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「現代 アウトサイダーアート リアル」とあのリアル

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先日、櫻本京一とXLが出展作家として参加した展覧会「現代  アウトサイダーアート  リアル ― 現代美術の先にあるもの ―」を鑑賞した。

個性溢れまくる作品群と、それぞれの個性を殺さないキュレーションは見事だったし、なんせ会場がね、田舎モンは無条件にビビってしまう東京・表参道のド真ん中、1階がCHANELの「GYRE」っていうのもやっぱすごかった。

 

 

櫻本とXLの2人はとても嬉しそうだったし、「笑ってしまうくらいに馬鹿デカい花束を渡す大作戦!」によって、この展覧会のキュレーターである「ACM Gallery」の杉本志乃さん、そして妹の華世さんを笑わすことにも成功した。

 

花束を運ぶ道すがら、すれ違う人たちが笑っていたのも嬉しかった。  

 

 

展覧会は10月27日で終了したが、杉本さんたちは休むことなく、今度は「アウトサイダー・アートフェア NY」への初出展を果たすべく、クラウドファウンディングに挑戦中だ。

 

リターンのひとつ、「現代  アウトサイダーアート  リアル ― 現代美術の先にあるもの ―」展カタログには僕も寄稿させていただいた。

 

昨今、障害者と芸術表現の親和性が注目されているが、いや、それ、ちょっと違うんじゃないか? という斬新な論旨(自分で言うよね〜)ゆえ、事務員の田村さんにめっちゃ客観的なアドバイスをもらいまくりながら書き上げたテキストだ。

 

気になる方は、クラウドファウンディングへGO!して、DO!してみてください! →

 

 

さて、展示を堪能してビルを出て、京都への帰路につこうとした矢先、僕は突然、強烈な既視感に襲われる。

 

はじめて訪れた表参道なのに、なぜ??

 

 

「恵文社一乗寺店ギャラリーアンフェール」にてKAZUSHI個展「LOVE KILLS YOU.」を開催したのは1年半前のこと、そしてKAZUSHIが突然コラージュ制作をはじめたのは、もう3年以上前のことだ。

 

彼のモジモジとした恥ずかしげな様子とは裏腹に、その表現世界は大胆不適、奇妙奇天烈。

著作権とか肖像権とかプライバシー権とか、様々な権利に対する、「愛」を武器にした戦いは今も途絶えることなく続いている。

 

同時にその禁断の世界に触れた人たちの度肝を抜き、痛快に笑かし続けているわけであるが、個人的にはその最も初期の作品、あの「表参道の衝撃」を上回る感動(?)を味わうことは難しいんじゃないかと思ってきた。

 

 

そう! 今目の前にあるこの景色はワオワオ!! 

 まさにその、「表参道の衝撃」の現場ではないか!

「表参道ヒルズ」の前でベビーカー押したことないし、お洒落なワンピース着たことないのにそういうことにされて、無理やり既視感を感じさせられた、あの景色ではないか!!

 

 

なんという運命のいたずらだろうか。

「GYRE」は表参道ヒルズのほぼ真向かいにあったのだ。

 

「既視感の既視感」という未知のゾーンにぶち込まれた興奮に身を委ねつつ、僕は「あの場所を見つけたい!」という、強い欲求に駆られた。

この東京出張に同行し、またKAZUSHIのコラージュ制作を見つめ続けてきたあやちゃんもノリノリだった(櫻本とXLは「仕方ないなあ……」といった感じだった)。

 

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素早く彼女は例の画像をどこからか探し出し、僕たちは虚構とリアルを見比べながら、足を使って行きつ戻りつ、スマホの画面を何度も何度も見つめる。

 

何かヒントはないか??

あの場所を特定する手がかりはどこかにないか??

 

 

あった。これだ。

 

点字ブロックとマンホールと四角いヤツがギュッ! としてる場所。ここを探せばいいのだ!


これは絶対に僕の足ではないのに、そうとしか思えないのが不思議だ。

 

 

彷徨い、探し続けること約1時間。

乗車予定の新幹線の時間はもう過ぎてしまったが、ああ、ここだ、ここで間違いない!

 

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ほら、点字ブロックとマンホールと四角いヤツが3つ並んでいるでしょう?

 

点字ブロック、あんときと比べるとだいぶ色が変わっちゃってるねー。

 

 

さあ、後はあんときの感じを再現すれば今回のミッションは完了だ。


……いや、う〜ん、「あんとき」って思い出せないっていうか、実際はなかった時間なんだけど、あったかのように感じているのがやっぱり気持ち悪いぞ。


この気持ち悪さを払拭するためにもね! 

踏んづけてるタイル(?)の数を慎重に数えてドンピシャなところでね!

 

 

そして遂に、遂に僕は帰ってきた。

まるで記憶の果ての生まれ故郷に帰ってきたような、ダライ・ラマの生まれ変わりを見つけたときのような(知らんけど)、そんな不思議な感慨に包まれる。

 

これで狂い続けてきた人生の辻褄が、ようやく合うに違いない。

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0)
哀しきヒーローの定め Thank you Jesse, and Good bye.

