

一体どのように予定を調整したのだろうか? それが僕からの誘いの場合は電話を使い、彼からの誘いの場合は手紙であったような気がする。まあ、どうでもいい。

 

木下大サーカスや都をどりや宝塚歌劇を一緒に見に行き、最初だけ盛り上がり、すぐに飽きて隣同士並んでグーグー寝た。

良いも悪いもない、ただの思い出だ。でも楽しかった。

 

スウィングは元より、元気な頃のGさんが毎日のように訪れていた(京都市左京区にある)ショッピングモールでもバッタリとよく出会った。

そんな時にはスウィングでの演技じみたくるくるパーではなく、互いにオッスと手を上げ、普通に挨拶を交わした。

面白かったのは「何してんの?」とか「買い物?」とかではなく、それが休日の昼間であろうとどのようなタイミングであろうと、さっきまで一緒にいたみたいな会話が突然はじまることだった。

「○○さんはなあ、○○さんと……」「あれ、どうなっとんの?」「ワシは○○は好かん」「〇〇知っとるぅ??」。

 

 

それはそのショッピングモールに古くからある(今でもある)、レコードショップ『HMV』の中でも同じことだった。

でもその日の出来事について、思い出すたび思わず吹き出してしまうのは、それがあまりにも「稀有で特別な」光景だったからだ。

まだGさんがそこそこ元気に歩き回れていた頃のことだから、10年以上前のことになろうかと思う。

 

僕がフラフラと店に入ると、すぐに年の離れた友人の姿が目に入った。

間違えるわけがない。白髪。無駄にハンサムな顔。いつもの服。

 

くわえて彼は、レジの真ん前で、正しくレジに向かって正座をしていた。

 

その傍らにはレジ待ちをする客たちが並び、レジの向こう側には忙しそうに働く店員たちがいた。

あまりにも「稀有で特別な」光景だった。あまりにも普段どおりのレジ前の風景の中で、我が友人だけが、ある意味神々しく完全に独立していた。

 

くるくるパー。

 

同時に無関心なくるくるパーたち。けれど皆若い。

レジ前できちんと正座する謎の老人を目の前にした時、一体どう対処していいのか分からず、かえって普段どおりに振る舞いたくなる気持ちは分からないでもない。あるいは誰かからの当たり前の親切な一言を、老人はめんどくさげに一蹴したのかもしれない。


僕が神々しさの中に遠慮なく足を踏み入れ、笑いながらオッスと声をかけると、軽く右手を上げてオッスと返す友人。

そして「○○さんはなあ、○○さんと……」「あれ、どうなっとんの?」「ワシは○○は好かん」「〇〇知っとるぅ??」。

顔色は特に悪くない。歩き疲れたか腰が痛くなって、そこに適当なベンチなりがなかったから、束の間の休憩をしていたのだろう。

レジの真ん前で、正しくレジに向かって正座をして。

 

それからどうしたのかはよく覚えていない。さすがにほったらかしにはしなかっただろうから、近くのベンチに移動してGさんが好きなミルクティーでも買って飲んだか、どこかで一緒にご飯でも食べたか、家まで送ったか。

 

 

2022年9月6日。Gさんが逝ってちょうど1年。

僕はこんな、馬鹿みたいに美しい思い出に浸り、笑い、少しだけ泣いた。

 

家のささやかなリビングルームには、遺品として受け取ったタオルを飾り続けている。

稀有で特別な安っぽいタオル。HAPPY VACATION。

現実を遠ざけ、幸せな気持ちにさせてくれる。

 

くるくるパー。

 

木ノ戸昌幸

| THEE G | 23:47 | comments(0) | -
(追悼G:episode.5)続・失われた「ワオ!!!」を求めて

 

2021年9月6日、あっちに逝っちまったGさん。

その10日後、Gさんの最後のヘアスタイル(ヘルパーさんができる範囲でザクザク切った感じと白髪)がとてもカッコいいと思っていたので、僕は美容室に行って「Gさんみたいにしてくれ」と頼んでいました(頑張ってもらいましたが白髪は無理でした)。

