Swingy days Enjoy! Open!! Swing!!!

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男達の別れ

 

男・そうたろう。 「マクドナルド」が大好きである。

 

「調子いいときはジャンクフードガンガンいっとけ!!」という有名な格言があるが(あるの?)、身体にええとか悪いとかの理屈を超えて、確かにジャンクなもんをガンガン食いたくなるときはある。 というわけで、たまにはええやんな〜と時々、「どこのマクドにする?」とか言い合いながら、男ふたりでルンルン出かけるのが僕らの楽しみのひとつだったりするのだ。

 

優柔不断は恐らく僕の血ではないが、そうたろうはとにかく迷う。

なぜだか特にマクドは迷う。そしてマクドのカウンターは高い。

つまり小さな子どもにとっては非常にメニューが見にくい(ここ改善したら業績変わるんちゃうか)。

 

迷う上に見にくい。つまり時間がかかる。

これじゃファストフードにならんやないかい!...いや、そもそもそんな早よして欲しいなんて一切思てへんし、そんなもん思い切りゆっくり決めたらええねん。どんなに後ろに行列できようが知らんがな。

...しかし超絶!優柔不断のQはんもよくマクド行くらしいな。えげつない行列作ってるんちゃうやろか。

やれやれ! もっとやれ! 逆に繁盛してるっぽく見えて、逆に売上に貢献してるっちゅー可能性もあり得るぞ!

 

...ていうか、なんやねん、Qの字。

...人の話に急に途中で入ってくんな。はい、シッ!シッ!

 

で、今日(7/30)のことだ。 京都市左京区民の憩いの場、「カナート洛北」のフードコートにある「マクドナルド」。

ハンバーガーは割とスムーズに選んだそうたろうだったが、マックシェイクで、はい、つまづく。

 

「バニラかチョコレートかストロベリーか、どれにする? 

ストロベリーはイチゴのことな」

 

ラミネートされて手に取ることができるメニュー表(そうそう、コレでええねん。コレをもうひとつくらい用意しときーな、カサノバはん)を見せながら、選ばせる。 おれやったら一撃でバニラやけど、やっぱり子どもはチョコレートかストロベリーやろなあ〜。こりゃあ、どっちも捨てがたいわな〜。ええよ、ええよ、ゆっくり選んだらええよ。後ろの不機嫌そうなおっさんなんか、なんも気にせんでええよ。

 

...そうして熟考の末、遂に意を決したそうたろうが、ニコニコ待ってくれてたスローな店員さんに向かって宣言する!

 

 

 

「チョコロベリー!」

 

 

 

はい!!! そんなん無いよ!!!

欲張りが分かりやすく丸出しになっとるよ!!!

 

僕はゲラゲラ笑い、店員さんもアハハハと笑う。

カサノバはん、こういうんやで。 銭儲けばっかり考えんと、こういうのん大事にしーやー。

 

再び熟考の末、最後はストロベリーに決めきった、男・そうたろうであった。

 

 

ところで、僕とそうたろうは、諸事情により離れて暮らすこととなった。諸事情は諸事情である。察していただきたい。

今、そうたろうは僕の隣でグーグー寝息を立てながら眠っている。涙が溢れ出る。仕方がない。

僕はこれまで我が子のことをこのブログに書き綴ってきた。

随分迷ったが、本にも掲載した。それらは全て僕たちの間に確かに起こったことだし、更にそれを世に出した以上は、手前の都合だけで無かったことにしてはいけない、そう考えたからだ。

だからこの別れについても書かないわけにはゆかない。ええトコばかりでサヨウナラはできない。

 

 

「別れ」は次への「はじまり」でもある。

 

 

そしてこれからも、僕がそうたろうの父親であり続けることには何ら変わりはない。

また今度マクドに行って、ゆっくり迷いまくって、長い行列作ってやろうぜ。

 

アイラヴユーフォーエバー、マイサン。

 

