Swingy days Enjoy! Open!! Swing!!!

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「落書き」を消す前に。

 

高雄山・神護寺には、古くからの落書きがたくさん残されている。

普通ならば「けしからん!!!」となりそうなものであるが、不思議と、全く嫌な気がしない。

なかには大正時代のものもあったりして驚く(写真のは違います)。 

 

「落書き」ってダメなことってイメージがあるけれど、本当にそうなのだろうか?

誰かがそれを禁じているから? それを大歓迎する世界がもしあったら?

良し悪しを言いたいわけではない。

僕たちが何となく共有する価値観や倫理観は、いつだって実は危ういところで成り立っている。

 

 

人生のある時間に、縁あってこの地を訪れた人たちの、かけがえのない思いのひと欠片たち。

それらはもはや神護寺の風景の一部であり、「文化」とも言えるものではないか。 

仮に「落書き」がダメなことであるとして、そこに感動があるとかないとか別にして、きれいなものや、ええとこばかりを残していない神護寺は素敵だなと僕は思う。

 

タカノリとユリは、その後どうなったのであろうか?

 

 

僕が生まれた1977年に19歳だった「仁美」と「和幸」は、今はもう61歳になるはずである。

お元気に暮らしてらっしゃるだろうか?

 

歴史を物語るのは美しい建物や仏像だけではない。

 

木ノ戸

| ひとりごと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0)
わからないひと

 

自分のことは 自分が一番よくわからない

2人のことは 2人が一番よくわからない

 

世界は 逆説に満ちている

 

だから 「これは自分のことだから」 とか

「これは2人の問題でしょ!」 なんて 閉じてしまうのは

とっても危うい デンジャラス 

 

僕たちは 内に閉じれば 閉じるほど

見事なまでに 客観性やバランスを 失ってゆく

 

 

だから 開く


カッコ悪くっても みっともなくっても それが「現実」なんだし

「現実」以外に 生きられる場所は どこにもないのだから

 

もうカッコをつけて ビクビクするのは やめにしないか?

自分(たち)のことは 自分(たち)で なんて 

力みまくるのは やめにしないか?

 

だいじょうぶ

どれだけ恥をかこうが 失敗をしようが

何度でも 何度でも やり直せばいい

 

 

だから 恥ずかしがることなんて 1つもないし

あえて言うならば 恥じる己を恥じろ! である

 

ひとりを開く 2人を開く 3人を開く 組織を開く

こうして 開き続けてゆくと 

いつか世界からは あらゆる線引きが なくなっちゃうんじゃないか

 

自分のことは 自分が一番よくわからない

2人のことは 2人が一番よくわからない

 

木ノ戸

| ひとりごと | 17:27 | comments(0) | trackbacks(0)
神は「イナガキ」に宿る

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 思えばこの半年間、ものすごいスピードと密度で駆け抜けたように思う。

速すぎて、濃すぎた。そのツケはしっかり回ってきて、先週日曜に突然、腸炎を発症。吐く、下すを繰り返して峠を越えた後の1週間はほぼ素の味噌汁オンリーで暮らした。が、これが全然つらくなくって驚いた。普段食べすぎていたのだな、と実感した。さすがに一昨日あたりから少しずつ食べはじめたが、そもそも人間はそんなに食べなくても生きていけるんじゃないか。1日にこんだけのカロリーが必要とか、こんだけの栄養が必要とか、実は全部、「食べ物を売るため」のウソなんじゃないだろうか。でも完全復活したらラーメン食べたーい! ビール飲みたーい!

 

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『親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO』高知展(会場:藁工ミュージアム)において、特に何の告知もしていなかった、そして恐らく誰の興味も惹かなかったパフォーマンス(?)、「ゴミブルーの執筆」を敢行したのが、昨年11月17日、およそ5ヶ月前。

つまり、そのときには『まともがゆれる』の執筆は数回あったクライマックスの何回目かを迎えていたわけだから、うん、そうね、昼も夜も1分も10時間もしっちゃかめっちゃかになってしまったのは、うん、そうね、やっぱり今から半年前くらいだったように思う。

 