 

終わって頭をヒリヒリさせながらスウィングにやって来ると、唐突に丸坊主にして「旧日本軍の人」みたいになった沼田君に出会いました。みんな笑っていましたが、僕はちょっと気になって短く「Gさん??」と尋ねました。

すると彼はすぐに「はい、それが大きいです」と答えました。

 

示し合わせたわけではありません。でも奇しくも同じ日に僕と沼田君は同じようなことをしようとしていました。

まだ皆、当然ながらGさんの死を消化しきれない気持ちを抱えていて、それぞれのやり方で折り合いをつけようとしているんだと思います。

 

Gさんを偲び、「親の年金をつかってキャバクラ」展(2018−2019)で展示した名珍エピソード(本ブログ掲載)から、さらに選りすぐった5選を順次ご紹介。ラストはGさんの本領と混沌が眩いばかりに発揮されまくった「失われた『ワオ!!!』を求めて」の続編です。

 

G, forever.

 

 

 

続・失われた「ワオ!!!」を求めて

2018.04.13 Friday 

 

仕事終わりの送迎車内、Gさんが言う。

 

 

「もう77か〜」

 

 

それ、なんか知ってる、知ってる、知ってるぅ〜! 

ドライバー西川くん、激しい既視感に頭がクラクラする。

既視感というか割と最近、「これ」からはじまるやり取りをしたのは紛れもない事実だ。

ほんで最後はおれが「ワオ!!!」言うてバカにされて終わるんやろ? 

もう分かっている。もう分かっているが、分かっているのはおれなのであってGさんではない。

西川くん、気持ちを切り替え丁重に訂正させていただく。

 

 

「違いますよ。79ですよ」

 

 

するとGさん、まさか! みたいな驚いた表情で言う。割と大き目の声で言う。

うん、このリアクションももう知ってる。

 

 

「79? ほな来年で80か〜!!!」

 

 

あれ? なんかちょっと違うな……。

は確か「79? ほな次80やんけ!! ワオ!!!」だったはずだ。

さすがGさん、ここへ来て「ワオ!!!」抜きプラス微妙なニュアンス変更くわえてきおったな。

ん? 来年? 来年で80? 違うよ。今年の6月で80よ。来年は81よ。

あかんあかん、このままにしてはおけん。

想定外の展開に少々動揺しながらも、再び丁重に訂正させていただく。

 

 

「違いますよ、今年の6月で80ですよ」

 

 

たかだか「今年」と「来年」の違いですけどどうですか? 

でも1年の違いってけっこう大きくないですか? 

するとGさん、真実をすぐに理解したのか、少しがっかりした様子でこう言う。

 

 

 

 

「なんや〜、80で6月か〜」

 

 

 

 

ワオ!!! ワオ!!! ワオ!!!

 

木ノ戸昌幸

| THEE G | 21:24 | comments(0) | -
(追悼G:episode.4)パトカーと霊柩車

 

2021年9月6日、あっちに逝っちまったGさん。

葬儀の日にスウィングで催された「川の電流のように 〜サヨナラGさん2021〜」では、Gさん(本名:畑正直さん)宛てに手紙がたくさん書かれました。

 

はたまさなお 永遠に!!!

Gさん ありがとう

天国で まんじゅう食べてね♡

 

Gさんを偲び、「親の年金をつかってキャバクラ」展(2018−2019)で展示した名珍エピソード(本ブログ掲載)から、さらに選りすぐった5選を順次ご紹介。4つ目はおよそ3年前の「さとり」についてです。

 

G, forever.