木ノ戸

| ファミリー | 20:43 | comments(0) | trackbacks(0)
3歳児、鞍馬山を制す


ある梅雨の日曜日。
3歳半の息子・そうたろうと2人、京都・鞍馬山へ出かけた。

息子と山歩きをするのは僕の数少ない、かねてからの夢の1つだったし、最近ちょっとでも気にくわないことがあると、


「おとうもおかあも嫌い!み〜んな嫌〜〜〜〜〜い!!!」


とブチ切れて泣きべそをかくのが定例化しつつあるダサダサの甘えん坊将軍がどこまでやれるか、ちょっと試してみようと思ったのだ。試すといっても鞍馬山は、3歳の将軍様がはじめて挑む山にしてはまあまあ厳しい。鞍馬寺を経由して貴船神社へと抜ける約2キロの行程は、“八丁七曲りの九十九折(つづらおり)参道”と呼ばれ、かの牛若丸が修行をした地としても知られる。
7〜8年前、アッキーやかなえさんともチャレンジしたことがあるが、その時は早々にアッキーの心が折れ、仕方がないのでみんなでスゴスゴ引き返した…という全然パッとしない思い出もある。
だからまあ、そうたろうもすぐに「しんど〜い、つかれた〜」と音を上げ、結局は僕が約15キロの将軍様を抱っこしながら歩く羽目になるんやろうな…と、覚悟を決めて向かったのも本当のところである。



さてさて、ダサダサ甘えん坊将軍。最初はなかなか足取りが軽い。石段を線路に見立て、この上なく非効率的なルートを辿りながら、ゴキゲンに歩を進めてゆく。時間は無駄にかかるが、楽しみながら行くのが一番である。予想に反して鞍馬寺本殿までの石段を上り切り、「よくがんばったな!」と褒めながら本殿前のベンチに座り、2人で昼食を摂る。




…雨がパラパラと降ってきた。

傘もカッパも持ってこなかったし道もぬかるんでしまう。本降りになったらここで引き返すしかないな…と諦めかけた父の落胆の一方、そうたろうはハイテンションで雨の中を踊りまくっている。なぜなら雨とともに、


「おし〜っこ、ふってくる〜♪おし〜っこ、ふってくる〜♪(延々繰り返す)」


という、至極のオリジナル・ソングが彼の脳内に舞い降りてきたのだ!
まるでこの歌を届けるためだけに降ったかのように雨はすぐに止んだが、「はやくいこ!」と父を促し張り切る3歳児は、以後の約30分間、「おし〜っこ、ふってくる〜♪おし〜っこ、ふってくる〜♪」と狂ったように大声で歌いながら、険しい山道を悠々と突き進んだのだった。
(父は少し恥ずかしかったが、すれ違う人たちは皆、なんにも聞こえないフリをしてくれた。山は人を優しくさせる。)

しかし天から授かった歌の力も、やがて終焉を迎える。


「なんかつかれてきた〜(T_T)」


将軍様が情けない声をあげはじめたのだ。じゃあ、リュックを持ってやろうと一時身軽にさせるが、
一度折れかけた心はすぐにまた折れてしまう。
ここまででも予想以上の頑張りだとは思う。でも、できることならば、このまま自分の力で歩き切ってほしい。そのためには…そのためには…自分が情けないダサダサ甘えん坊将軍であることを、そうたろう自身が忘れ去ってしまうことだ!
そう思いついた僕は、グズリ始めた将軍様に向かってこう話しかけた。


「あれ?ひょっとして忍者君ですか?忍者君は山を歩くのが上手ですねー!」


そうたろうの顔が一瞬輝き、輝きを保ったまま、徐々に忍者へと変わってゆく!



「そうです!忍者君です!」



驚くべき単純ボーイ!
常日頃「快傑ライオン丸」を見せ続けた成果が今ここに!


「あれ?そうたろうくんは?そうたろうくんはどこへ行きましたか?」

「そうたろうはとんでいきました。」

「そうたろうは飛んで行ったんですか。じゃあ、これからは忍者君、よろしくお願いします!」

「はい。よろしくおねがいします。」





こうしてあっさり忍者となったそうたろうは、いっとき前のグズリが嘘のように元気を取り戻し、力強く新たに歩みはじめることとなった。
ボクは忍者だから歩くのが上手い!ボクは忍者でそうたろうじゃないから、このおじさんとは敬語でしゃべる!