 

9月30日(月)午後。

僕は京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」メンバーの一員として、歌舞伎公演で著名な「南座」(京都市東山区)のほぼ真ん前、「四条京阪前」バス停/Bのりばにいた。

 

 

14時46分。


そこから(もちろん全部、異国語で)「産寧坂に行きたいんだけど、どう行けばいいの?」と尋ねてきたのが彼だ。


彼こと、ジェシー(仮名)だ。


産寧坂に行きたいとは珍しいリクエストだが、ジェシーはくわえて清水寺に行けばいいのか、金閣寺に行けばいいのか迷っていたみたいなので、なるほど、産寧坂って言うかとにかく清水寺に行きたいのね、と察した僕は、Q&XLのヘンタイ知識により、通り向こうの「Aのりば」から207に乗るよう案内した(下車は「清水坂」バス停)。

 

 

丁寧に手を合わせて少し頭を下げ、片言の日本語で「アリガトウ」とジェシー。

僕たちは、無事に目的地にたどり着けるよう願いつつ、彼の背中を見送ったのだった。

 

 

その2日後。

 

 

 

10月1日(水)午後。

僕は清掃活動「プチコロリ」メンバーの一員として、名刹・嵐山にいた。この日は日本経済新聞の取材も入っていたので、ベタに盛り上がる超有名観光地に行くことにしたのだ。


15時12分。


約2時間に及んだゴミ退治の最終盤のことだ。

僕は「嵐山」バス停/Bのりばに、見覚えのある人物を発見する。

 

ああ、忘れてなるものか!

ああ、僕のジェシー(仮名)!!

 

たった3日間のうちに、この広い広い世界の片隅で(まあ京都市内やけど)、二度も偶然出会うことなんてある???

これはもう、なんかやで! 

おれたちはあの〜、その〜、運命的なアレに導かれて出会うべくして出会った、なんかやで!

思わず興奮して両手を広げて近寄るが、なぜだか彼は微妙な表情を浮かべている。

 

どしたん? ジェシー? おれやん? 

2日前の、南座の、バス停の、産寧坂の、清水寺のおれやん??? 

 

 

……って、絶対わかんないよね。

 

今日のおれ、真っ青やん。

真っ青っていうか、そもそも人間ちゃうやん。

ヒーローやん。ゴミブルーやん。

 

 

僕のジェシー。

礼儀正しい、素晴らしいジェシー。

観光客のお手本のようなコースを巡っているジェシー。

 

これほどまでに己を、いや、ヒーローとして生きる己の定めを呪ったことがあっただろうか。

マスクを脱いで、今すぐ強く彼を抱きしめたい。

でも、それはできない。決してできないことなのだ。 

バットマン先輩、スーパーマン先輩、スパイダーマン先輩、タイガーマスク先輩、仮面の忍者・赤影先輩ほか多数。

今ようやく、パイセンヒーローたちの苦悩が、身を切るような痛みを伴いながら我が事として感じられる。

 

「Picture ok?」と、さらに近づく真っ青野郎を快く受け入れてくれたジェシー(いや普通、逆やで)。

そうして記念撮影を終えた別れ際、彼は僕たちに向かって手を合わせ少し頭を下げ、再び静かにこう言ったのである。

 

 

「アリガトウ」

 


ひょっとすると彼は、全てを分かっていたのかもしれない(んなわけ、あるかい)。

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 15:50 | comments(0) | trackbacks(0)
なんとも言えない残念な空気

 

先日、オランダのアウトサイダーアート美術館『Museum het Dolhuys』の館長である、ハンスさんとジェシカさんがスウィングを訪ねてきてくれた。ICOM(International Council of Museums/=国際博物館会議)に参加するため来日していたのだ。


しかしながら、英語が話せない僕は困ってしまった。

これまでの経験上、てっきり通訳……とまではいかないまでも、日本語が話せる方の同行があるものとばかり思っていたのが、お2人は「Nice to meet you」と、2人だけでやって来たからだ。

 

カタコトにも満たない英語で会話にのぞんでみるが、やっぱりうまく通じない。

わかった! めっちゃ集中して本気出せばいけるんじゃないか?? と思って、気合いを入れてモードを替えてみたけど全然意味なし! 無理なもんは無理!


一方、ハンスさんもジェシカさんも日本語はまるで話せない。

作品の力は言葉を越えるわけだけれど、スウィングではその言葉が作品になっていたりするし、作品だけを作っているわけでもないので、そのへんはやっぱり言葉を交わさないと伝わらない。


(もちろんGoogle翻訳などを駆使して、伝え合う努力はし続けたのだが)なかなか噛み合わない、互いにもどかしい時間を過ごすうち、僕たちの間に流れはじめたのは「なんとも言えない残念な空気」だ。

2人のオランダ人は、わざわざスウィングにやって来てくれた。

ひとりの日本人は、それなりに時間を作り、準備をして待っていた。

……にもかかわらず、残念!

 

 そのとき僕は思った。

 

あ、まったく言葉は通じないけど僕たちは今、まさに言葉を越え、国籍もその他いろんなものも全部越え、「なんとも言えない残念な空気」を確かにshareしているぞ!!! と。

 

これはなかなか稀有なことなんじゃないか。

いいか悪いかで言えば、100パー悪い部類に入る気がするが、とにかく、なかなか立ち会いたくても立ち会えない、稀有な時間なんじゃないか。

むしろうっかり僕が英語を話せていたら、無難なart談義に花を咲かせたりして、こんなshareな感じは絶対に味わえなかっただろう(いや、本当は味わいたくなかったのだ)。

実はこういうのをこそ、artisticって言うんじゃないか(いや、それは絶対違うと思う)。

 

