Swingy days Enjoy! Open!! Swing!!!

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日本昔ばなしの破壊

 

最近、華やかな第8教室に、華やいだ声が響く。Gさんである。

 

「ウサギとカメ、どっちが勝ったか知っとる〜?」

 

 

はいはい、例の「ウサギとカメ」の話な。例の説教臭いヤツな。しかしあまりにも唐突である。唐突であるが、皆この唐突さにはもう馴れている。ミサさんが即座に「カメ〜!」と答える。するとGさん、こう応じる。

 

 

「よー知っとったなー! そや! カメが“負けた”んや! 」

 

 

…ざわつく第8教室。…おいおい、このジ××、なに言っちゃってんの? …勝ち負け真逆になっちゃってるし、カメは勝ったはずでっせ? …どこでどうねじ曲がったらそんな風になっちゃうの?

 

 

「なんで負けたんか知っとる〜?」

 

 

…やっぱそっちでいくんかい。しゃあない。なんかよう分からへんけど、皆なんかよう分からへん状況にもすっかり馴れている。ミサさんが親切に「寝てたから?」と答える。するとGさん、こう応じる。

 

 

「ちがう! 竜宮城いきよったからや!」

 

 

 

…再びざわつく第8教室。…おいおい、このモウ××ジ×イ、マジでヤベーよ。…「ウサギとカメ」がこの超短時間で「浦島太郎」に丸々代わってもうてるやん。…もうどう答えたらええのやら。するとGさん、ざわつきをよそにこう歌い出す。

 

 

「もしもしカメよ〜♪ カメさんよ〜♪ 世界のうちにおまえほど〜♪

歩みののろいものはない〜♪ どうしてそんなにのろいのか〜♪」

 

 

だーーー! だーーー! だーーー! また「ウサギとカメ」に戻っとる!!! 

混乱に包まれる第8教室! 間髪入れずにハイ! Gさん!

 

 

 

 

「ほれ見てみい!!!」

 

 

 

ど! こ!! を!!! 

な! に!! を!!!

 

木ノ戸

| 知らんのぉ!? | 17:27 | comments(0) | trackbacks(0)
【クソ真面目エッセイ-13】妹

 

東京の吉祥寺で、障害者施設で作られる雑貨ばかりを専門に日本全国から集めて販売する「マジェルカ」というショップを営んで今年で6年になろうとしています。その活動の中で感じる様々を、不定期ですが普段からブログとしても書きつらねているので正直ネタ切れ気味で、今回SWINGさんからこのコラムのお話を頂いてから、今さら何を書こうかとても迷ってしまいました。聞けばテーマはなんでもOKといの事なので、それなら私的に過ぎて自分のブログではあまり書かない、というか書きにくい事でも書いてみようかなと。

 

障害者の作る商品を販売しているというといかにも人が良さげで意識の高い人物を想像されてしまうようで、それが実際に会ってみると正反対の下衆っぷりにがっかりされてしまう事も多い私なのですが、事実この商いを始めるにあたっての動機も、障害者福祉の抱える課題を解決したいぜ! エイエイオー! といった火傷しそうな熱い思いからではありません。今でこそあちこちで目にする機会が増えたけれど、当時はまだほとんど誰にも知られていないお宝を発見したという事に強く興奮をおぼえてマジェルカを始めました。とはいえ、さすがにそれだけではなく、自分の妹に障害があるという事もこの障害者の世界に関心を持つ理由の一つとしてあったと考えています。ただ、だから何故? と問われるとはっきりとはいえないのだけれどやっぱり影響はあったのだと思う。妹が障害者手帳を取得したのは大人になってからで、障害があるのか無いのか判断が微妙な、いわゆるボーダーといわれるタイプでした。そんな妹と家族の中では私がおそらく一番身近な立場で暮らしていたと思います。昔は「知恵遅れ」なんて言葉もあって、親から「彼女は知恵遅れだからしょうがない」なんて言葉を事あるごとに聞きながら私は育ってきました。「だからあなたが助けてあげてね」とも。

