Swingy days Enjoy! Open!! Swing!!!

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綿棒を耳に挟む自由、あるいは服装の自由、ていうか人間の自由

 

仕事終わりに歯医者に行って、待合室の端っこの椅子に座ると右側に全身が映る大きな鏡があった。

そこにいたのはもちろん僕で、けれど右耳に白い綿棒が挟まっている。

耳に突っ込まれていたわけではなく、ちょうど職人が鉛筆を耳に挟むような感じで。

 

思い出した。

就寝中に耳栓をするので(かゆくなるので)毎朝起きたら綿棒でホジホジするクセが僕にはあって、でも今朝はいつも以上に慌ただしかったのですぐにホジホジせずに一旦右耳に挟んで保留して、他のことを優先したのだ。

 

 

そしてホジホジを忘れたままスウィングに行き、朝っぱらから西川君と西君に日曜日に行った<ARTISTS' FAIR KYOTO 2024>で感じまくった(ものすごく控えめに言って)違和感をひとしきり聞いてもらい(後日書くかもしれないし書かないかもしれない)、朝礼に出て、スウィングに来てくれた顧問社会保険労務士さんと経営上の真面目な話をし、昼休みには昼ごはんを食べながらXLと京一さんとあちゃみちゃんとボードゲームに興じ、午後からは西川君、あやちゃん、ちょくちゃんと<相談室相談室>と名づけた定例ミーティングをおよそ90分。終礼に参加して、4月から改悪される制度を読み込みながら、それと闘うようにスウィング独自のマニュアルをつくり、歯磨きをしたあと18時に予約していた歯医者の定期検診にやって来て、およそ10時間前から右耳に挟んだままの綿棒にようやく気づいたというわけだ。

 

その間、ここに書いた以上にたくさんの人と接し、普通に話をした。

 

そういや出勤後いちばん最初にしたのはnacoさんの詩への批評とアドバイスだった。一篇の詩を書き上げるためnacoさんと僕はもう2週間以上同じようなやり取りをしている。分かりやすいものを書こうとせず、自分自身をもっと掘り下げ、nacoさんだけが感じた感情や情景を表して欲しい。でも真剣なやりとりを交わしながら、終始右側にいたnacoさんは僕の右耳に挟まれた真っ白な綿棒には全く触れず仕舞いだった。

 

※ nacoさんこと宮川尚子さんは「第28回NHKハート展」に入選しました!

https://www.nhk.or.jp/heart-net/event/art/history/work28/

 

 

誰にも害を及ぼさない、たかだか綿棒では物足りなかったのだと思う。

普通のお箸でも微妙なラインっぽいから菜箸(さいばし)か銀ピカのフォークかスプーンだったら、あるいは綿棒が耳に突き刺さってダラダラ血でも出ていたなら、誰かが「挟まってるよ」と教えてくれたかもしれない。

 

意図して髪を切ったことに気づいたら「切ったんだね」と言うけれど、意図せず挟まった綿棒には「挟まってるね」なんてわざわざ言わない。ともかく綿棒が耳に挟まってる程度では誰も気に留めないスウィングという場所を手前味噌ながらあらためて「ええとこやなあ」と思う。どんな状況でも“言いそうな”あちゃみちゃんやちょくちゃんが、運良く左側にいたという幸運(?)もあったのだろうし、スウィング内部の人ではない社労士さんや歯医者の受付の人は「前が開いてますよ」が言いにくいように、言いたくても言えなかったのかもしれないが。

 

 

先週の木曜日、<Swing鼻クソRADIO>の収録で沼田君が話したのは「服装の多様性を認めるドラッグストアが、わざわざ店舗入口前にそのことを掲示していることの違和感」だった(→)。

詳しくはここでは書かないのでよければ聴いてもらいたいが、そんなもんをわざわざ広報しなければならないのだとしたら、スウィングには予め伝えておかなければいけないことがたくさんあり過ぎる。

 