「忍者君、忍者君のお父さんはどうしていますか?」

「おとうさんはお空へいきました。」

「…お、お空へ行ったんですか?いつ帰ってくるんですか?」



「かえってきません。」



「……。」



これは忍者君のお父上のことである。忍者君のお父上は遠いお空へ行ってしまったようである。断じて僕の事ではない。断じて僕の事ではないが、ちょっと涙が出そうなのはなぜかしら?


「そうですか、お父さんはいないんですね…。じゃあ忍者君、忍者君のお母さんは何をしているんですか?」

「おかあさんはミカンをつみにいっています。」



ほお。なかなかまともな。
それらしいことを言う。


「どこにミカンを摘みに行ってるんですか?」



「イオンです。」




それ、たぶん万引きやんけ!!!!!
…忍者君の家庭の事情はなかなか複雑である。




「忍者君、この木すごいですね!この木は何でできてるんですか?」

「この木は“ねこじゃらし”でできています。」


「あ、忍者君、川の音が聞こえてきましたね。あの川は何という川ですか?」

「あの川はオシッコです。」



こうして複雑な家庭環境の、何でも知っている忍者君との愉快なやりとりは途切れることなく続き、
そうこうしているうち、なんと!なんと!遂に我が子・そうたろうは“八丁七曲りの九十九折参道”全行程を、自らの足で歩き切ったのだ!



親バカだが僕は感激した。途中から激しく忍者が憑依したとはいえ、まるで想像していなかった息子の頑張りに「すごい!すごい!」と声が弾んだ。
やればできる!やればできる!(上手くごまかせばできる!)

ちなみにゴール後も息子から忍者は出てゆかず、変わらず調子が良かったので、さらに叡電・貴船口駅までの約2キロを、父子2人で歩き続けたのだった。(その間、そうたろうは道行くすべての車に見えない手裏剣をシュシュシュ!と飛ばしていた。だからめっちゃ危なかったし、めっちゃ時間かかったっつーの。)



“親の心子知らず”と言うが、親は親で、手前勝手な思い込みで、子どもの力を(大きくも小さくも)見誤るものだ。まさか家の階段の上り下りさえ抱っこを求めるダサダサ甘えん坊将軍が、山道4キロを歩き切るなんて!
でも、そういうものなのかもしれない。
力というのは決して一定ではなく、大きくなったり小さくなったり。そして親だからって、子だからって、自分とは違う“人”なのだから、そもそも分かりっこなんかないやんけ!と考える方が自然なのかもしれない。(自分のことだって未だによく分からないぜ。)

まあ、なんだっていい。

ある梅雨の日曜日。
僕はもう2度とは来ないある1日を、もう2度と会えない“その日の”息子と共に、
深く深く、もうこれ以上無いっちゅーくらいに抱きしめたのだ。

木ノ戸


遂に駅に到着した途端、忍者は普通の男の子に戻りました。


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| ファミリー | 18:37 | comments(0) | trackbacks(0)
パパとママ。生きてても死んでても。



清志郎が教えたくれたから「いい事ばかりはありゃしない」のは分かっているつもりだが、
なんでいい事ばかりやないんやろ…と思わず呻く、胸掻きむしられる夜。

ふと感じる視線。

ちらと顔を上げると、白黒写真。髪フサフサの若い父。ただ黙って微笑んでいる。
ああ、随分おひさしぶりです、お父様。
最近は気にも留めずすんまそん。なかなか忙しかったもので。
はい、少々ドン詰まっておりましたがお顔を拝見して少し元気が出ました。はい、力が抜けました。



ピピピ。…珍しく届く、母からのメール。

「スウィングのフリーペーパー届きました。
頑張ってる昌幸のこと、お父さん、見てるよね、きっと。」


う〜ん、なんたる。なかなかキモいではないか。

まあ偶然だろうが、実はそうとも思っていない。
「いい事ばかりはありゃしない」のも知っているが、
時々こういうことがちゃんと起こることも、僕は知っているのだ。
父が死んでもう10年が経ったが、生きてても死んでてもすごいなあ、パパママは。

いつまでも見守られている。

木ノ戸



展覧会「オレたちひょうげん族 ‐We enjoy HyoGen!‐! Vol.2」は明日11日(水)まで!