ICOMの会場である京都国際会館へは、スウィングから車で行けば15分程度、すぐ近くだ。

僕はさっと車を走らせ、2人と、そして「なんとも言えない残念な空気」に別れを告げた。

 

次の日、スウィングに出勤すると、僕のデスクの上にそっと小包が置かれている。発送元は「京都国際会館」。

まさかと思いながら封を開けてみると、ああ、やっぱりあの2人からの贈り物だ。丁寧にメッセージまで添えてある。

なんてスマートなことをやってのける人たちなんだろう。これは全然残念なんかではないぞ。


海外旅行に行ったことは一度もないが、またひとつ行ってみたい国ができた。

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 19:00 | comments(0) | trackbacks(0)
赤だし地獄

 

疲れが溜まると腸を悪くしてしまいがちだ。

 

最近、そんなときに頼りにしているのが「味噌汁」で、固形物を一切摂らずにひたすら味噌汁だけを飲み、数週間を過ごしたこともある。この年になって、まさか味噌汁にハマるとは思ってもみなかったことだ。

さらに以前どなたかが「味噌汁にトマトジュースを入れて飲んでみてください」と勧めてくれたような……いや、でも、夢だったのかもしれないな……と思いつつ、まあ一度試してみようとやってみたのが確か4月のことであった。

 

その結果……。

 

もう信じられない!! 「うそぉ!!!」と、思わず大きめの声が出てしまうくらいに、メチャクチャ美味しかったのである。

 

 

さて、ある日の昼休み。

最近、新たにスウィングの一員となった、よしき君とあふる君が「自炊頑張ってる」談義に花を咲かせている。

僕は「これはチャンス!」とすかさず話の輪に入り込み、ふたりに向かって味噌汁&トマトジュースの美味しさを力説し、「ぜひ試してみてくれ!」と猛プッシュした。

あ、でも、これだけでは足りない、足りない。例の大事な情報を付け加えなければ。

あんな、ちなみにおれの場合、味噌汁はいつも「赤だし」やねん。なんか昔から好きやねん。だから赤だしにトマトジュースね。普通の味噌汁でもたぶん美味しいと思うんやけど、それはまだ試してないねん。だからやってみて逆に感想聞かせてよ。


すると、よしき君が言う。

 

 

「あ、うちも赤だしです」

 

 

お、マジか。それは話が早いね。

やっぱ赤には赤が合うよね。

続けざまに今度はあふる君が言う。

 

 

 

「あ、僕も赤だしです」

 

 

ママ、マジで!??  こんな赤だし野郎が勢揃いすることってある???

ちょっとした奇跡のような邂逅に驚き、赤だしについて熱く語り合う僕たちの前に、颯爽と姿を現したのはアッキーだ。

意外とお堅いアッキーが味噌汁&トマトジュースにチャレンジするとは思えへんけど、一応聞いてみよ。まずはここから。

アッキー、味噌汁は好き?

 

 

「だいじょーぶ!」

 

 

「だいじょーぶ!」か……。好きかどうかで「だいじょーぶ!」ということは、それほど好きというわけではないけど、嫌いでもないくらいか。

よし、では本題に入る。じゃあ、どんな味噌使ってる???

 

 

 

 

 

「赤〜!!!!」

 

 

 

 

世界は赤だしでできている。

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0)
決定?? 「Swing図書館(仮)」の名前!!

 

これまでも事業やプロジェクトに付けるネーミングにはこだわってきた。

名前って当たり前に大事だよなとも思うが、どうやらそれ以上に僕たちは「ネーミング」という行為が好きらしい。

ブランディングとか難しげなそんなんじゃない、名前を付けることそのものが大好きなのだ。

 

そしてよくパクる。

 

ちょっとカッコをつけてうまいことを言えば、インスピレーションを受けまくったり、オマージュを捧げまくったりしている。

かのボブ・ディランもこう言っていた(ように思う)。「オリジナルなんてない。あれもこれも誰かの影響だし、オレの曲はツギハギだらけだ」みたいなことを(言っていたように思う)。



「オレたちひょうげん族」は「オレたちひょうきん族」、「OYSS!」は「オイ〜ッス!」(by いかりや長介)、そして「ゴミコロリ」の語源(?)は『ケムシコロリ』という名の殺虫剤だ。


昔、スウィングの庭に毛虫が大量発生したことがあってね、全員屋内退避!! して『ケムシコロリ』でやっつけたことがあるの。


ちょうど名前を欲しがっていたタイミングで、たまたま毛虫が大量発生してくれて、たまたま買ってきた殺虫剤の名前が『ケムシコロリ』で。

 

よく言われることであるが、本当にピンチはチャンスだと思う。

 

 

ちなみにネーミングは僕だけがしているわけではなく、他の誰かの場合も結構ある。

たとえば「オレたちひょうげん族」は西川君案で、僕の最終案は「ETOCA, SHITOCA」であった。

そして最終的には西川案が採用され今に至っているわけだが、昨年2月、「無印良品グランフロント大阪店 Open MUJI」で開催した展覧会タイトルは「ETOCA, SHITOCA. WE ARE HYOGENZOKU FROM KYOTO.」とした。

なるべく、コトバロスはしたくない。

「それ」のタイミングが必ずしも「今」とは限らない。

 

ところで先日、SILK(=Swing Ichibu Library Keikaku)について、誰に頼まれるわけでもなく、でも盛大な気分で発表した(→)。

この計画の実現によって、スウィングを気楽に利用できる人が増えたら本当にいいなと思う。まだ見ぬ誰かがホッと一息つくことができる場所になればいいなと思う。

 