制服の強制なんて論外。

制服しか認めない学校に綿棒を耳に挟む自由……というか失敗なんて絶対に認められないだろう。

誰が、どんな格好をして生きようが自由だ。しょうもないことをいい大人が寄ってたかって正論にして、自分自身の不安を自分より弱い者にぶつけるな。弱い者を利用するな。

 

服装だけじゃない。

みんなと同じじゃないと生きていけないとか、同じじゃないといいことないなんて大ウソだ。<違う>のに<同じ>を目指した挙句に己自身の不安もますます増すばかりって、とっくに気づいてるクセに気づいてないふりをするな。押しつけた<同じ>に苦しんでいる子どもたちを見て見ぬふりするな。

 

……気候の変化が激しいせいかガチガチになってしまってる腰も痛くなってきたし、何を言いたいのか分からなくなってしまった。

ともかく綿棒をうっかり耳に挟んで1日を過ごしたけど誰にも干渉されず、特に特別でも劇的でもなく普通に過ごせて良かったなあ、そしていろいろ考えてしまったなあ、そんなことよりさっさと風呂入って耳栓して早く寝て、翌朝綿棒でスッキリしなはれやという話です。

 

木ノ戸

 

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・現在スウィングでは常勤スタッフを募集中です。

・詳しくは下記ブログをお読みください!

 

2024.02.08 Thursday 

★新スタッフ(生活支援員/女性)募集のお知らせ 

http://garden.swing-npo.com/?eid=1401141

| ひとりごと | 23:46 | comments(0) | -
死は人生の忘年会みたいなもんだから

 

2023年12月8日金曜日、忘年会の日。

 

 

「あ」

 

 

ミサさんが朝っぱらからバス停の後ろにある、お蕎麦屋さんのメニューにうっとり見とれてるうちに忘れてしまったのは<バスに乗ること>だったようだ。

その集中力、仕事でもな! まあ今日、忘年会やしな!

 

 

 

「体温が36度5分なんですけど」

 

 

朝っぱらのスウィングに、心配そうに電話をかけてきたアート会長がうっかり忘れてしまったのは<一般的な微熱ライン>のようだ。

バリバリ平熱、健康やな! まあ今日、忘年会やしな!

 

 

いろいろあったよ、本当に。

いろいろいろいろ、いろいろいろいろ、忘れたいこと、忘れたくないこと。

 

でも、いつか「あの頃は大変やったなあ」と笑って振り返れるはずだ。

現に前の「あの頃は大変やったなあ」は(心はズキズキするけど)「よく乗り越えたなあ」みたいになってるし。

前の前の「あの頃は大変やったなあ」は(心はズキズキするけど)「ほんと若かったなあ」みたいになってるし。

 

 

だいたい人生に期待しすぎなのだ、最近の我々人類は。

とてもじゃないけど「生きてるだけで丸もうけ」なんて滅多なことでは思えない、悲しいかな、それが人生の本当ってもんだろう。

 

いろいろあるよ、本当に。

いろいろいろいろ、いろいろいろいろ、忘れたいこと、忘れたくないこと。

 

 

だからこそ、もっと良くなれ! なんて力まずに、目の前のリアルな世界にさざめく小さな出来事を喜んだり楽しんだり、その気持ちを目の前にいる大事な人たちに照れずに伝えたい。

 

人は皆、いつか必ず死ぬ。

死は人生の忘年会みたいなもんだから(そうなん?)、生きるってそんな綺麗なもんでもないんだから、濁りのない大切な気持ちは忘れてしまう前に、生きてる間に伝えないと。

 

木ノ戸

 

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★バリバリ平熱、アート会長からの贈り物。

★漫画『まち美化戦隊ゴミコロレンジャー 第2話』は絶賛世界配信中!

| ひとりごと | 21:58 | comments(0) | -
私の混乱、眼科医の葛藤

 