 

 

パトカーと霊柩車

2018.03.29 Thursday 

 

仕事終わりの送迎車内、ぼんやりと窓外を見つめるGさんが言う。

 

 

「わし、アレ乗ったことあんねん」

 

 

ドライバー西川くん、Gさんの視線の先を追う。

そこには前後に並んで停まったパトカーと霊柩車。なかなか目にすることの無い、珍しい風景である。

「アレ乗ったことあんねん」か。

どっちかと言うとアレはあっちのような気がするけど一応聞いてみるか。

「聞いて! 聞いて!」のオーラ、ビンビンやし。

 

 

「どっちですか?」

 

 

するとGさん、「あっち」と迷わずパトカーの方を指差す。

そうか、やっぱりアレはパトカーの方やったか。

まあ長い人生、乗ったことあるくらい……な(実は理由も知ってるけどさすがにここでは言えん)。

 

でも、長い人生と言えば誰かのお見送りとか霊柩車の方に乗る機会は一度もなかったのだろうか。

一応もっかい、そこ確認しとこ。

 

 

「じゃあ、あっちは?」

 

 

(あまり良いことのような気はしないけれど)言いながら西川くん、霊柩車の方を指差す。

Gさんは少し首の角度を変え、束の間、霊柩車の方をじっと見つめる。

そしてこう言う。

 

 

 

 

「あっちは、もうちょっと」

 

 

 

 

よ!! リアルさとり世代!!!

 

木ノ戸昌幸

| THEE G | 14:29 | comments(0) | -
(追悼G:episode.3)失われた「ワオ!!!」を求めて

 

2021年9月6日、あっちに逝っちまったGさん。

葬儀の日、スウィングでは「川の電流のように 〜サヨナラGさん2021〜」と題した偲ぶ会的な、いやスウィングらしく笑ってGさんを送るための会を催しました。みんなでGさんの思い出話に花を咲かせながら、手紙を書いたり似顔絵を描いたり彼が好きだったもの(鯖寿司とか)を食べたりしました。「川の電流のように」はGさんがその昔、故郷・丹波篠山で「電流を川に流して魚を感電死させる漁」をしていたことに因んだものです。

 

Gさんを偲び、「親の年金をつかってキャバクラ」展(2018−2019)で展示した名珍エピソード(本ブログ掲載)から、さらに選りすぐった5選を順次ご紹介。3つ目はいつまでも気の若かったGさんの「ワオ!!!」です。

 

G, forever.

 

 

失われた「ワオ!!!」を求めて

2018.03.01 Thursday 

 

仕事終わりの送迎車内、Gさんが言う。 

 

 

「もう77か〜」

 

 

いやいやいやいや。いやいやいやいや。

なんや“しみじみした感じ”出してるけど違うし。それ、2年前のデータやし。

ドライバー西川くん、丁重に訂正させていただく。

 

 

「違いますよ。79ですよ」

 

 

するとGさん、まさか! みたいな驚いた表情で言う。

割と大き目の声で言う。

 

 

「79? ほな次80やんけ!! ワオ!!!」

 

 

「ワオ!!!」て……。79歳が「ワオ!!!」て……。

そうですよ。Gさん、今年でもう、80になるんですよ。「傘寿」(「傘」の略字が八と十を重ねた形になり、八十と読めることに由来)ですよ。まだまだ長生きしてくださいね。

そうしてしばしの沈黙の後、再びGさんが口を開く。 

 

 

「もう77か〜」

 

 

コラコラコラコラ。コラコラコラコラ。

なんやはじめてみたいに“しみじみした感じ”出してるけど、それついさっき終わったとこやし! 

「ワオ!!!」で終わったとこやし! 

……けれどGさん、ふざけているわけではないようだ。うむ、しゃあない、しゃあない。切り替えていこ。

ドライバー西川くん、再び丁重に訂正させていただく。

 

 

「(さっきも言うたけど)違いますよ。79ですよ」

 

 

さて。どんなリアクションが返って来るのか? 

ちょっとドキドキする。

 

 

「79? ほな次80やんけ!!」

 

 

すごいな、おい……。鮮度120%やないか……。

あれ? でも、なんか足りんな……。鮮度は申し分ないけどなんか足りんな……。

あ! 「ワオ!!!」は? 「ワオ!!!」は言うてくれへんの? なんで〜? え〜? なんで〜? ちゃんと「ワオ!!!」言うて〜な〜。

西川くん、しばらく待ってみるがGさんから「ワオ!!!」は出てこない。もう、な〜んも無かったような顔をして、ちんまりと座っている。あかん、このままではスッキリせ〜へん。ぜったい今晩眠れへん。

……これはもう、……自分でやるしか、……ない。 

 

 

 

 

「ワオ!!!」

 

 

 

 

Dear Mr. G。

失われた「ワオ!!!」を取り戻すため、在るべき場所に在るべきものを正しくおさめるため、あなたに代わって捨て身の勇気を見せた男の、男・西川の美しい姿を見ましたか? 見てくれましたか? 