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このパフォーマンスは本の発刊前、苦しまぎれに勝手にやっていたわけだけれど、発刊後は「聞いてないよ!」とばかりに、勝手にはできない様々な経験をさせてもらった。中でも第一目的を「シャレオツな長靴を買うこと」にすり換えてみた

、スケジュールギューギュー! 東京プロモーション出張(3月7日〜8日)では、(アキラの「力」によって壊滅する前の)ネオ東京の巨大メディアに圧倒され、激しく疲弊しつつ、全盛期のピンク・レディーの苦しみに思いを馳せたりしていた。つらかったろうねー、よく頑張ったねー、子どもながらにちょっとエッチな視線ばかり向けてごめんねー。

 

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しかし好感度100%、ゆるいライター・すずきあつおさんによるインタビューはめちゃ楽しかったし、何と言ってもチョー居心地のいい「本屋Title」(東京・荻窪)で開催された、稲垣えみ子さんとの至福の対談は、今でも自分の中で語り草になっている。

 

【BAMP】息をするだけで仕事になる? 型破りNPOが僕らの「常識」を揺さぶる

 

突然ですが、ここで1通のメールを紹介したい。 会ったことも話したこともない、どこに住んでいるかも年齢も職業も何ひとつ分からない、でも恐らく「イナガキ」という姓の女性の、短いメールを。

 

人違いです。 

私は稲垣みえ子さんではありません。 

とても大切なメッセージのようなので、メルアドを再確認されて、今度こそみえ子さんにお届けください 

 

……何度見ても震える。ドラマは突然訪れる。

優しさが、温かさが、こんな短いメールから溢れ出て、はみ出しまくっている。 

お察しの通り、おっちょこちょいの後厄男が「稲垣えみ子」さんに対談の御礼メールをしたところ、間違って別のイナガキさんに送ってしまったみたいで、その見知らぬイナガキさんが、この神のごときメッセージを返してくれたのである。しかも「えみ子さん」を「みえ子さん」と間違われているあたり、稲垣えみ子さんのことは知らない方らしい。

 

にも関わらず! だ。

 

そう。もし、この神の声がなければ僕は、「稲垣さん、返事くれないなあ……。嫌われちゃったのかなあ……」とか思いながら、もう一度メールする勇気もなく、あっという間におじいちゃんになってしまうところだったのだ。

一体、どうなっているんだ、世のイナガキさんは。

神はひょっとして「イナガキ」に宿るのだろうか?

 

優しいイナガキさんの思いと共に、次は稲垣えみ子さんに間違いなくメールを送ることができた。

そして、そのお返事(スウィングの図書館構想をめっちゃ褒めてくださった!)は、もちろん僕の、(もうひとつの)宝物になっている。

 

 

さて、このたび、稲垣えみ子さんとの対談の様子が朝日出版社のウェブマガジン『あさひてらす』にアップされました。

なんと文字起こし&編集は担当編集者の平野麻美さん。もう、なんでもやりすぎ!!!

ああ楽しかったあ……みんな笑ってたあ……幸せやったあ……。

 

 

【「まとも」から抜け出すための対話】

 

木ノ戸昌幸さん×稲垣えみ子さんトークレポート(1)

「あげる」と人とお金が集まってくる

http://webzine.asahipress.com/posts/1775

 

全3回なので、今後も『あさひてらす』をぜひチェックしてください! 

 

木ノ戸

| ひとりごと | 21:09 | comments(0) | trackbacks(0)
モヤモヤを舐めてはいけない。

 

『まともがゆれる』を出版し、おおよそ2ヶ月が経った。この間、想像だにしなかった素敵な感想やリアクションの数々をいただき、正直驚き続けている。どういうわけだか「バイブル」とまで言ってくれる人も少なからずいたし、何人かの人には丁寧な丁寧なお手紙までもらった。本当にありがたい。一生の宝物にします。

 

先日2泊3日で敢行した東京出張では馴れないテレビ出演もさせてもらった。大都会・TOKIOの真ん中の、速い! 多い!! 大きい!!! という苦手三拍子が揃った有名テレビ局の中で萎縮しまくりながらも、「決して嘘はつくまい!」と思っていたが、一体誰に向かって話しているのやら、話せばいいものやら、まるで分からなかった。 不自然なくらいに近い距離で隣り合って座っているMCの方(徳谷柿次郎さん)も、ついさっき出会ったばかりの、初対面の知らない人だ。でも、自分が何を話したのかはほとんど覚えていないドキンチョーの収録の最中、徳谷さんの嘘のない、いくつかの本当の言葉が聴けたのは嬉しかった。