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| ファミリー | 20:11 | comments(0) | trackbacks(0)
深く甘い夜


どうした、そうたろう?

今日はたくさん遊んで疲れているはずなのに、
興奮して眠れないのかい?


「ニワトリはコケコッコー!!て鳴くの!

アサリはコケコッコー鳴かない!なにも言わない!!」



コレ!暗闇で急に大声を出したらびっくりするじゃないか。
でもオマエはなかなか深いことを言う。
そうだね、アサリは何も言わないね。世の中、おしゃべりさんがとっても多いのにね。

将来は哲学者かい?そんなんで食っていけるのかい?



ん、どうした?手を握って欲しいのか。
まったく甘えん坊さんだなあ!

父ちゃん172センチに対し、アナタ88センチ。
めっちゃ手、繋ぎにくいけど、腕が変な風にひんまがっても、父は喜んで応えるよ。

でも、さすがにバスのオモチャ握った手で、とうちゃんの手握るのは厳しくないかい?
とうちゃんもちょっと苦しいよ。もうそろそろ離してもいいかい?

え!ダメ!?
置くの?ウソ!オモチャ置くの?
オモチャ置いて、父ちゃんと手、繋ぐの?父ちゃん、バスに勝ったの!??

よしよし分かった。涙出てきた。
お前が寝つくまで絶対に離さないから、安心しておやすみ。

そしていつものように布団の上をぐるんぐるん回って、
父ちゃんを布団から追いだせばいい。
畳の上って冷たくって気持ちいいからね。     



ん?今度はどうした?急に大声で泣き始めて。

そうか、今日が終わってしまうのがイヤなんだね。
わかる、わかるよ、その気持ち。

父ちゃんにもそんな夜があったよ。
遠い昔の記憶だけれど。

でもね、息子よ、明日もきっといい日さ、きっと。


「うえ〜ん!お茶ちょうだ〜い!お茶〜!!」


な、なんや、ノド渇いてただけかいな。
折角、今日が終わるとかどうとかカッコええこと言うたのに。

ちょっと待ってな、お茶な、注いでくるわな。


恋のような。夢のような。

そんな、深く甘い夜。


木ノ戸


ぐれちゃうかもよ?

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| ファミリー | 19:49 | comments(0) | trackbacks(0)
今日の日へのラブレター


親子史上初の電車2人旅は出来すぎた上機嫌な時間だったし

家に帰れば、まあまあ仕事が上手くいったらしい妻もニコニコと上機嫌だ

上機嫌にあえて選んださびれたファミレスでの晩御飯もやはり上機嫌で
サービス最低、味まあ普通、でも時代錯誤なゆるさが居心地最高

過剰サービスに頭がおかしくなってしまった己にハンマー、
そうそう、これやこれや、これでええんや

妻と上機嫌にええ酒呑んでるうちに、かわいい息子は眠さMAX、泣きベソMAX、
ゴメンゴメンと風呂に入れると、眠気吹き飛び、
お風呂上がりたくない、ずっと遊んでいたいいたいとまた上機嫌

最近とみに、とうちゃん!とうちゃん!
例え小便だろうと、動けば後をついて来る愛しすぎるお前よ、
今はすっかりひねくれてしまったアンタもきっと昔はこんな風だったんだろうな


風呂場で痛切に願った


こんなに上機嫌な今日がずーっとずーっと続けばいいのにと
今日がもう終わらなければいいのにと

何度となく繰り返し、一度として叶わなかったこの種の願い、いや殆ど祈り、
笑わば笑え、この思い分かち合えるアンタが好きだ
今度ゆっくり呑み交わし、たった一度きりの夜を上機嫌に語り明かそうぞ


さあ、体を洗おうか?

いや!いや!いらない!いらない!