目のかゆみや充血、異物感が4月の頭くらいから続いていてスッキリしない。

疲れが出ているのだろうと市販の目薬でごまかしてもあまり良くならず、先日近くの眼科に通院した。

世の中にはこんなに目の具合が悪い人がいるのかと驚くくらいに待合室はいっぱいで、受付時間ギリギリに駆け込んだ僕が診てもらったのは午後の8時を回っていたと思う。

 

診察の結果、「何かのアレルギー反応を起こしているが深刻な状況でもない。2種類目薬を出すので1ヶ月ほど1日4回さしてください」ということになった。

 

少し安心して待合室に戻り、ほどなく受付に呼ばれて袋の中身を見ると、2種類の目薬が<2本ずつ>入っている。

支払いを済ませながら少々混乱する。え〜っとこれは、2本で1ヶ月分? それとも2ヶ月分?

分からないので「これで1ヶ月分ですか?」と受付のスタッフに尋ねてみると「そうですね〜」……では終わらなくってまだ続く。

 

 

「でも上手な人だと2ヶ月はもちますね」

 

 

どっち!?? 

さらに混乱は深まったが、もう時間も遅いし待合室の掃除もはじまってるし、明日の朝はまた9時から診察がはじまるし、「あ、なるほど。どっちでもいいのだな!」と分かったのでそれ以上質問するのはやめておいた。

 

そして考えた。

朝の9時から夜の9時まで、毎日毎日具合の悪い人の目ばかり見るという眼科医の人生を(なんという大きなお世話だろうか)。

「人の目を見て話しなさい」なんてしょっちゅう子どもの頃に言われたが、ちょっと見過ぎなんじゃないか。

 

でもともかくここの先生は、きっと具合の悪い目が好きなのだろう。

なんかそういうのが丁寧な話しぶりや発する雰囲気から伝わってきたような気がしないでもない。

一生懸命勉強していざ眼科医になってみて「あ、おれ目好きじゃない! 耳とか鼻とか喉のほうだったかもしれない!」って気づいたら、それはやっぱりこの世の不幸のひとつだろう。何事も好きじゃなければ続かない……っていうかさっさと目薬さして治せ、おれ。

 

木ノ戸

| ひとりごと | 14:40 | comments(0) | -
心と体と

 

視覚や聴覚、肌を触られることにも過敏だ。

目(脳?)を守るために普段はカラーレンズの眼鏡をかけているが、レンズが傷んでもなかなか交換に出しにくい。

もうひとつの眼鏡は夜や室内用のクリアレンズなので、外出を伴う普段使いには適さないからだ。

こういう時の為にカラーレンズの眼鏡をもうひとつ持っているのだが、細心の注意を払って選んだはずなのにツルが当たる耳の上側がどうしても痛み、瞬く間に頭痛を起こしてしまう。何度も調整してもらったが解決はせず、そろそろメルカリに出そうかなあと考えている。

 

10〜15年とかけ慣れた眼鏡でさえも痛みを起こすことがあるのに、コロナ禍以降はマスクが新たな「日常着」となり、左耳の痛みは更に増すことになった。マスクを強制するかのような世相に違和感や反発心があってそのうちに着用をやめるようになったが、それも痛みという身体的な理由が先行していたのだ。  

ちなみにコンタクトレンズは十代の頃から何度か試したがどうしても無理で、たとえつけられても、どうせサングラスをかけなければいけないから意味がない。

 

耳の過敏さには耳栓、イヤーマフや音楽などで対処し続けた挙げ句、先日遂にノイズキャンセリングイヤホンを購入した。

高価だったし失くしてしまいそうだったので躊躇したが、パートナーが「あなたには必要」と後押ししてくれた。これまでも辛さは理解してくれていたし、最近人から発せられる耐え難い音について更に詳細に告白したからだと思う。

それらは恐らく普通の人ならばスルーできるものばかりだ。人物の好き嫌いは関係がない。黒板に爪を立てる音が多くの人にとって不快なようにただ音がキツいんである。だから辛い思いをさせてしまったと思うし伝える僕も言いづらかった。