一方でこの間、ず〜っと「Swing図書館(仮)」で通してきたことが気になっていた。

いつも頭の片隅で、正式名称を何にするか考え続けていた。

しかしこれはなかなか手強い相手だ。うっかりシャレオツに走って何をやっているのかわからない、近づきがたい感じにするのが一番ヤバい。じゃあ、まずもって「Library」はナシだ。やはり「図書館」だ。ああ安心する。誰でも行ける。おれでも行ける。でも図書館だけじゃわからないから「THE 図書館」は? いやいやシンプルに走りすぎてちょっと怖い。遠ざけてどうする。じゃ、「THE TOSYOKAN」は? だからなんでTHEにこだわんねん。

 

……こんな感じで小さな自分たちが頭ん中で静かな議論を繰り広げてきたのであるが、いつも最後は決まって、全員が口を揃えてこう言うのだ。

 

やっぱり「Swing図書館」でええんちゃう???

 

う〜ん、確かに。シンプルだしわかりやすいし。

ゆれる図書館、ブランコみたいな図書館、よくわからないけれど悪くはない。

何よりスウィングの図書館であることが誰にでも、ハッキリとわかる。

でも、なんかちょっと物足りないのだ。もう一歩な気がするし、この感じをないがしろにしたら、きっと後々まで引きずることになる。

説明臭くなりすぎず、カッコよすぎず、むしろほんのりダサく、でも過不足なくその場が持つ意味を伝えられるシンプルな名前……。

 

ふとテーブルの上の、1枚のチラシに目がゆく。

 

昨日、「誠光社」から持って帰ったある映画のチラシ。

ひと月ほど前だったか、東京の友人(のFacebook)から情報を得てその存在を知り、京都で上映していないか? と調べたけどまだやってなくって、こないだ京都シネマに『主戦場』を観に行ったら、6月末から上映されることを知った、ある映画の。

 

 

 

 

『ニューヨーク公共図書館』

 

 

 

……これ、最高ちゃう???


ああ、なぜ今まで気がつかなかったのか。

シャレオツなフォントに目が眩んでしまったのか。またもシャレオツにやられてしまっていたのか。 

素直に「観たい!」と思ったのと同時に、当初から「にしては、ちょっとダサいな」とも(もちろんいい意味で!)どこかで感じていたのに。


「ニューヨーク」と「公共」のバランスが絶妙。

潔いくらいに堅物な感じも一周回ってカッコよすぎる。

しかも、しかも、チラシの裏面には「名称に『パブリック(public)』と入っているが、運営母体は独立法人で、市や州からの公的資金と民間の寄付によって成り立ち、パブリックは『公立』の意味ではなく、『公共』(誰にでも開かれた)の意味である」ってわざわざ書いてあるよ!

ハンパなく深いポリシーを感じるよ!

こんなにニューヨークに惹かれたのは、『星の王子  ニューヨークへ行く』以来だよ!


頭の中で何度も反芻する。

 

スウィング公共図書館……スウィング公共図書館……スウィング公共図書館……。

 

恐らく実態とは反することになるだろう、重々しい、大袈裟な感じがいい。

そして「公共性」「公益性」といったテーマともよく合う……っちゅーか、そのまんま!!!

若干、敷居を高くした感はあるが、まあ、そのあたりはデザインの力でクリアできるんじゃないか。

 

オマージュを捧げようにも「ニューヨーク公共図書館」には行ったことがないし、まだ映画も観ていない。

インスピレーションを受けたという割にはあまりにも「まんま」である。

 

でも、とにかく、今日から「Swing図書館(仮)」は、「スウィング公共図書館(仮)」になったのである。


まだ(仮)だけれども。ね。 

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0)
月の庭にて、『ええじゃないか!!!』展に思う

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三重県亀山市にある「月の庭」に滞在している。

朝5時。隣にはQさん。いつ目覚めたのか知らないが、部屋の中をウロウロと歩いたり、ただ布団の上に座ったりしている。

ここにはテレビがないからとても静かだ。もしテレビがあったならQさんはとっくにテレビの真正面に陣取り、チャンネルサーフィンをしまくっていたはずだ。

だけどここには幸いなことにテレビがない。だからとても静かで、ほのかな風に揺らされて鳴るガラス戸の音しか聞こえない。

 

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僕たちが特に会話もせずにぼんやりと過ごしているのは、現在、ここ「月の庭」を舞台に開催中の『四至本恭兵の ええじゃないか!!!』展の、メイン展示スペースである。


趣ある、とても居心地のいい和室。


Ackeyや後藤さんや若林君の作品に囲まれながら寝るのはもちろん、Qさんと2人きりで寝るのもはじめてのことだった。

 

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彼のイビキはとても高らか……いや、非常に大胆……いや、メチャクチャうるさいので、「離れて寝てくれないかな?」とお願いしたのだけど、ニヤッとして聞き入れてはもらえず、真横に布団を敷かれてしまった。

とんでもない、とうにょうびょ…いや、さびしんぼうである。

 

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昨日の15時頃、僕はQさん、四至本君、そして美馬君と京都からここへやって来て、一通り展示を見たり、美味しいご飯をいただいたりビールを飲んだり、そして夕方からはトークイベント「ダメでもええじゃないか!」に出演した。

ありがたいことに会場は超満員、主役である四至本君がそわそわ落ち着かない様子でマイクやプロジェクターをセッティングしたり、それらを無意味にセッティングし直したりしている様子がおかしかった。