一歩先の未来を全力で拒絶した息子よ、お前は正しい、故に愛しい

保障はできぬが明日もきっといい日です
だから安心しきってシュピシュピ眠るがよいぞ

そしてまた、ふたりで超上機嫌な旅へ出かけようぞ


木ノ戸


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| ファミリー | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0)
母、父、超える。

昨日10月6日、愛媛でひとり暮らす母・ミユキが63歳の誕生日を迎えた。

今年も「おめでとう。」と電話をかけると、
やはり毎年のように「ありがとう。」と嬉しそうに返ってくる。
他愛の無いやり取りだが、この感じがいつまでも続いてくれればいいと思う。

ただ、今年は後に続く言葉が少し違う。


「遂にお父さんより年上になってしもて〜ん。複雑やわ〜。」


およそ8歳年上の父と結婚した母。
2004年、長い闘病生活の末に62歳で逝ってしまった父は、
夫であり、恋人であり、そしてまるで“保護者”のような存在だったと、
恥ずかしげもなく語るひとである。

声は笑っていたが、言葉どおり、それはそれは複雑な思いを抱いているに違いない。

僕も少々複雑である。
母が父の年齢を超えてしまった…ということの意味がストンと胸に落ちてこない。
ただ生きている者が年を取っただけだ。
とりたてて意味なんて無いのかも知れない。

それに母は以前から「お父さんが死んだ年までは生きたい」なんて言っていたもんだから、
僕は一瞬言葉に迷ったが「遂に姉さん女房やなあ。」と笑って返すと、「そうよ。」と母も笑っていた。

まあ、父は死んでいるわけだし、実際は「姉さん女房」も何もあったもんじゃないのであるが、
思いつきで言ってみた割には僕がこれまでずっと考え続けてきたこととどことなく繋がって、
あらためて父母という夫婦について思いが巡る。

1974年。
母はまるで“保護者”のような8歳年上の父と結婚し、
父はまるで“子ども”のような8歳年下の母と結婚した。

その時、(確か)父30歳、母22歳。

二十代の1歳1歳は確かに大きいし、ちょっと大げさだが、
ある部分では父母の間には“保護者”と“子ども”ほどの“違い”があったのかも知れない。
そしてその“違い”は母の中でいつまでも生き続け、
とりわけこれからも続いてゆく父不在の期間は尚更そうした感覚を強くしてしまうのだろう。

けれど息子である僕の思いは随分違っていて、
数年前、何かの折にその思いを実際に話した時には、母は本当に驚いた顔をしていた。

父母はまるで吉本ばななさんが描きだしそうな仲の良い理想的な夫婦だったが、
(もちろん時にはケンカもしていたし、母によると何度か“離婚”の危機?もあったらしい。)
僕は僕なりに子どもの目で、親対子ではない、夫婦としての父母を見つめ続け、
そしてその結果、小学3、4年生の頃にはこう思っていた。


恐らくお父さんはお母さんが居ないと生きてゆけないだろう。
生けてゆけるとしても、それは火が消えて煙だけが漂う蝋燭みたいな生き方だろう。

お母さんは、お父さんのことをとても好きだけれど、案外大丈夫だ。

だから、もしどちらかが先に死ぬのなら、お父さんの方がいいだろう。
そして、もし2人が止むに止まれぬ事情で離婚をするのなら、
僕は、可哀そうだからお父さんに付いて行ってあげよう。


こんなことはひょっとして誰もが知ってる世の摂理なのかも知れないが、
一応見た目上はどちらかと言えば“お父さん優位”だった家庭における、
僕の密かな、けれど確固とした認識、そして決意であったのだ。


…幸いなことに2人は離婚もせず、幼い僕の思惑どおりに(?)父が先に逝ったわけだ。

そして母は実際、現在も元気に生きている。

けれどどんなに花を愛し、小さな庭を美しく彩ろうとも、
友人とのささやかな語らいに時を忘れようとも、
韓流スターに熱く恋い焦がれようとも、
母の願いはただ一つ。


もう一度、父と会いたい。


そのことだけなんだろうと思う。


僕も今でも思うのだ。
特に最後の数年間、(父の命がそれほど長くないことは分かっていたので)
僕は意識して闘病中の父に甘え、思い残すことが無いよういろいろな話をしたが、
それでもやっぱりまだまだ話をしたい、話を聞いて欲しい、なんで居ないんだと。