 

映画『心と体と』(監督:イルディコー・エニュディ/2017年/ハンガリー)。

 

理解され難い生きづらさを抱えながら、一見静かな日々を生きる主人公に強い共感を覚える人は実は少なくないだろう。

あまりに変化に乏しい言葉や表情の裏側の、生きるために押し殺し続けたに違いない感情の嵐には易々とは気づけない。それが辛い。物語の最終盤、彼女はようやく、ごく些細な普通の出来事に大笑いする。鎧を脱ぎ去った本当の、本来の姿に喝采を送りながら、ただ自分自身として生きることの、この世の困難を改めて思う。

 

人が生きてゆくためには一方的にではなく互いに、理解はできなくとも理解しようとし合える他者が必要だ。

ただ食べて寝て生きるのではなく、心を殺さずに生きてゆくためには。

 

木ノ戸

| ひとりごと | 04:34 | comments(0) | -
「共に」と言いたくなるとき

 

スウィングに復帰しておよそ3週間。

 

心身共に浮き沈みしながらも、仲間と共に少しずつ前へ進んでいる。「共に」なんて薄っぺらな言葉はウソ臭くて照れ臭くて通常は放送禁止用語だが、現にその実感しかないことを幸運に思う。

 

画像はQ氏からの差し入れ。

紙が邪魔でこの上なく飲みにくかったが、本来の味以上に美味しく、この上なく心安らぐ珈琲だった。

 

感覚を取り戻すにつれて書きたいこともたくさん出てきて書きかけるんだけれど、書ききる時間と体力がなくってどれも中途半端だ……ということなら書けると思って書いた。

 

なんでもいいのだ、「表す」ということは。

誰の胸に響かなくとも自分に正直でありさえすれば。自分自身の半径10メートルが平和でありさえすれば。社会とは、その景色のことを言う。

 

木ノ戸

 

| ひとりごと | 19:09 | comments(0) | -
続・弱さを恐れない人たちの

 

Qちゃんやたいと君やXLの「だいじょうぶ?」が嬉しくて、久しぶりに文章が書けた(→)。

 

頼ることが当たり前の人、様々な問題を自分自身で解決することを諦め、他者に委ね切っている人。

もっと言えば、他者を頼らなければ簡単に死んでしまう! と認めている人は強い。

 

弱いから強い。

 

 

他者に頼ることが主体性を損ねるわけではない。全然違う。

3人のおじさんはそれぞれに譲れない何かを持った、この世界で唯一無二の存在だ。

他には絶対にいない。純度が高すぎて(クセが強すぎて)、まったく輪郭がぼやけない。

ギンギンに立ちまくっている。

 

むしろ無理なものは無理とキッパリと諦めて委ねてしまって、それでも残るのが主体性とかその人の核なんじゃないかと思う。

そうした深い位置から発せられた本当の声だからこそ、おじさんたちの「だいじょうぶ?」がズドンと響いたのだ思う。

 

 

できない自分を認めて諦めて、カッコつけずに他者に頼る。委ねる。

生きる術ってこれだよなって思うのだが、いかんせん「健常者」というラベルを貼られてしまうと、「自分で!」プレッシャーを四方八方から押しつけられ続け、勘違いのループを彷徨ってしまうようだ。

 

誰だって自分ひとりでできることなんてたかだか知れており、他者を頼らなければ簡単に死んでしまうのに。

 

木ノ戸昌幸

| ひとりごと | 23:00 | comments(0) | -
弱さを恐れない人たちの

 

心を痛めてスウィングを休んでいる。

この休みは足のケガ以上に長くなる。

なんとも多難な2022年だ。

 

Q氏からひさしぶりの電話。

開口一番、「ひさしぶり。だいじょうぶ?」。

 

 

たいと君からはLINEメッセージ。

「だいじょうぶ? 元気になったらドライブ行こうね」。

 

口下手なXLでさえ、照れ臭そうに笑いながら「だいじょうぶ?」。

もっとも僕から電話したんだけど。

 

こういう仕事をしていると「利用者に心配をかけてはいけない」なんて、まともぶったことを言う人も少なくない。

僕はなぜだろう? とつねづね不思議に思う。

彼らが<障害者>と名づけられているから? だからどうした?