後で聞いて知ったのだが、僕が冒頭、(本当は3時間は欲しいところだったが)「スウィングってこんなところです」と必要最低限にまとめてお話しさせてもらった40分の間、四至本君は感極まってしまって、涙をこらえていたのだという。

そしてこう書きながら今、僕の目にも涙が溢れている(Qさんは布団の上に座ったままだ)。

 

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彼と出会ったのはおよそ15年前、そしてスウィングに迎え入れたのが2009年だから、彼これもう10年の月日が流れたことになる。

本当に、いろいろなことがあった。

スウィングという優しい環境に甘え倒してだらしなく働き、でもええカッコはしたがる彼という人間が、正直あまり好きではなかった(少なくとも最初の数年間は)。

でも、なぜか僕は、どんなことがあっても彼という人間を諦めることができなかった。

ムカつき、叱り、お!ええ顔になったと喜び、また裏切られて失望しても、なぜか諦めることができず、もがきながらも信じ続けた。

 

なんだかんだ、かわいかったのだと思う。

僕にはない、彼が持っているもの(素直さとか見事な手の抜き方とか)に対し、多少の羨望もあったのだと思う。


そして彼のあまりに明白なダメさや不完全さは、僕の中にも確実にあるそれらを、許し続けてくれているのかもしれない。

 

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トークイベントの後半は、四至本君と、そして「月の庭」の岡田桂織さんとざっくばらんに話をした。

もう彼の、ダメさの開きっぷりったら素晴らしかった。

「皆さんももっとダメでいいんじゃないですか」と、上手いこと言うわけでもなく、力強くどころか少し申し訳なさそうに、でも、真摯に、率直に訴える姿がそこにあった。


えらそうだが、成長したなあと思う。

何かをできるようになったり、現実的な強みや技術や器用さを手にしたわけではなく、ダメな自分をありのままに認め、手放し、見ず知らずの他者に向かってフルオープンできるってすごいことだ。

 

※ ありのままの、素っ裸の自分に帰ること。それこそが成長であると僕は考えており、これを「成長とは乾燥ワカメが水で戻る説」と呼んでおります!

 

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だからといって、否応なく訪れる人生のいろいろが消えてなくなるわけではないし、ときに大きな壁にぶち当たって砕け散りそうになることだってあるだろう。

でも彼が手にしたもの(あるいは手にしようとしているもの)、彼が僕に教えてくれたものは、僕たちがこれからを、それぞれの人生を生き続けてゆくための、微かな光となるに違いない。

 

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四至本君が、思いついて嬉しかったという「ええじゃないか!!!」。

とてもいい展覧会です。皆の作品が赴きある「月の庭」とう場に馴染んでいるし、特に昨日の深夜、Qさんのイビキを聞いているくらいなら……とうっかり聞いてしまった、スィスィ・モットによる「作品解説オーディオガイド」はかなりツボで、密かな宝物にしようと思っています。

 

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明日までです。

皆さまのご来場を心よりお待ちしております

 

★……誰??? 『四至本恭兵の ええじゃないか!!!』展を開催します!!!

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 08:16 | comments(0) | trackbacks(0)
「これは怪文書ではなくラブレターです。」

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去年のいつ頃かだったか、ある団体から講演の依頼があった。が、お金があまりないらしく、交通費も謝礼も出せないという。

僕は依頼をしておいてそれはないだろうと、反射的に腹を立ててしまった。

ただでさえ忙しいのに、自腹を切って話に来いとは意味がわからない、と。

 

お金の問題に加えてスケジュール調整の難しさ等いろいろあって、結果的にこの話はポシャったのであるが、その後も僕はこの一件について考え続けた。

 

なぜその人たちは、お金もないのに話をしに来て欲しいと言ってくれたのだろう? 

なぜ僕はお金が出ないことに腹を立てたのだろう?

 

 「伝える」とは何だろうか?

 

求められたから、話してほしいと望まれたから伝えるのだろうか? 

 

違うんじゃないか。

 

そもそも、僕には伝えたいことがある。

恐らく必要以上に山ほどあり、それをいつも持て余している。

つまり、求められたからとか収入になるからとかそういうのはオマケみたいなもので、ただ「僕自身に」伝えたいことがあるから、伝えるのだ。

 

よく知らないけれど、かつて仏教やキリスト教を広めた人たちが、何か、具体的な見返りを求めただろうか。

よく知らないけれど、見返りどころか無慈悲に石を投げつけられてもなお、伝え続けたのではないだろうか。

 

話をしに行く……イコール交通費も宿泊費も、おまけに謝礼ももらえる。

一体僕はいつから、こんなふうにクソ傲慢な、えらそうな態度を取るようになったのだろう。

 

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今年1月、Qさんに誘われ、『ラブライブ!サンシャイン‼』の映画を観に行った(→)。

そしてその流れで、『ラブライブ!サンシャイン‼』の舞台である静岡県沼津市(つまり聖地)にQさんが行きたがっていることを知った。

 

ぬぬぬ沼津? 聞いたことないが、でも静岡にはエシカファームとかレッツとかcocoreとか、スウィングと縁の深い場所も多い。

うおっほう。沼津をググるとエシカファームがすぐそばにあるではないか。

じゃあ、相談してみよう。頼まれてもいないけど、Qさんと沼津に行ってみたいから、話させてもらえませんか? と持ちかけてみよう。

 