男として、親子として、腹を割って、揺るぎない信頼を持って話し、伝え、
そして返される言葉を何の邪気なく、素直に聞き入れることができるのは、“あの”父だけなのだ。

“あの”父はただの1人しかいないし、もうここには居ない。

残念ながら、妻や母や、友人たち、他の誰かには決して替えられないこと。
そうしたことがあることに今さらながら思いを馳せる。

じゃあ、母の想いは一体いかほどのものであろう…。


母、父、超える。


僕らは落ち着かぬ浮遊感にしばらく身を任せるしかないが、救いはやっぱり父。

「ああ、そうか。」とただ可笑しそうに笑っている。


木ノ戸

| ファミリー | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0)
母のラーメン



京都に来て早16年目。
そして天下一品さんにスウィングの活動場所を無償でお貸しいただき、丸5年になる。

あり得ないご厚意にいつもいつも感謝の念でいっぱいです。本当にありがとうございます。

さて、天一さんのラーメンについては色々な意見があるが、やっぱり北白川通りの総本店が1番美味しいと僕は思う。
以前、何かのインタビューで読んだのだが、あのスガシカオさんも関西でのライブの折など、この総本店に来られているそうだ。

すごい。

偉そうに言っているが、僕がラーメンを食べ始めたのは、何がきっかけだったか、せいぜい今から7、8年前のことだ。以来2週に1度くらいは必ず“ラーメンの口”になり、そのときどきの口に合ったラーメンを食べに行っている。

しかしその7、8年前まで、ラーメン屋さんに行っても頑なにラーメンは頼まず、どんなに人に笑われようが、チャーハンにギョウザという、自分の中の鉄板メニューを崩さなかったのには、それなりの理由がある。


それは18の頃まで食べ続けた、母・ミユキの作るラーメンが余りにもまずかったせいだ。


僕の舌は昔から割合、便利にできていて何を食べてもうまい。つまり舌がバカなんである。

けれど母の作るラーメンはこのバカ舌をも唸らせるまずさを誇っていて、しかもムダに“安定感”だけは超一流。いつ食べても、何度食べても、そのまずさは決してぶれなかった。

特に土曜日で学校が半ドンの日、背中とくっつくくらいにお腹をすかして家に帰り、「今日の昼メシなに〜??」と聞いて、母から「ラーメン。」という答えが返ってきた時の絶望感は、筆舌に尽くしがたいものがあった。

美味しいラーメンを作ることもそれはそれは奥深い難しいことであると思うが、一方でまずいラーメンを作ることもなっかなか難しいのではないだろうか。

こうしていつしかラーメンは“まずいもの”という固定観念は、トラウマ的に僕の中に染み付き、19で京都に来てからの数年間、一度として口にすることは無かったのである。(カップラーメンは別物と捉え、よく食べていました。)

・・・ところでなぜここまで母親のラーメンが如何にまずかったかについて書き連ねてきたかと言うと、トラウマを無事克服した僕が、一昨日楽しみに食べたあるラーメン屋さんのラーメンが、やはり驚くほどまずかったからなんである。

柔らか過ぎるノビノビ麺。
その麺に1滴も絡まない水っぽいスープ。
味がほとんど無いチャーシュー。

これはまさしくあの懐かしい母のラーメンではないか!!