 

人をバカにするなと思う。

 

 

しんどいときに「だいじょうぶ?」と声をかけ合うことこそが公平性だ。

人間同士の付き合いだ。

 

弱さを恐れない人たちの優しい言葉が、涙の出口をこじ開ける。

 

木ノ戸昌幸

| ひとりごと | 10:29 | comments(0) | -
映画『オレの記念日』の衝撃:不運は不幸ではない

 

疲れ果てている。精神科のクリニックで処方される薬は増え、もともと弱いお腹は下痢を繰り返している。情けないが現実だ。

そんな折、金聖雄監督から「ぜひ観てほしい」と言っていただいたドキュメンタリー映画『オレの記念日』(監督:金聖雄/2022/104分)を観た。正直なところ、すがるような気持ちを抱きながら。

 

被写体である桜井昌司さんの人生は凄まじい。間違いなく、誰もがそう言うと思う。

違法捜査による逮捕、殺人犯の汚名、無期懲役、29年間に及ぶ獄中生活。

さらに凄まじいのはそこに悲壮感がないからだ。「不運は不幸ではない」「冤罪で捕まってよかった」、清々しく噓のない笑顔で語る。「冤罪被害者」という言い方でいいのかと混乱してしまう。

明るく、頭の回転が速く、いつもユーモアに溢れ、サービス精神を絶やさない……ように見えるし実際そうなのだと思う。けれどやはり、そのすぐ裏側にある張り詰めた思い、想像を絶する怒りや悲しみ、絶望を思わずにはいられない。

時折ちらりとだけ見せる涙があまりにも重い。桜井さんには「考えすぎ」なんて軽く言われそうだが。

 

桜井さんは29年間という獄中生活をどう乗り切ったのか。過去も未来も考えず、ともかく「今」に楽しみを見つけ、今日1日頑張ったと言えるように生き続けたと言う。それは修行であり、「自分自身を自分自身にした」年月だったと言う。

 

スウィングのポリシー、Enjoy! Open!! Swing!!! 。Enjoy! に込めた意味は、世界はクソッタレで人生なんてさして素晴らしいものなんかじゃない。だからこそどうにか楽しもう。僕と桜井さんとは全然違うが、ここだけはちょっと似ているのかなと思う。けれど末期ガンに侵された今現在も「人生はいいことばかりじゃつまらない」と楽しむ桜井さんの一方で、いつまでも中途半端にうだうだやっているのが僕だ。仕方ない。僕は噓なく僕を生きるしかない。

 

桜井さんの姿が脳裏に焼き付いて離れない。やっぱりニコニコと笑っている。

何かが少し楽になり、同時に何かを問われ続ける。

 

木ノ戸昌幸

 

・『オレの記念日』は現在、京都シネマ(京都)、第七藝術劇場(大阪)、元町映画館(兵庫)にて上映中。

・京都シネマでの上映は11月3日(木・祝)まで。

・上映情報等、映画の詳細はコチラ! →

| ひとりごと | 12:57 | comments(0) | -
暴走車両はもうすぐ生まれる

 

ものすごいスピードで走ってきて、危ない! と感じる車に時々出会う。

先日は<片側一車線の山道>で、僕の運転する車を(右でも危ないのに)「左」から抜かそうとする車に出くわしてしまった。

驚いてかわし左側にいるその車を見ると、なぜか運転席の男性が怒りに満ちた表情でこちらを睨みつけながら、何事かを叫んでいる。

 

同乗していた僕のパートナーも怒る。Fuck you!