え? どうなのよ???  

 

 

 

 

「何がワオ!!! や」

 

 

 

 

何がて、何がじゃ!!! 

もともとはアンタが!!!

 

木ノ戸昌幸

| THEE G | 13:08 | comments(0) | -
(追悼G:episode.2)1兆トンのトランスフォーム

 

2021年9月6日、あっちに逝っちまったGさん。

葬儀の前日、冷たくなったGさんの枕元にそっと置かれていたのが、かなえさんの手紙でした。

 

 

天国で長生きしてね。

 

 

「深い!」と思わず笑ってしまいました。

 

Gさんを偲び、「親の年金をつかってキャバクラ」展(2018−2019)で展示した名珍エピソード(本ブログ掲載)から、さらに選りすぐった5選を順次ご紹介。2つ目はハリウッド超大作並みのものすごいスケールと切れ味です。

 

G, forever.

 

 

1兆トンのトランスフォーム

2017.03.13 Monday

 

事件は送迎中に起こる。

事故は起こらないけど事件はなんか知らんけどよー起こる。


その日の仕事終わりの送迎車内。快調に車を走らせるドライバー西川くんの隣(つまり助手席、なんも助手にならんけど……)で、ボンヤリと窓外を眺めるGさんが言う。 

 

 

「あれは2千トンやな」

 

 

確かにデカいトラックだが、そんなんは無い。そこまでデカいのはあり得ない。見たことない。聞いたことない。必要無い。少なくともあれは絶対に違う。


だが、西川くんは考える。経験上、こう考える。この確定的な事実をGさんに訴えてもきっと無駄だろう。むしろおれが馬鹿にされて傷つく(ムカつく)ことになる可能性が圧倒的に高い。それならばこの壮大なデタラメをさらに掘り下げてみようではないか。 

 

 

「そうなんですか。他にはどんなんがあるんですか?」

 

 

Gさんの表情が「しゃあないの〜。そんなに聞くなら教えたろか〜」的にキラリと輝く。

上手く響いたようだ。そうして自慢げにこう言う。 

 

 

「2千トン! 4千トン! 6千トン! 8千トン!」

 

 

う〜ん……。想像以上にものすごいスケール……。

一見、小刻みなようだが、2千トンずつというもの凄い刻み方をしている。だが、まだまだGさんの実力はこんなもんじゃないはずだ。 

 

 

「8千トンがいちばん大きいんですか?」

 

 

予想どおり闘志(なんのやねん!)に火がついた様子のGさん。少しイライラした様子でこう返してくる。 

 

 

「そんなわけあるかい! 1兆トンや!」

 

 

1兆トン!????? さっきまでMAX8千トンやったのに、急に1兆トン!?????


もはやハリウッド超大作でも1兆トンのトラックは描けないのではないか……。「トランスフォーマー」、シリーズ100作くらい作らな追いつかへんで……。 

 

 

「……何を積むんですか?」

 

 

1兆トンのトラックに一体何を積むというのか??? 

怖い。怖い。なんて言わはんにゃろ。

ああ怖い(ああ楽しみ)。 

 

 

 

 

 

 

「ブタや」

 

 

 

 

 

 

……豚???  


わお! トンが! 豚(トン)に! トランスフォーーーーーム!!!!! 