15年の時を超えて、こんな形で“おふくろの味”に出会えるとは・・・。
次、帰省した時には思い切ってリクエストしてみようか。

やっぱりラーメンは止められない。

木ノ戸


賀茂川へお花見に行きました。


ああ、いいお天気。


Qさんのイス。


おじいちゃんと孫。


増田さん、雰囲気あり過ぎ。


上賀茂神社へ。


うききゃ、うきゃきゃ。


はい、桜。

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| ファミリー | 18:23 | comments(0) | trackbacks(0)
二度と会えない、まあしゃあない。
ある夜。
スウィング・メンバー出演、実写版「北斗の拳」ロケ現場へと向かった。

ああ、やってるやってる。

メンバーたちは「北斗の拳」のキャラクターの着ぐるみを着用し、
それぞれ奇妙なよく分からない動きをしている。

着ぐるみは大きいが、顔を出すスペースが小さいので
辛うじて確認できたのはQさん演じるケンシロウくらいだ。



うん、キモい。さすがだ。

しばらく遠巻きに撮影の様子を眺めていると、
ヤジウマの中に見覚えのある後ろ姿があるではないか。

父と母だ。

ああ、スウィングのロケだから見に来てくれたのか!

僕はすぐに近づいて声をかけたが、
母は哀しそうな顔をして目を合わせようともしない。

父は焦点の定まらない虚ろな目をしており、しゃべることもできないようだ。
足元もおぼつかず、母にダラリと寄りかかってようやく立っている。

僕は思い出した。
そうだ。父は病気なのだ。
随分悪くなったなあ…。もう長くないんやなあ…。

相変わらず「北斗の拳」の撮影はグダグダと続いている。
メンバーの動きにも一切キレはない。
ヤル気が空回りしてる感じがいい感じだ。

しばらくすると父母は重い足取りでゆっくりと歩き出し、
近くに停車していた見知らぬ車に乗り込むと、静かに去って行った。



朝方。
目が覚めた途端、ドドドと涙がこぼれ出した。

父にもう一度会いたい。
もう一度話がしたい。

強くそう願った。


…預金通帳が無い無いと部屋を引っかき回していると、
居間の棚の中に飾った父の遺影と対面、「お、久しぶり…。」と
申し訳ないような気持ちに包まれたのは、ついこの間のことだ。
(その日は奇しくも父の日だった。)

最近、何の沙汰もよこさぬ親不孝者にしびれをきらしたのだろうが、
夢にしたって随分といやらしい登場の仕方をするではないか。

でも、出てきてくれてありがとう。
しばらく忘れてたし。

もう二度と会えない。
もう話をすることもできない。

哀しいっちゃ哀し過ぎるけれど、…まあしゃあない。

せいぜいお母ちゃんを大事にさせていただきます。

木ノ戸


今週もお疲れ様でした。

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| ファミリー | 19:05 | comments(0) | trackbacks(0)
母、還暦に感激す。
昨日10月6日は、我が母・ミユキ、還暦の誕生日であった。

毎年お祝いの電話は欠かしていないが、今年は特別な年。
こりゃいいやと思い付き、赤いちゃんちゃんこの代わりにと、
母に1番似合いそうな白目ネコTシャツを贈った。

(え?白目ネコ?お買い求めはこちら。)

夕方。
予想通り母から歓喜の電話がかかってきたが、内容は全く予想外のものだった。
というのも母の歓喜の中心は、我らが白目ネコTシャツではなく、
4つ上の兄からの贈り物だったのだ。

「何やと思う?」

母が弾んだ声で尋ねる。

「わからん。」

正直見当もつかなかったのだが、答えを聞いて思わず笑ってしまった。

比較的シャイなタイプの兄から、
なんと60本の赤い薔薇が贈られてきたというのだ。

別に張り合っていたわけではないが、こりゃあ負けたと思った。

僕も忙しいが兄もとても忙しい。
毎日帰りも遅いようだ。
そんな忙しい日々の中、兄は還暦を迎える母の笑顔に思いを巡らし、
母を最高に喜ばすロマンチックな事をやってのけたのだ。

お兄ちゃんかっこいい…。
さすがの白目ネコも思わず黒目を剥いて驚いたに違いない。


かつては僕も兄も母に対してこんなではなかった。

“この有り難い存在は、いつか確実に、本当にいなくなってしまう。”