 

靴の左右を履き違えるなんていうのはざらで、集団登校の時には周りの子供たちにからかわれながら一緒にいる自分がよく履き替えさせたりしていました。特殊学級ではなく通常学級に通っていた事もあるのでしょう、学校ではいつもいじめられたりからかわれたりしていて、時には私が妹のクラスに仕返しに行くような事も。そんな私もだんだん成長するにつれ、いつも周りに笑われる彼女の事が恥ずかしい存在に感じられてきて、履き違えた靴をイライラしながら乱暴に直したり、いじめられていても見ないふりをするようにしたり、無邪気につないできた手を振り払ったりするように。今思えば彼女に対してというより「俺はコイツとは違うんだ!」という周りへのアピールだったのかもしれません。同時に家の中でも色んな事ができない、なんとかさせようと教えても理解ができない彼女に対して腹を立てる事も多くなり、時にはひどい言葉を投げつける事も。 そんな時の彼女はいつも悲しそうな情けなさそうな複雑な表情をしていたものです。本人にそれとはっきり聞いた事はないし、きっと自分でそうと理解をしているわけではないと思うのですが、そんな悲しかったり情けなかったりする気持ちというのは相手の私たちに対してではなく、できない自分に対して持ってしまうのだろうなと。

 

そんな表情と同時にうす笑いを浮かべる事もよくありました。それはきっとそれ以上目の前の相手を怒らせないようにしていたのでしょう。自分が何故怒られるかもよく分からないままに、どうしたら怒りを納める事ができるのかが分からないままに身につけたのでしょうか。私にとってそんな時はいつも後味悪く、思えば私自身も彼女のそんな感情を本当は分かっていたのだと思います。

 

罪深いと思うのです。元々持ち前の無邪気さで繋いできた手を振り払い続けるうちに、手を差し出す事をやめ、相手の目をうかがう事ばかりさせるようにしてしまった。何が罪深いかって、一体何が悪いのか自分でもよく分かっていない、それが分かれば納得もできるだろうけれど、それどころかなぜ怒られるのか理解さえよくできないのにただ相手が怒っているからと卑屈にふるまわせるなんて。相手のその怒りがいつも正しいとは限らないのに。

 

いつからかその罪を少しずつ返していくようにしてはいるつもりですが、まだまだ先は長いようです。彼女は別にそれを望んでいるわけではない、というかこんな事自体別に気に留めてはいないかもしれないけれど(笑)

(フリーペーパー「Swinging Vol.22」より転載) 

 

文:藤本光浩(ふじもと・みつひろ)

2011年に日本全国の障害者施設で作られる雑貨のセレクトショップ「マジェルカ」を立ち上げ、現在は東京の吉祥寺で運営し、売り手の立場から福祉事業所の現場とお客様をつなげる役割を実践。

http://www.majerca.com/

 

※ フリーペーパー「Swinging」は、スウィング賛助会員の皆さまからの会費を原資に制作・発行を行っております。→
※ 全国津々浦々「お!それウチに合うよ!置くよ!」という店舗さま等いらっしゃいましたら、スウィングまでご連絡ください!(10部〜20部程度)
※ 全国津々浦々「お!あの店に置いたらええんちゃうん?」的な情報がございましたら、スウィングまでご連絡ください! → Tel:075-712-7930 → Mail:swing.npo@gaia.eonet.ne.jp(木ノ戸)
※ 現在の配架先については(情報が古いですが)コチラをご参照ください。→
※ 次号「Swinging Vol.23」は2017年12月1日発行の予定です!

| フリーペーパー「Swinging」掲載! | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0)
京都カラダ直角化計画「碁盤の目より愛をこめて♡」@清水寺

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…なんだ、QとXLのこのザマは。

 