 

木ノ戸昌幸

| THEE G | 22:27 | comments(0) | -
(追悼G:episode.1)ハワイ旅行の土産

 

2021年9月6日、あっちに逝っちまったGさん。

 

当の本人にその気があったかどうかは分からないですが、いやなかったんだと思いますが、彼の口から飛び出す言葉や物語(?)はいつも僕たちをゲラゲラ笑わせてくれました。

あ、食べカスもよく口からプププと飛び出していました。そりゃもう悲劇でした。

 

そんなGさんを偲び、「親の年金をつかってキャバクラ」展(2018−2019)で展示した名珍エピソード(本ブログ掲載)から、さらに選りすぐった5選を順次ご紹介します。

 

G, forever.

 

 

ハワイ旅行の土産

2015.05.18 Monday

 

 

Gさんが言う。

 

 

「ワシ、昔ハワイ行ったことあるんや! あれは良かった!」

 

 

Gさん、その昔勤めていた建設会社の社員旅行で、ハワイに行ったのだという。

Gさん、若き日の輝かしき思い出……。

 

 

「あれは良かった! 食べ物も最高やった!」

 

 

きっとベタなん食べはったんやろな〜。でも何食べても美味しかったんやろな〜。

恐らくお土産も(マカデミアナッツとか)分っかりやす〜いベタなもんを買わはったのだろう。ちょっと聞いてみよ。Gさん、ハワイ土産には何を買わはったんですか?? 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まんじゅう」

 

 

 

 

 

 

 

 

よ! ド日本男児!!!

 

木ノ戸昌幸

| THEE G | 11:54 | comments(0) | -
Gさん、逝く

🄫Narita Mai

 

G…G…Gメン75。あかん。若い子、誰も知らん(ちなみに昔のドラマのこと)。G…G…Gパン。これはもはや死語か(ちなみにジーンズ、もしくはデニムのこと)。G…G…Gカップ。で、でかい。言うてる場合か。G…G…じい…爺…爺さん…Gさん。いつまで働きたいかをたずねると、「命切れるまで」と即答する仕事熱心なG氏はぶっちぎりのスウィング最高齢、御年八十歳である(二〇一八年七月現在)。一九三八年、兵庫県篠山市に生まれたG氏は、友人に誘われ二十代で京都へ。建設関係の職に就き、以来、体力勝負の現場仕事を続ける。パチンコ、風俗、演歌、任侠映画、バラエティ番組、時のアイドルなどを愛しながら三十代で結婚、五十代後半にして知的障害の認定を受ける。二〇〇七年、六十九歳のとき、縁あってスウィングの一員となってからは、黙々と「箱折り」(八ッ橋などの菓子箱を折る仕事)にいそしんだり、お得意の演歌をいい声で歌ったり、なぜか突然草むしりをはじめたり、「これ、知っとるぅ?」と、そもそも正解が危うい「うろ覚えクイズ」を出題したりしながら日々を送っているが、その端正な顔立ちを裏切るかのような、自称・石原裕次郎の素っ頓狂な素顔に魅了される人は少なくない。近年は持病の腰痛悪化や加齢のため外出も難しく、「あと○年でお別れやなあ」などとウヘウへ冗談交じりに言う中にも弱気な響きが感じられるようになったが、それでも相変わらず毎日のように繰り出す大ボケ小ボケの数々が、そもそものキャラクターによるものなのか、知的障害によるものなのか、はたまた認知症によるものなのか、ますます混迷の度を深めている。

 

 

この文章は2018年から2019年、全国6ヶ所を巡回した「親の年金をつかってキャバクラ」展にて展示したテキストです。

久しぶりに読み返しましたが、苦労して書いた甲斐あってかGさんの人柄がよく表れているなあ、と涙ながらに自画自賛しています。

 

本日朝、老衰のためスウィングの長老・Gさん(83歳)が亡くなりました。

その顔は安らかで穏やかで、僕たちもやれることは全てやり切りました。

だから残念とかもうちょっととかいう思いはなく、ただただ悲しい、ただそれだけです。

 

 

Gさんは今年4月30日からおよそ3週間、虚血性腸炎のために入院しました。

退院後はスウィングへの復帰を目指し3〜4名が代わる代わる自宅を訪れ、犬、コーラ、美味しい匂い、都はるみやデカンショ節、北川景子、懐かしい思い出話等々とにかくGさんが好きなこと、少しでも楽しい気持ちになれそうなことを繰り出し続けるWake Up G作戦を敢行しました。