当然だ。かなり危険だった。昔の僕ならばやはり激怒していたと思う。

が、近年そのような暴走車両に出くわすたび心がけていることがある。

 

 

「ああ、めっちゃウンコがしたくってたまらないんだな。もうギリギリなんだな。だから止むに止まれずあんな危ない運転をしてるんだな」

 

 

こう思い込むようにしてからは、むしろそれ以外に暴走する理由が見当たらず、ほとんどそうとしか見えないようになって「可哀そう……間に合いますように……がんばれ!」とむしろ伴走者のように応援できるようになった。

僕はその昔、毎日のようにお腹を壊し、頻繁に「もう生まれる!」くらいのギリギリのところで運転していたので共感力は非常に高い。

 

あの運転手は怒っていたのではない。

人生の最も厳しい局面に意図せず直面し、ともかく必死だったのだ。「助けてくれ!」と咆哮していたのだ。

彼は間に合っただろうか。だいじょうぶ。街中よりもきっと山の方がなんとかなりやすい。

 

木ノ戸昌幸

| ひとりごと | 15:39 | comments(0) | -
人の見た目にイチイチうるさい

 

髪の毛も鼻毛もヒゲも、突然伸びるわけはない。

が、「ヒゲ伸びたねー」と出会う人出会う人に突然言われはじめたのは今年に入ってからだったろうか。

その頃、いろいろと自分なりのわけがあって(大したわけじゃない)、確かに僕のアゴヒゲの長さは過去最長に達していた。

 

「なんで急に?」と逆に尋ねてみると、「だってマスクからはみ出してるもん」説が圧倒的に多い。

いやいや、それだって急にはみ出したわけではなく、ゆっくりゆっくりそこそこの時間をかけて黒の面積を増やしていったわけだ。

 

……いや、そうか。白いマスクに対して真逆の黒いヒゲ。

白に対する黒の割合が上回った(ように見えた)とき、(別に見世物じゃないが)見る人に強い違和感が生じたのかもしれない。

確かにマスクよりデカい面積を占めるヒゲって見たことない。

 

 

もうひとつ考えたのは、イエス・キリスト基準。

 

私たち日本人は、少なくとも僕たちの世代は、歴史の教科書などで<長い髭の人=イエス・キリスト>というイメージを強烈に植え付けられている。

ほとんど無意識に刷り込まれたイエス・キリスト基準に誰かのヒゲが達したとき、「ヒゲ伸びたねー」が ―やはりほとんど無意識に― 発動するんじゃないだろうか。それは「あれ? そのヒゲ、キリストより長くね?  さすがに神こえたらやばくね?」という遠回しの警告なのかもしれない。ま、さすがにそこまで長くはなかったんだけど。

 

 

しかしまあ、ともかく人の見た目にイチイチうるさい国だ(ちなみにほかの国のことは知らない)。

 

僕は目がものすごく過敏で、その昔光がまぶしくってまぶしくって気が狂いそうになったことがあり、色のついたメガネをかけはじめた。普通に目を開けることに苦痛を感じるんだから当時は本当につらかった。

が、ものすごく目を楽にしてくれるカラーレンズのメガネをかける人は少ない。

自然に生えてくるものだというのにヒゲを伸ばす人も圧倒的に少ない。

 

数が少ないから、イチイチどうでもいい<人の見た目>にとやかく言う人が多いのだろうか。

だとしたらそれは、マイノリティがマジョリティを冷ややかに見る目線とほとんど一緒だと思う。

たとえば日々、何らかの障害がある人と関わる仕事をしているような人たちでさえ、まあ<少数派の見た目>に敏感で口うるさいこと。

 

ほっとけ、である。


いや、まずはその差別意識に是非とも気づくべきだ。


その上でほっとけ。

 

最近僕の周りでは少しずつ、少しずつカラーレンズのメガネをかける人が増えてきた。

密かに、大いに喜んでいる。

人の目なんか気にせず、できればしんどいことはやめたほうがいい。

 

木ノ戸昌幸

| ひとりごと | 16:05 | comments(0) | -
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