そうしてトントン拍子に話は進み、先週末、僕とQさんとそして沼田君は、『ラブライブ!サンシャイン!!』の聖地巡りを主目的としつつ、静岡初講演を敢行したのである。

 

 

……にも関わらず、僕の傲慢は止まらない。

 

こっちは声を涸らしながら話しているのに、二度とは訪れないこの時間をわざわざここで過ごしているというのに、その無反応は何??? と、ひとりの男性を視線の端に捕らえながら、苛立ちを覚えていたのである。

 

僕はしばしば「怖い」と言われる。そう言われて当たり前な風体をしている。

しかし、見た目だけで「怖い」とか言ってるあんたのほうがよっぽど怖いとか思ったりしている。

 

でも、それは即ち自分のことなのだ。

 

人知れず、この人は何をしに来たんだろうと、「そのときの僕の主観的な見た目」だけで苛立ちを感じていたその男性、大橋正季さんの、何と豊かな思索、心模様であったことだろう。

興奮さめやらぬと深夜に送ってくれたメールに込められた思いの深さといったら……。

熱いラブレターに僕は感動した。そして己の傲慢、ケツの穴の小ささを恥じた(大橋さん、マジでお許しください)。

 

死ね、自分。

 

Qさんは「わお!」と一言言ったきりだったが、(当日、緊張しまくっていた)沼田君は同じような気持ちを抱いたに違いない。

静岡に行って良かった。沼津に『ラブライブ!サンシャイン!!』があって良かった。

(ご本人の了承を得た上で)ここに大橋正季さんの、深夜の感激メール全文を公開させていただく。

 

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先日は三島市でのトークショー、本当にありがとうございました。「うわ!生スウィングの人たちだ!」と舞い上がり、緊張と、持ち前の人見知り力でお話ししたくても立ちすくんでしまっていましたが、最後は握手までして頂き幸せな時間でした!浜松市の大橋です。ご記憶に残っていれば嬉しいです。木ノ戸さんとは同じ年ということもあり、本当はもっとお話ししたかったのですが、あの日ほど自分の性格を呪った日はありません。。

 

思いっきり興奮した僕は昂る気持ちを抑えることができず、今回メールを送らせて頂くことに致しました。ご容赦下さい。何分興奮していることもあり、乱文、長文お許し下さい。「愛」だとお受け取り下さい!25年ぶりの「読書感想文」でもあります。

 

帰り道、改めてお話し頂いた「ゆれる」「スウィング」「べき・ねば」「ギリギリアウトを狙う」などについて考えながら運転しておりました。(勝手な解釈になりますが…)

 

そもそも人間の生き方、個性は実に様々です。しかし、それを所謂「まとも」や「常識」は「これはこうするべき」「障害とはこう」「支援とはこう」と狭めていきます。それがまさに「ゆれる・揺れ幅」を小さくしていき、もっと言うと「揺れない」ことに価値をおくようにさえなっていきます。私たち社会福祉の分野で使う様々な指標、チェック表、マニュアル等も、「指針を明確に示し、揺れないようにする」ことを意図したものに思えます。

 

それはそれで完全に否定するものでもないのですが、本来人間は、実に多様です。本来多様なもの、揺れ幅のあるものを、単一の価値観や狭い常識に抑え込もうとするのだから「生きにくくなる」のは当然なのかも知れません。それは所謂障害を持った方々でも、所謂健常と言われる人たちにとっても。本来「スウィング」しているものを「止まっていろ・ゆれるなんてけしからん!」と言われているようなものなのですから。。トークイベントの中でのQさんのお話(乾燥ワカメ)が印象的でした。バキバキに乾いたワカメが、ゆらゆらゆれるワカメに戻っていくという。ゆらゆらゆれているのが自然な状態というか。

 

長々とすいません。何が書きたかったかと言うと、木ノ戸さんのお話を聞いていて、木ノ戸さんが仰る「ゆれる・スウィング」や、よく他で言われる言葉「多様性」というようなことも、実はそれが「目指すもの」であると同時に、ある意味では「本来既に在るもの」でもあるような気がしてきたのです。木ノ戸さんの仰る「スウィング」の意味が、ひとつは「揺れましょう!」という動詞的なものであると同時に、人は本来「ゆれているもの」だというご示唆があるような気がしています。doingとしてのスウィングと、being(存在)としてのスウィングというか。両面あるような。(自分でも何を言っているのか分かりませんが。。)

 

本当に勝手な解釈で申し訳ありませんが、スウィングさんの活動は、日々の様々な「ゆれる」を様々な取り組みを通して「見せる・魅せる」ことで、見た人の心の中にある元来ゆれているものを呼び起こしたり、共振・共鳴させていっているような気がします。他者の何かの表現に「心が揺らされる」という体験も、共鳴・共振するための受動体・受動板みたいなものがないと起こらないとも思うので。その本来ある受動体に何かを投げてみるということを、ものすごく巧みにされている。それは固くいうと「アート」なのかも知れませんが、もっと別な表現がいいのでしょうか。

 

色々長々と勝手なことを書いてしまいましたが、とにかく、僕の心はものすごく揺らされました。感動しています。20年もこの仕事をしてきたのですが、いつの間にか所謂障害福祉の常識に、〇〇するべき、〇〇せねば発想に、知らず知らず「スウィング」すること、本来していることを忘れてしまっていた部分を揺り動かされました。スウィング大好きです。生Qさん、生沼田さんにもお会いできて本当に嬉しかったです。