この頃はまだ、みな本気で復帰を信じていました。

 

しかしながら6月7日より脱水症状のため再び2週間の入院。

退院時には更に足腰が弱り、コミュニケーションを図ることも随分と難しくなっていました。

ほどなく僕たちはスウィングへの復帰が現実的ではないことを理解し、復帰を促すためのWake Up Gではなく、その反対にスウィングらしさをGさん宅に持ち込み、彼のそばでそれぞれが好きなように過ごすというStand by G作戦に切り替えました。

 

 

たとえば僕はあちゃみちゃんと山口惠子さんと、彼の故郷・丹波篠山に伝わる民謡「デカンショ節」を唄うようになりました。

山口さんは2018年、結核のために長期入院を余儀なくされ、すっかり弱ってしまったGさんを何とか元気づけたいとスタートした「Gうへうへ舞妓PROJECT」(2019年7月〜)に、最初期から参画してくれた役者さんです。

そして昨年9月のある日、昼食を終えたGさんがふいに、突然大きな声で唄い出したのがデカンショ節だったのです。

 

こうして各々が各々のやり方で、聴こえていると、感じていると信じて<Gさんのそばにいる>Stand by Gを続けながら、同時にいつ訪れるか分からないその時が刻々と近づいていることを肌身で感じてきました。

そして8月下旬から「看取り」と呼ばれる段階へと移ってゆきました。

 

 

今日までスウィングはスウィングらしく、そして精一杯の関わりを続けてきましたが、彼のこうした生活は様々な人たちによって支えられてきました。

ホームヘルパー、看護師、往診のドクター、後見人。

網の目を縫うようなサポートがスムーズに、それも一枚岩で進められてきたのは、ひとえに何者でもなかった、けれど他の誰でもなかった唯一無二のGさんという人の魅力ゆえだと思います。

家族ではない僕たちが、家族のように彼の周囲を囲み、誰ひとりとしてその「おくりかた」に異論を唱えることもなく、淡々と、思いを持って関わりを続ける様は時に感動的ですらありました。


自宅で看取る、延命はしない。

すべてチーム一同が全員一致で決めたことです。

 

 

Gさんはよく「命切れるまで」働きたいと言っていました。

「あんたの命は電池か」と笑わないでもなかったのですが、どのような形であれ、彼は本当に最後の最後まで仕事に生きた人だったように思います。

発する言葉や反応、目を開ける時間や体の動きは少しずつ減ってゆき確実に死は近づいてきました。

けれど彼は「生きる」という大仕事を、正に命が燃え尽きるその時まで僕たちに見せ続けてくれました。

 

カッコよかった。

 

 

とにかくユーモラスな人でした。僕たちはGさんの大ファンでした。

 

もうあの、切れ味鋭すぎる大ボケ小ボケには出会えないのかと、しばらく前から僕は落胆していました。

 

訃報を受け、今日の14時頃、もう20年来の付き合いになろうかという数人で連れ立ち、Gさん宅を訪れました。

真上を向いてベッドに横たわる顔の右横には生前愛用していた、そしてなぜ愛用していたのか全くわけが分からない「ハーレーダビッドソン」の帽子がそっと置いてありました。

きっと長い付き合いがあるヘルパーさんがそうしたのだろうと想像しました。

 

そしてふと気づいたのです。

 

ベッドのすぐ後ろの窓にかかっているカーテンのようなものが、なぜかアメリカ合衆国の国旗柄の、大きなバスタオルになっていることに(これも恐らくヘルパーさんの仕事だと思います)。


ハーレーダビッドソンと星条旗。

完全に「アメリカを愛した男、逝く」みたいな、あまりに唐突な嘘八百の景色。


<パチンコ、風俗、演歌、任侠映画、バラエティ番組、時のアイドルなど>を愛した男の、最後の渾身のボケに思え、笑えて笑えて仕方がありませんでした。

 

 