 

「番組名を『イエーイ!』って感じで言ってください」と求められたとき、彼は「木ノ戸さん、こういうの苦手ですよね。しなくていいですよ」と言ってくれた。すると僕の緊張は少しほどけ、少しだけ「イエーイ!」となった。「イエーイ!」ってしなくっていいと分かると「イエーイ!」てなる。人間て不思議だ。そして徳谷さんも本当は「イエーイ!」苦手なんだろうなあ、と思った。

 

 

いつだって顔の見えない、遠くの誰かに向かって声を発するのは割と簡単で、目の前にいる人に向き合い、本当の言葉を語り、本当の言葉を聴くことのほうが怖くって難しい。

 

『まともがゆれる』が好意的に受け入れられていることは嬉しいが、でもその中の世界はあくまで、それを書き終わる瞬間までの物語であり、思考である。つまり僕は書き終わったその瞬間から、『まともがゆれる』の続きの中を生きているのだ。恐らく死ぬまで完結することのないリアルで面倒くさい、揺れ続ける世界を。考えてみれば当たり前のことなのだが、にも関わらず僕は、出版後の(多くの場合、非常に好意的な)喧騒の中を何やかんやと忙しく過ごすうち、この動かしようのない事実に気づかないフリをして、蓋をしてきたようだ。が、所詮フリはフリ。そんなに長くは通用しない。

 

Qさんの詩「モヤモヤ」はやっぱりすごいなあと思う。フリの代償(?)は確実に僕の中にモヤモヤと積み上げられてゆき、具体的には昨日あたりに限界を迎えた。

 

すぐにでも、向き合って話をしなければいけない人がいるのに、それを避けている。

すぐにでも、話し合わなければいけないことがあるのに、それを避けている。

 

 

だから今日お願いして、ずっと話すべきだった人と話をした。少し勇気が必要だったが、「ほったらかしにしていてごめんなさい」と謝ることができた。泣きたいのはその人のほうだったろうに、ポロポロと涙がこぼれ落ちた(自分勝手な涙だ)。

やはりお願いして、話し合わなければいけなかったことを皆と話し合うことができた。まったくもって予定外の時間だったにも関わらず、皆、真剣に、集中して議論してくれた。モヤモヤが少し晴れ、心の中に光が射し込みはじめた。

 

明日は「モヤモヤ」の作者であり、3日前くらいには相変わらず理不尽な怒りを爆発させて周囲を硬直させていたQさんと、今日、さすがに疲れがたまっていたのか、珍しく半ドンをかましていたXLさんと一緒に、公開ラジオ収録をしたり似顔絵を描いたりする。

 

 

逡巡のための風景/特別企画:Swing観光案内所「他人ごと面してんじゃねーよ」

●ラジオ公開収録

・日時:3月16日(土)13:00-14:00

・会場:京都芸術センター3階 ミーティングルーム2

・出演:木ノ戸・Q・XL 

 

●Swing流ヒジョーシキ似顔絵

・日時:3月16日(土)14:30-18:30

・会場:京都芸術センター インフォメーション

・描き手:Q・XL

・料金:1,000円

 

http://www.kac.or.jp/events/24956/

 

 

 

そして明後日は「あそば春」という楽しげなイベントに出演させてもらうのだが、さっきXLさんと明日の予定を電話で確認したところ、彼もQさんも、遊びに来てくれるつもりだったらしい。何とも心強い。

 

 

*敦子の部屋 〜トークショー〜 

peace flagプロジェクトの井崎敦子が、あそば春の一隅で小さなおしゃべり部屋をオープン!そしてメインステージではゲストを招いてトークショーをいたします!ゲストは知事選候補だった福山さんと絵本屋さんの潤ちゃんとSwingの木ノ戸さん。おしゃべりの中からひょっこり、笑いや涙、ヒントやパワーが飛び出すかも?出さないかも?乞うご期待!