認め難いが揺るぎないこの真実を、やはり掛け替えの無い存在であった父の死によって、
僕らは痛切に学んだのだ。

父は50代半ばで患い、60までは生きたいと願い、63で逝った。

あれからもう5年半。
父の念願であった還暦を母は元気に迎えることができた。

その事がとても嬉しく感じられるし、
これからも花を育てたり韓流スターにはまりながらずっと元気でいて欲しい。


60本の薔薇・感激電話を切ってしばらく、今度は母からメールが届いた。

『昌幸の言葉はいつも心に響くね。』

…胸のあたりがむず痒い。
Tシャツと一緒に贈った手紙を褒めてくれたようだ。

あんまり兄の事ばかり喜んだのを申し訳なく思ったに違いない。

木ノ戸


10月2日(金)、「suntrapアート展」に行ってきました。


段ボールのキノコの家でポーズを決めるKさん。


Iさんも居心地が良さそうです。


キノコに思い思いの色を塗るメンバー達。


Aさんのキノコ。


障害のある方の作品も…


障害のない方の作品も一同に展示されていました。素敵です。
ちなみにMMさんは翌3日(土)、ひとりでもう一度行かれたそうです。

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| ファミリー | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0)
ドラマチック1970
1970年。
我が父・ヒロユキ29歳、我が母・ミユキ20歳。
京都で働き京都で出会い、京都で暮らす、
父、母、ああ懐かしの恋人時代である。

この年、猫も杓子も万博、万博、世のカップルたちはこぞって大阪へ。
しかし折悪しく、若いふたりは喧嘩中。
万博へは行きたい、けれどお互いムカムカ、まだ仲直りには程遠い。
…そこでふたりはそれぞれが別の男性、女性を誘い、
別々に万博へと向かったのであった。

「当てつけ」合戦である。

父が誘ったのは会社の同僚であるS木さん、
母はというと、今ではさあ、誰と行ったか名前も顔も思い出せないらしい。

そんな素直になれないふたりではあったが、間もなくめでたく仲直り、
2度目の万博は、愛媛からやってきた父の母(つまり僕の祖母)
と妹(現スウィング賛助会員。おばちゃんいつもありがとう。)らと一緒に、
目一杯楽しんだとさ。

ちゃんちゃん。


…と、ここまでの話はこれまで母から何度となく聞かされていた。

耳にタコだが、何度聞いてもほほえましい感じがするし、
あの堅物の父がほかの女性を!?、という意外性も面白い。

しかし年末年始帰省の際、このエピソードには
新しいエッセンスが加えられていた。

父が母への「当てつけ」に誘ったS木さんの想いである。

昨年の11月、母は当時の懐かしい同僚達と京都で久しぶりの再会を果たし、
その席でS木さんの気持ちをはじめて知ることになる。

当時、S木さんは父のことが好きだったというのだ。

母にとってはまさか!!だった。
S木さんは美人でおまけに性格もいい、
「勝てるところのない」女性だったらしい。
そんなS木さんに父が好かれていたことを母は誇らしく嬉しく思い、
父も喜ぶだろうと愛媛に帰るとすぐに、仏前に報告しましたとさ。

再び、ちゃんちゃん。


…ここでひとつの疑問が浮かぶ。
甘酸っぱい、心温まる話ではある。
けれど当時、父がもしS木さんの気持ちを知っていたら??

…母の笑顔が凍りついた。

「お父さん、私のこと選んだやろか……」

決して謙遜しているのではない。
母には全く自信がないらしく、どうなっていたかわからないと言う。

もしS木さんがもう少し積極的な人で、
父に想いを伝え、父がその想いを受け入れていたとしたら、
母は失恋、僕や兄はこの世に存在すらしなかったかもしれない。

…ギリッギリやなあ。喧嘩なんかすなよぉ。

「たら・れば」ではあるけれども、一瞬背筋が冷たくなった。

「あ、そん時のS木さんの写真あるわ。」

母は唐突にアルバムを引っぱり出し、ページをめくる。
若い父母、祖母、そしておばちゃん。
2度目の万博、幸せの風景。

「あ、捨ててしもてるわ。」

恥ずかしげに笑う母。
S木さんの写真は1枚も無かった。

木ノ戸


ほっとはあとクリスマスの作品をスウィングに飾りました。


暗闇で見たら怖そうね…。
| ファミリー | 16:03 | comments(0) | trackbacks(0)
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