……でも、これで最後じゃなかったのです。

 

アメリカ偽愛事件のおよそ30分後。

Gさんが自宅から運び出され、葬儀社の車に乗らんとしたその時のことです。

その傍らを注意深く、ゆっくりと通り過ぎたのは「あきら幼稚園」の送迎バスだったのです。


あまりにも、あまりにも深い。


詳しくはこちらをご覧下さい。

 

 

★2018.08.06 Monday 

あなたは何を諦め、生きてきましたか?

http://garden.swing-npo.com/?eid=1400579

 

 

 

多くの方に愛された人でした。

いつもズボンがギリギリまでずり落ちて、ナチュラルヒップハングになっている人でした。


Gさんに向けられるたくさんの人たちからの愛に溢れた眼差しは、僕たちにとってもいつも大きな力になりました。


本当に本当にありがとうございました。

 

 

 

そしてGさんの人生に、盛大な拍手を。

 

 

木ノ戸昌幸

 

※ 葬儀は近親者、関係者数名で執り行われます。

※ Gさんへの贈り物等は受け付けかねますのでご遠慮ください。

| THEE G | 23:35 | comments(1) | -
犬好き爺の色彩感覚

 

特にパッとしない、でも取り立てて悪いこともなかった平穏なある日の送迎車内。

ゆっくりと家路へと向かう道中、長老・Gさんがドライバー西川君に言う。

 

 

「これくらいの犬が飼いたい」

 

 

……いきなり何!?? 

そ、そうかあ、そんな気持ちがあったんかあ。

唐突すぎる、そして18年に渡る付き合いの中ではじめて聞く言葉に一瞬ひるむ西川君。

 

ひるみながらGさんの手元に目をやって更に目を丸くする。

彼がしわくちゃの両手で示す<これくらい>が、ソフトボールくらいだったからだ。

 

 

ち、ちっちゃ……。

 

さすがにそんな、そのサイズの犬はいないと思うんだけど。。。

ま、まあええわ。気にせず話聞いてみよ。

 

 

「犬は散歩させなダメですよ」

 

「散歩は行くよ〜」

 

 

なるほど。

転がす気か。

 

 

「オスがいいんですか? メスがいいんですか?」

 

「どっちでもよい」

 

 

Gよ、老いたな。

昔のあんたなら犬であってもメス一択だったろうに。

 

 

「どんな毛色がいいんですか?」

 

「色って言われても〜」

 

 

 

おお、そこは迷うのか。

確かにね〜、色の好みって大きいもんね〜。

 

……が、Gさんの挙動が(いつものように)おかしい。

犬の色に迷うのはいいが、なぜかキョロキョロ狭い車内を見回しているのだ。

こんな地味な空間の中から好みの色を見つけ出す気なのだろうか??

 

西川君の心配をよそに、ほどなくキョロGの首が座り、キラリ瞳の輝きが増す。

そして助手席と運転席の間に置かれたあるモノを指差しながら、いつになく強い意思をたたえた声を発する。

 

 

 

 

「アレ」

 

 

 

 

 

ソレ、(自分用の)オムツやないかい!!!

気になるカラーは白と水色のストライプだったという。

 

 

……そんな無茶苦茶を言う、犬好きのGさんが今ピンチです。

およそ3週間前に体調を崩し入院。先日退院し家に戻ったものの、食事にもほとんど手をつけない状況が続いています。

6月1日に迎えた83歳の誕生日も祝えていません。

田中さんの飼い犬のプリンを連れて行ったり、とにかく好きなもの(お金やプリンやゼリーなどなど)を差し入れたり、Gさんがいちばん好きだった女性をインターン石田さんに演じてもらったり、北川景子のお面をかぶってみたり、できることはやっているのですが。。。

 

 

引き続き明日以降も、できることを続けます。

Gさんはとにかく犬が好きなので、もっとたくさん犬を連れて行けたらとも考えています。

この先そんな呼びかけを、どういう形でかは分かりませんがするかもしれません。

 

そのときはどうかご協力をお願いいたします。

 