 

https://www.facebook.com/events/348408672682257/

 

 

ああ、モヤモヤを舐めてはいけない。できればもう二度と、無視なんかしたくない。

モヤモヤは言葉にできない何かだからこそ、それに対峙するには勇気が必要だからこそ、蔑ろにしてはいけない、とてもとても大切なものなのだと思う。


木ノ戸

| ひとりごと | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0)
未知との遭遇

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今年は「チャレンジ」の年と決めた。曲がりなりにも41年間を生きてきたが、こんな真っ当な目標を持ったのは生まれてはじめてのことだ。けれどここには僕なりの切実さがある。スウィングを通しての実践や発言だけを見たならば、結構大胆なことをやっているように思われているかもしれない。が、実は(……なんて大袈裟に言うのも恥ずかしいが)僕はこれまで海外旅行はおろか、ひとり旅すら一度もしたことがない、相当なチキン野郎なのである。

 

そもそも興味がなかった……とも言えるし、これまで歩んできた人生の各場面には、なんだかんだ家族や友人やパートナーがいたことも大きかったのだと思う。けれど僕にとって、ひとりで行動し、ひとりで経験するということは不安いっぱい、「怖いよ〜、心細いよ〜」の叫び渦巻く、まるで未知の世界なのである。

 

ココルームの上田假奈代さんに「孤独は味方につけるものよ」と諭されたのは2年前くらい前のことだったろうか。人はひとりでは生きてゆけないが、それでも、どこまでいっても「私」という人間は絶対的にただの独りだ。誰かの人生をとってかわって生きることはできないし、僕の人生は僕だけにしか生きられない。

ここ数年、いろいろなことがあった。離婚を経験し、それなりに白い目で見られ、世間に対して負い目を感じ、と同時に刷り込まれてきた家族や生き方の「型」のようなものの脆弱さと限界を改めて実感し、新たな繋がりや生き方を模索している人たちの存在を知った。

 

「孤独は味方につけるものよ」

 

少しずつ假奈代さんの言葉の意味が、腑に落ちてきたような気がしている。

 

「自分のこれから」と「スウィングのこれから」をごっちゃにしてはいけないと悩んでいるとき、「なに言ってるの。スウィングはあなたのことよ」とサラッと言ってくれたのも假奈代さんだ。上田假奈代の言葉の影響がデカすぎるのが少々気になるが、スウィングを創り続けてゆくことは僕にとって恐らくライフワーク。まだまだ更新してゆく気は満々だし、こんな僕でも頼りにしてくれる人が確かに存在しているわけだし、そのためにも僕は僕自身を更新しなければいけない。更新し、生きる術を磨き、新たな繋がりを生み出し、もっともっと自分本来の姿に戻ってゆかねばならない。

 

 

しかし「チャレンジ」とは味も素っ気もないしダサすぎるし漠然としすぎている。じゃあ、スピルバーグの大好きな映画にあやかり「未知との遭遇」と言い換えてみよう。よし。少しやるべきことがはっきりしたような気がする。どんなに小さなことでも構わない。自分にとっての未知、つまり「はじめて」に出会う実験を繰り返してゆくのだ。たとえ宇宙人には出会えないとしても。

 

これまで、このブログでも僕なりの挑戦を重ねてきた。スウィングという公的な場の発信の中に非常に私的な話題を放り込んでみたり、隙あらばギリギリアウトを狙い、セーフゾーンを広げてゆこうと模索してきた。その模索がどう実を結んだのか、あるいはその模索によって何を失ったかのは分からない。が、幸か不幸か模索を続ける意気込みだけは変わらない。公と私、ワークとライフ、働くことと遊ぶこと、家族と家族ならざるもの、健常と障害、アートとアウトサイダーアート……。これまで当たり前に区別されてきた物事の境界が揺らぎ、既にもう全国各地、いや恐らく世界各地で、これからの時代を生き抜くための「越境」がはじまっている。越境し、更新し、未知なる何かに出会うために。

 

木ノ戸

| ひとりごと | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0)
「人材難」とは誰のことぞ?