Qはポカンと口を開けて突っ立ち、XLなどは疲れ果ててプイッ! っと後ろを向いてしまっている(心なしかサイズもちっちゃくなってないか?)。

確かに直角をキープし続けるのはキツイ。キツイよ? しかしその程度の体力で我々が推進する京都カラダ直角化計画「碁盤の目より愛をこめて♡」(=まるで碁盤の目のように直角な感じで縦と横の通りが整然と並んでいる京の街に敬意を表し、京都市民のカラダを直角化しようというもの)が上手くゆくとでも思っているのか。しかしかく言う僕もまだまだ甘いな…。両腕はなんとか直角をキープしているが、腰の角度は言うまでもなく甘々だし、右へ向けた首も、開いた­足先が作る角度も直角とは言い難い。まあ、簡単にできてしまうことなら逆にはじめからやっていないだろう。「ローマの道は一日にして成らず」である。

 

まだまだ全然なっちゃいない我々ではあるが京都カラダ直角化計画のサブ的に推進している京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」はまあまあ上手く事が運んでいる。本意ではないが、今回はこのサブ活動に焦点を当て、その模様をレポートすることにする。

 

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プイッ! と後ろを向いていたXLが今度は大あくびをしているではないか。頼むからマジメにやれ、マジメに。気合いを入れるために自慢のロン毛をバッサリいった心意気は一体どこへ行った? で、我々が去る9月27日(水)にどこへ行ったか? というと、世界的観光都市・京都でも最も人気が高いと言われる「清水寺」である。最近、この活動は点々と観光地へ­足を向けるようになっており、前回の「銀閣寺」でまあまあの手応えを得た後、まずはもっともっと王道を行ってみよう! という方針を(一応、今のところ)持つことにしたのである。

 

…お気づきの通り、我々はバリバリ半袖を着ている。ジャストこのテキストを書いている今(11月16日どす)はかなり寒い(今日の京都の最低気温は6度)が、9月の末頃はまだまだ暑かったんやなあ。早い早い。ほんまに早い。

 

ところで月日が経つことのあっちゅー間さを素晴らしい歌詞で表した「襟裳岬」(詞:岡本おさみ/曲:吉田拓郎)という森進一の歌がある。

 

北の街ではもう 悲しみを暖炉で

燃やしはじめてるらしい

わけのわからないことで

悩んでいるうち 老いぼれてしまうから

 

ん〜沁みる…。関係ないがふいに思い出したのでここに紹介した。「T字路s」のカバーがめっちゃカッコええです。皆さまもぜひ。

 

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さて、京都人力交通案内は観光地にただ行けばいいってもんではなく、ポジション取りがとても難しい。サッカーにしろ、野球にしろ、飲み会にしろ、チンポジにしろ、ポジション取りというのはいつだって難しい。この日も清水寺にあんまり近いと人がヤバすぎるだろうし、バス停からも遠ざかってしまうから、まずは東大路通りと清水寺を結ぶ、「松原通り(清水道)」の中間点あたりに陣を構えることにした。ちなみに清水寺へと向かう道はこの「松原通り(清水道)」と「五条坂」と2つあり、「松原通り(清水道)」は人通りも車通りも少なく安全である(が、お店は少ない)。

 

人力車も行き交い、また着物姿の人も多く、本当に「京都っぽい」ところである。そして我々はまるでヒッチハイカーのように見える。ポップとかもっと工夫せなあかんな…。

 

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お! 最初の迷い人、到来。

この方には京都市バスではなく、京阪「清水五条駅」までの行き方を教えて欲しいと言われた。ちなみに「清水五条駅」とは言うものの、清水寺からは結構な距離があるのでご注意を。

 

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人力車から眺められる人力交通案内・XL氏。なかなかシュールな光景である。

 

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人通りが少なく、ニーズもあまり無かったので、ポジションを移すことにする。しばらく様子を見て「ここは違う!」と判断したら、あんまり長居しないで柔軟に動くことも、この活動における重要なポイントである。

 

移動し、やって来たのは松原通り(清水道)と五条坂が合流する三叉路。ここは五条坂を上ってくるタクシーがガンガン走りまくっており、まあまあ危ない。

 

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そしてここから清水寺の方を眺めてみたらばこの通り! 平日、しかも雨が今にも降り出さんとする天候にも関わらず、この人だかりである。やっぱりそんな人気あるのね、清水寺。京都に「住んでいる」と忘れがちになるが、改めて観光都市・京都の力を実感する。しかしこの人波に入り込んでしまっては仕事にならぬし、我々は一体どこに位置すべきか? 