 

申し遅れましたが、これは怪文書ではなくラブレターです。

 

まだ一度しかお会いしたことがないのにこの厚かましさ、怪文書。これはギリギリアウトなのでしょうか。。是非、セーフでお願いしたいです。

 

この度は本当にありがとうございました。スウィングさんにも、御本にも出会えて良かったです。大げさではなくて、何か希望のようなものを戴いたような気がしています。長くなり申し訳ありません。またお会いできることを祈っております。(三重県にも行きたい…)

 

そしてこの場をお借りして、沼津にラブライブ?があってよかった。感謝です。  

           

大橋正季

| スウィンギン・ドキュメント | 02:41 | comments(0) | trackbacks(0)
春の証明(強め2発)

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春だ。春だと思う。

でも朝晩はまだ冷えこむことも多いし、疑り深いひとは、ひょっとしてまだ冬なんじゃないの? と思っているかもしれない。

でも信じて欲しい。確かにもう、春なのだ。

なぜならミサさんが、こんなふうに証明しているからだ。

 

4月のある日、ミサさんが珍しく、急ぎ足で駆けている。

どうしました? そんなに急ぐと危ないよ?

 

 

 

 

 

「トイレ!! トイレ!!」

 

 

 

 

 

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違う!!!

そっちはトイレと真逆!!!

あんたスウィング13年目!!!

 

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春だ。春だと思う。

でも4月に入ってからも雪が降ったりしたし、用心深いひとは、もう日本に春はなくなったんじゃないの? と不安がっているかもしれない。

でも安心して欲しい。確かにもう、春なのだ。

なぜなら武司さんが、こんなふうに証明しているからだ。

 

4月のある日、武司さんが珍しく、ひとりノリノリで盛り上がっている。

どうしました? なんかいいことあったんですか?

 

 

 

 

「オバマ!! オバマ!!」

 

 

 

 

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今!??

今そのフィーバー!??

それ、10年以上前!!!

 

だからね、もうね。

間違いなく、春なんです。

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 14:22 | comments(0) | trackbacks(0)
「ちゃぶ台返し」のススメ

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我々は「ただ面と向かって話し合うこと」が苦手な種族だ。だからミーティングなり会議なり話し合いなり、何かしら堅苦しさの漂うそんな時間には、その雰囲気をゆるめる仕掛けがあったほうがよいように思う。

月曜日。Qさんは、連日の休日出勤の疲れからだろう、朝からデカい声を出し、理不尽な不機嫌と怒りを露わにし、苦しんでいたようだ。いや、周囲の人間のほうがたまったものではない。僕は午前中、休みを取っていたので詳しい様子は分からなかったのだが、お昼過ぎにスウィングに行くと、彼はベットでグーグーと寝ていた。ナイスだ。調子悪いときに寝るのはとてもいいことだ。「ふて寝をかます」という言葉があるが、現代社会に生きる我々に不足していることのひとつに「ふて寝」があるような気がしている。

 

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やがてムクリと起き出したQさんと目が合う。我々の間には明らかにモヤモヤ(=話し合うべきこと)がある。これをスルーしてはいけない。即、話し合いだ。京一さん、こっちこっち。ちょっと3人で話をしよう。冒頭、「出したくないのに大きい声を出してしまう」とQさんは素直に語った。でも、いかん。それは今この瞬間も! ということではないか。大声を出されるのは普通にイヤだ。僕はおもむろに可愛らしいBICのボールペンの黒いキャップを鼻の穴に詰めこんでみた。京一さんが笑い、最初は見ないふりをしていたQさんもやがて、堪えきれずに笑った。おお、こんな簡単なことで場がゆるんだではないか。(バクチ的な要素もまあまあ強いが)こんなことで笑い合えるなら、これを我がデフォルトにしてもいいのではないか。結果、Qさんの心身に負担のない出勤リズムについて、建設的な話し合いをすることができた。

 

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同じ日の夜、「第42回これから会議」を行った。これは会議がほとんどないスウィングに唯一残されている会議で、文字通りスウィングの「これから」を考えるための時間だ。この不定期開催の会議の参加者はその時々によって違うが、また分けないことを信条としているスウィングではあるが、今回の参加者は、僕と西川君と沼田君とあやちゃんと四至本君とかめちゃん、つまり職員一同であった。

 

新年度からスウィングはその在り方を更新する。更新することだけは決まっているのだが、じゃあどう更新するのか? まだまだ話し合わなけばいけない。現所在地から徒歩1分程度の距離にある、いい感じの(築年数不詳の)町家はもう借りたし、先週の会議で方針の大枠は決まっている。 さあ、今夜はもっと、具体的なところまで詰めるぞ。

 

ボールペンキャップ in 鼻ブームは一瞬で過ぎ去っていたが、とりあえずお菓子をくばり、これからはじまる時間が固く、重くならないように努める。そしてもっとも大事なこと、「いつでもちゃぶ台返しOK!」を何度も何度も繰り返し皆に伝える。

 

 

僕は何だかんだスウィングでは権力者だ。どれだけ綺麗事を言ったとしても、名刺から「リジチョー」の肩書きを消してみたとしても、いつだって圧倒的なパワーを持ちえる、いや既に持っている危険分子だ。 僕の言うことがいつだって正しいわけではないし、僕の考えをベースに進んでゆく話し合いが決して正しいわけではない。誰も未来を、正解を、ベターな選択を知らないからこそ話し合うのだ。だからいつだって、話し合いが、つまり未来が一方向に流れてしまわないために、「ちゃぶ台返しOK!」な雰囲気を作っておかなければならない。何もかもが過剰なこの世界に足りないもの。それは「ふて寝」と、恐らく「ちゃぶ台返し」だ。