木ノ戸昌幸

| THEE G | 21:31 | comments(0) | -
THEE の系譜

 

THEE HEADCOATS(ヘッドコーツ)

英国ガレージ・パンク界の大御所、ビリー・チャイルディッシュ率いる3人組ロックバンド。1989年英ケント州チャタムで結成され、かのニューヨークタイムズ紙では「ガレージロックの王様」と評された。

 

 

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)

日本のロックバンド。1991年結成。1960年代から1970年代のパンク・ロックやパブロック、ガレージロックを彷彿とさせ、ブルースロック、ロカビリーなどの要素も取り入れられたサウンドが特徴。暴力的なまでのエッジの鋭さとスピード感に溢れたライヴが圧倒的な支持を受け、現在も数多くのミュージシャンやロックファンに影響を与え続けている。2003年解散。

 


THEE G(ジー)

1938年に誕生した日本の爺さん。兵庫県篠山市出身、京都府京都市在住。「THEE G」は「ジ・ジー」と読んで欲しい。2006年よりNPO法人スウィングに所属、当人はギリギリ「す・ウィング」と呼んでいる。生来の天然ボケとユーモラスな性格に、知的障害と認知症が合わさったカオティックな存在感と数々の名珍エピソードは唯一無二。2021年6月1日、83歳を迎える。

 

木ノ戸昌幸

 

★新スタッフ募集中!!★

・少々個性的な募集内容となりますが、良い縁がありますように。 

・詳細については下記ブログをご覧ください。 

 

2021.04.30 Friday

新スタッフを募集します!!!

http://garden.swing-npo.com/?eid=1400859

| THEE G | 14:33 | comments(0) | -
大人のおもちゃ

 

スウィング最長老・Gさん、生きている。

生きて、月、水、金の3日間、スウィングに来続けている。

 

「命切れるまで」働きたい彼の本職は、本来「shiki OLIOLI」(八ッ橋の箱を折り折り組み立てる仕事)なのだがコロナ禍に入ってからずっと休業中。

 

 

そうした事情もあり、Gさんのここ1年間の主な仕事は「『ドリフ大爆笑』のDVDを見ること」にシフトしている。

彼の稀有な能力「忘れる力」は生まれもっての天然ボケと知的障害に、近年新たに認知症も加わりますます冴え渡っているのだが、さすがにドリフも繰り返し見てたら何となく既視感が生まれ、爆笑しにくくなってくるようだ。

 

 

そんなドリフに退屈したアンニュイ爺が最近ぷにぷに遊んでいるのがカエルのおもちゃ。

それこそ既視感たっぷり、遊んだ記憶はなくても、どこかで見たことはある気がする昭和レトロな例のやつだ。

 

 

小さな風船のようなポンプをぷにぷにすると、カエルが微妙に、本当に微妙に、「死にかけてる」くらいの感じで勢いなく飛び跳ねる。

 

赤ちゃん……いや3〜4歳児くらいまでは喜ぶかも、というのが妥当な客観的認識だと思う。


けれど不穏なコロナ禍をタフに生き抜く82歳が発した春雷の如きひと言は、そんなつまらない先入観を真っ二つに叩き割る。

 

 

 

 

「大人でも結構おもろい」

 

 

 

んなアホな!!!

いや、空腹が最高のスパイスならば、退屈は人をこの上なくクリエイティブにさせるものらしい。

でもそれ以上に、自分を「大人代表」のように語っているのが妙に引っかかる。

 

木ノ戸昌幸

 

★お知らせ/視察・見学について★

・スウィングの見学日は毎月第3水曜日と第4金曜日となります。 

・時間、料金(学生無料!)、定員、プログラム等の詳細については下記ブログをご覧ください。

・現状、定員を10名→5名に変更して実施予定です。

・コロナ禍の影響で実施をしない可能性もあります。予めご了承ください。

 

2019.03.04 Monday

見学日を月2回(毎月第3水・第4金)とさせていただきます。

http://garden.swing-npo.com/?eid=1400635

| THEE G | 20:10 | comments(0) | -
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