 

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…で、またヒッチハイカー感満載になってしまった。

これではいかぬ、これではいかぬぞ。

 

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再び即、移動。観光客は京都市バスで移動することが多いし、市バスが出るのはバス停だ。そして我々がやっているのは市バスの乗り継ぎ案内だ。バカバカしいくらい当たり前の原点に立ち返り、五条坂を下って東大路通りまで戻り、「五条坂」もしくは「清水道」バス停に行こうということになった。

 

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いやん! やっぱりこっちが正解だったのねん!

結局「清水道」バス停に向かうことにしたのだが、その道中でも結構声をかけられる。

 

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「清水道」バス停に到着。もう(しんどいし)しばらくは動かへんで〜。

…と、ここでしばらく迷い人を待つうち、ブツブツと何かを言いはじめるQ氏に気づく。

 

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「清水道〜清水道〜 次は〜五条坂に停車します」

 

とかなんとか。つまり今いるバス停の名前や次のバス停、次に来るバスなどを勝手にアナウンスしはじめたのだ。運転手風のビジュアルに運転手風のアナウンスが加わるというこの演出効果は抜群で、バス停に訪れる人の多くに「この人はなんか知らんけど京都市バスの関係の、なんか知らんけど親切な人だ」という錯覚を生むことになった(ように思う)。

 

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このオフィシャル感溢れる演出に引き寄せられ、気軽にQ氏に案内を求める人が増え、Q氏も(特に若い女性の場合)張り切って案内するという好循環が生まれはじめる。我々の活動はバス停と相性が良い! だって京都市バスの案内をしてるんだから! というシンプルな気づきを得るとともに、もっと早い段階で気づいても良かったのに! という軽い自責の念も脳内をグルグルした。

 

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好循環は更なる好循環を呼び、XL氏にも迷い人が近づきはじめる。ただ、この方の場合、「鼻を押すと案内してくれる」システムと勘違いをしたようだ。押すのはバスに乗ってから、降車するバス停の前のタイミングで降車ボタンを…でよろしくお願いします。

 

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また、人力交通案内は遊びではない。迷い人は行きたい場所に辿り着くために真剣だし、我々も間違った情報を提供するわけにはいかない。まるで戦場のような緊迫感溢れる上の写真は人力交通案内の「マジさ」を捉えた秀逸な1枚と言えよう。ちなみに今回の全ての写真は、同行した美馬くんによる撮影である。美馬くん、こんなところで突然なんだけど、たくさんのいい写真と多大なる協力をいつもありがとう。

 

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今回改めて実感したことは、やはり京都観光に来る多くの方々が、便利だけれどややこしいったらありゃしない京都市バスにちょっと困っている(戸惑っている?)という事実であり、実は間違ったバスに乗っている人も想像以上に多いのではないか? ということも思った。例えば「金閣寺」に行くつもりが「銀閣寺」に着いちゃった! みたいなハプニングは、結果として旅の思い出みたいなものになるのかもしれないが、ああ、京都には市バスのことを何でも知ってるヘンタイがいたなあ…という新たなタイプの思い出を、これからも多くの方々に届けられたらと思う。

 

次回、京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」は、11月28日(火)、「金閣寺」に出没する予定である。

 

木ノ戸

| 【OYSS!】京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0)
第108回ゴミコロリ

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秋晴れです。

 

秋雨前線の停滞と超大型台風接近により連日の雨。

雨天延期も予想された10月のゴミコロリですが、見事に晴れてくれました!