 

そして、それは本当に起こったのである。

 

先週も合わせて数時間に渡って話し合い、そろそろ議論も煮詰まったかに思えたそんなタイミングで、見事にちゃぶ台はひっくり返ったのだ。誰が? と言えばかめちゃんがその口火を切ったのだが、当の本人はそのことをあまり自覚していない様子だった。が、95%まで確定していた我々の未来は、確実に、ほぼ一瞬にしてゼロ地点に戻された。僕はこの事態に戸惑い、そして興奮した。いつでもOKとは言っていたものの、それが実際に起こってみると、文字通りちゃぶ台がひっくり返るような衝撃が走る。ワオ! これまでのん、台無し! でも、いつだって後戻りできるってこと、今まさに証明されたよね! 

 

さて、興奮も衝撃も証明もそれはそれとして、僕たちが直面しなければいけないのは目の前の現実と、少し先の未来である。

ちゃぶ台がひっくり返って皆シュンとなったか? 議論が白紙に戻されてオーマイガー! と天を仰いだか? 

全然そんなことはない。ちゃぶ台返しの強烈なダイナミズムはその場を果敢に刺激し、話し合いはより活発に、よりテンポよく、よりダイナミックに進んでゆき、さらにはひっくり返るまでに蓄積されたモロモロもちゃんと、いや、むしろより良くスウィングの未来に反映されたのである。

 

ちゃぶ台がひっくり返ってからおよそ10分後。

事の次第は全て端折るが、スウィングはその一部を「図書館」にすることが決まった。

ちなみに「図書館」なんて言葉は、ちゃぶ台返し以前には誰も、一言も口にしていなかったのである。

 

※ ただし再びちゃぶ台返しの可能性あり。

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 18:00 | comments(0) | trackbacks(0)
そのマリオの弟は違う

 

僕はゴルゴがまあまあ好きだが、自己アピールの度が過ぎるところなど、あまり好きではないポイントも多い。同じく僕はアッキーがまあまあ好きだが、ああ今日も声がデカい! ああ今日もそうちゃんに過干渉している! とかイヤだなあと感じること、頻繁である。誰かを好きということは、イコールその人の全てが好き! ということではないのだと思う。(付き合いが深くなればなるほど)嫌だなとか、苦手だなとか感じるところが1つもないことのほうが不自然だし、「この人の全てが好き!」なんて言葉の中にはウソや偽善の匂いを感じてしまう。即ち、無理して人の全てを好きになる必要なんてない。たとえば僕はゴルゴとアッキーがまあまあ好き。

 

そしてゴルゴとアッキーも客観的に見て、それほど仲が良いというわけでもなく、まあ、ほどほどの付き合いをしているように見える。いや、ゴルゴはアッキーのことが大好きなようだが、アッキーはそれほどでもないらしく、以前にはこんなエピソードもあった。

 

2018.04.27 Friday:図々しさと正直さと傷つきやすさと

 

 

さて、ある日の昼休み。ゴルゴがアッキーに「知らんやんな〜?」というちょっと意地悪な雰囲気を漂わせながら、ある質問をする。

 

 

「アッキー、スーパーマリオって知ってる?」

 

 

……ダサい質問やなあ、おい。しかしゴルゴのいやらしい雰囲気を敏感に感じ取ったらしいアッキー。いつもよりも一層デカい声で「知ってるよ」と答える。そんなん常識やん。何? 僕が知らんとでも思ってたん?

 

 

するとゴルゴ、疑いの眼差しを露骨に向けながら「ホンマに知ってる?」としつこくもう一度聞く。少し腹が立ってきたらしいアッキーは「知ってるよ!」 とさらに強い調子で立ち向かう。

 

 

「じゃあ、マリオに弟がいるの知ってる?」 

 

 

ホントにしつこいな。勝ち負けで会話するのはやめてくれへんかな。さらに強い語気で「知ってますよ!」と返すアッキーに対し、ますますゴルゴも臨戦態勢を崩さない。 

 

 

「じゃあ弟の名前、誰か知ってる?」

 

 

……え? ……名前? ……弟がいるのは何となくおぼえてるんだけど、名前となるとちょっと。……痛いとこついて来ますね、あなた。

癪にさわるけれど(何かに)負けたわ。正直に言うわ。

 

 

「う〜ん、ちょっと分からへん……」

 

 

さあ、遂に(何かに)勝利したゴルゴ。

その態度を一気に尊大に膨れ上がらせながら、厳しいひと言をアッキーに突きつける。

 

 

 

「アッキー、知ったかぶりはあかんよ! マリオとメルー」

 

「ああ! そうか!」

 

 

誰や、そいつは!!!!! 

どこのマリオで、どこのメルーじゃ!!!!!

 

全くもって意味不明だが、なぜだかさっきよりも仲良くなった感じのふたり。「よく知っている」ゴルゴにアッキーは敬意を表し、ゴルゴもまた、「知らない」を素直に告げたアッキーに(優越感を存分に匂わせつつ)敬意を抱いているようだ。

 

どうやら必要なのは「正解」ではないらしい。

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 16:28 | comments(0) | trackbacks(0)
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