 

「人材難」という言葉をよく聞く 。

実際、人材難だなあと思うこともあれば、

そうでもないんじゃないかなあと思うこともある。

 

……はたと気づく。

人材難を嘆いている人はいつも他人事。

いつだってどこかの誰かのことを重々しく語っている。 

 

……ギクリと気づく。

ひょっとすると人材難とは自分自身のことではないか、と。

自分自身が人材難と言われる、そのひとりなのではないか、と。

 

なるほど、そういうことか。

確かに、確かに、人材難。

 

これでもう、人材難などという偉そうなことを言って

悩んでいるふりをする必要がなくなったぞ。

 

いや、どいつもこいつも人材難なのだから

もうそんな言葉自体なくなってしまうぞ。

 

木ノ戸

| ひとりごと | 18:41 | comments(2) | trackbacks(0)
そんな感じで

 

間違ってないとは思っているけど

正しいとはちょっと違う 

 

負けてたまるかと意地を張るけど

それほど勝ちたいわけではない

 

逃げないと決めてはいるけど

死にたくなる夜もそりゃあるわい

 

そんな感じで 

そんな感じで

 

二度とは来ない今日という日が

ただ一目散に駆け抜ける

 

二度とは来ないはずなのに

二度とは来ないはずなのに

 

木ノ戸

 

 

| ひとりごと | 18:02 | comments(0) | trackbacks(0)
怖いデザイン

 

極論、デザインとは「優しさ」だと思っている。

 

最近、ある方のデザインを見せてもらった。僕が「う〜ん……」と唸っていると、また別のある方が「これ、怖いですよ」と笑いながら言って、腑に落ち過ぎて僕も笑ってしまった。 


ああ、この違和感は「怖い」と表現するのか。


怖いデザインというのは、「自分ばかり」になっているデザインのことだと思う。

伝えたいことが思い余って先立ちまくってしまって、それを目にする人がどういう気持ちになるだろうかとか、伝えたいことが上手く伝わるだろうかとか、受け手の側に立った視点がスッポリと抜け落ちている、そういうデザイン。


これは恐らく上手、下手、技術やセンスのあるなし以前の問題である。

 

先立ちまくるくらいに伝えたいことがあるのは素晴らしい。

が、その溢れんばかりの熱い思いを誰かに伝えたいのなら、同じように溢れんばかりにその誰かのことを思うこと、つまり「優しさ」が必要なのではないだろうか。


世の中には、ものすごくヘタクソだけれど、ものすごく伝わるデザインがある。

ものすごく上手だけれど全然伝わってこないデザインもある。

 

「怖い」という誰もが知っているシンプルな言葉がズドンと響いたのもまた、それが実は高度にデザインされ、優しさから発せられた言葉だったからなのだろう。

 

木ノ戸

| ひとりごと | 14:50 | comments(0) | trackbacks(0)
ことば

 

ことばが声になるまで 私は死んでいる

 

毛穴から汗が噴き出るまで 私は死んでいる

 

堪えきれず泣き出すまで 私は死んでいる

 

死んでいるなら もう生きるだけ

いじけず 強がらず

みっともなく 余裕などかまさず

 

ことばが声になるまで

毛穴から汗が噴き出るまで

堪えきれず泣き出すまで

 

木ノ戸

| ひとりごと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0)
麻痺とチュー

 

知らぬ間に 確実に

いろいろなことが麻痺させられている

 

些細なことを

とても重要なことのように思わされ

 

とても重要なことを

些細なことのように惑わされ

 

事態の深刻さに気づいた人たちが言うアレ

 

「今の世の中は子どもに対して申し訳ない!」とかいうアレ

 

アレも なんだか とっても怖い

 

主語は 「自分」に置いておかないと

逃げずに 「自分」に置いておかないと

 

「仕事を休むことができない」京一さんは

今日も「弁当を残すことができない」

 

大嫌いな野菜を 今日もムリヤリ食べている

半泣きになりながら 今日もムリヤリ食べている

 

泣き終わったらいつものように

ブラックジャックをしよう

 

負けが続いて イライラしたら

おれがほっぺにチューしてあげる

 

あなたがちゃんと笑うか 確かめたいからさ

できれば負け続け イライラしてほしいねん

 

そしたら チュー

チュー チュー チュー

 

木ノ戸

| ひとりごと | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0)
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