 

そうそう、そういえば「天高く馬肥ゆる秋」という言葉がありますよね。

 

空は澄み渡って晴れ、

馬が食欲を増し、肥えてたくましくなる秋。

秋の好時節をいう言葉です。

 

みなさん、ではなぜ秋の空は高く見えるのか知っていますか?

 

秋の天気は広い範囲で晴れをもたらす移動性高気圧と雨を降らせる温帯低気圧が交互に通過します。 この雨を降らせる温帯低気圧の温暖前線はイワシ雲やウロコ雲を発生させます。 夏に代表される入道雲や綿雲は空の低いところに位置していますが、秋の空によく見られるイワシ雲やウロコ雲は巻積雲とよばれ、空の高いところに位置します。視線の位置が高くなることに加え、雲の下に空が見える割合も大きいので、高く感じられるという訳です。

 

………

 

はい、すみません。

というわけで「第108回ゴミコロリ」、去る10月18日(水)に実施いたしました!

 

上賀茂グループを2グループに分かれ実施しております。

今回はスウィングが毎年2回発行しているフリーペーパー「Swinging」の撮影のため、いつもお世話になっているカメラマンの成田さんに同行していただきました。

 

では、北-2エリアの様子から見ていただきます!

 

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きのこです。

 

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きのとです。

 

いや、間違えました。

ブルーです。

 

今回もやっぱり、みんな大好き、うたちゃん家で何か企んでいます。

というか、その格好で他人の敷地に無断で入ったらふつうOUTですよ…

 

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こら完全にOUTです…

 

証拠はこのBLOGです。うたちゃん、今すぐ警察に!

 

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何?

靴イエロー履いてるから警察に追われても大丈夫って?

知らんわっ! そんなん…

っていうか、となりのブルーややこしいしっ!!

ブルーなんか、イエローなんかどっちやねん!

 

また、ほんで鮮やかなイエローやなぁ、ウクライナから来はったんですか?

 

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マジックハンドとカラーコーデしちゃって、ブルライナさんですか?

 

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いつもの公園。

撮影用に人多めです。

たくさんコロってってや〜。

 

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………

 

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人とブルーが倒れてる…事件か?

それとも冒頭のきのこ食ってやられたか?

 

出そうか、あの人? 西川さんとこの次男坊さん、呼ぼうか?

 

 

「ジッチャンの名にかけて、複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、さまざまな謎や疑問を相方のワトソンと徹底的に究明する謎解き冒険バラエティー」のあの男です。

 

名探偵ジナンがこの謎、解明します。

 

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はい、「Swinging」撮影用です。

 

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撮影あるからって、ちょっとアピールし過ぎちゃう? XLさんとゴミライナさん。

吸殻1本相手に2人がかりって…

 

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今度は3人がかり…

 

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ブルーも負けじと、畑のゴミに果敢に挑みます。

畑に入ってないよね? 空中はセーフやけど。

 

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………

 

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手が…

 

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かなえさんも足が…

 

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それにしてもみんな、本当に張り切ります。

 

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張り切り過ぎてちょっと休憩。

カメラ近い…

 

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めっちゃキメポーズですが、持ってるゴミは普通です…

 

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XLさんがオモシロい画を期待してますが、ブルー普通にコロっちゃってます。

カメラを意識し過ぎてなのか、疲れてなのか、いまいち乗り切れない様子。

 

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もはやゴミコロ見物。

なんか新しい秘技とか出してくれないかな〜。

 

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はい、注目はマジックハンドを使いこなすゆうとくんではありません。

ステテコ履いたクマでもありません。

わかるかな? ブルーが渾身の秘技を披露しているのです。

 

「秘技! 分身取り!!」

 

さすがに無理があるか…

 

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一生懸命コロってるブルーの背後で、選挙が気になるたいとくん。

たいとくんは一体何党を支持しているのでしょう?

ちなみに僕はブルーを支持しています。いつもBLOGに協力してくれて「ありが党」。

 

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畑の作物もすっかり冬野菜に。

白菜に、ねぎに。

ぼちぼち鍋が食べたくなってきますよね。

 

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鍋といえばやっぱりお酒。

XLさん、缶ビールを狙ってます。

 

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こんなところにお鍋の相棒「鬼ころし」。

 

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こちらはどんな細かなゴミも見逃さない「鬼コロリ」のちなさん。

 

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ん???

 

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そういうことね。

まだまだ、そこそこの人気はキープしております。

 

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ほら。

 

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ね?

ただ鉄扉の向こう側よりこっち側の人数の方が明らかに多いですが。

 

最後まで大人数でにぎやかにコロった北-2エリアとは裏腹に北-1エリアは少人数で静かにコロリました。

続きまして、北-1エリアの様子をチョロっとご覧ください。

 

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出発。

写真左奥でお見送りしてくれてるのは今回不参加のはるかくん。

はい、いってきま〜す。

 

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それにしても寂しい。北-2エリアと大違い。

 

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人がいなけりゃ、協力してコロリます。

nacoさんとひーちゃん、いいペアです。

 

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息が合ってますね、たけしさんとひーちゃん。

 

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9匹のパンダが車のフロント越しに応援してくれてますよ、たけしさん。
頑張りましょう!

 

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ほら、わんちゃんとたぬきさんも応援してるよ。

だから頑張りましょうよ、ひーちゃん!

 

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ところで、ひーちゃんさっきから何をコロろうとしてるの?

もう1分ぐらい格闘してるけど。

 

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それ道路に埋め込まれてるから、一生コロれんよ…

 

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怪しい爆弾のようなもの発見!

犯人はどこだ?

 

ま、まさか…

 

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………

 

ひーちゃん!??

 

この後、ひーちゃんに事情聴取したところ、

「わたしとちゃうよ…」と蚊の鳴くような声でささやきました。

はい、釈放!!

 

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はいはい、というわけでこんなに今回もコロれました!

上出来です。

 

 

まだまだいきます!

支部の皆さんからの報告です!!

 

【京都/西山ケミックスさんからのゴミコロレポート】

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本日は川沿いのゴミ拾いを行いました。 ハロウィンということでかばきちには仮装してもらいました!!!

 

 

【京都/シルキー西陣さんからのゴミコロレポート】

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束の間の晴れの日に、シルキーでは2回目のゴミコロリを実施しました。

今日の参加は美女3人組でした。

住宅街のゴミ、やはりタバコが一番多い、、、(-.-)ノ⌒-~と思いながら歩いていると、

我々の手にはとても負えない冬布団。

いやぁ、見て見ぬふりした訳じゃないんだけど。。

結果、1時間ほどで手提げの袋3つがパンパンになりました。

 

 

みなさん、お疲れさまでした!!

 

急に朝晩の冷え込みが厳しくなり、スウィングでは風邪が大流行しております。

でもそんな風邪なんかより、もっと、ずっと廃れず流行してるものが、そう! 「ゴミコロリ」です。

紅葉美しいこの季節、あなたも流行に乗っかってみませんか?

 

「ゴミコロリ」に賛同し、ともに「ゴミコロリ」を行ってくれる団体さん(ゴミコロ支部)随時募集中!→

(「第109回」は今日やったので…)次回「第110回ゴミコロリ」は、12月20日(水)の開催です! 

参加希望の方は担当・西川までご連絡ください! → MAIL:nishikawa@swing-npo.com

 

町に溢るるゴミある限り、我らの戦い終わりなし。

拾うはゴミでも心は錦、見た目は青でも心は真っ赤。

嗚呼、さすらいのゴミ野郎、 嗚呼、我らゴミコロレンジャー!

 

(西川)

| 【OYSS!】清掃活動「ゴミコロリ」 | 16:48 | comments(0) | trackbacks(0)
【特集】精神科医×芸大教授×ドシロウト 〜「身体性」と「目に見えないモノ」〜

 

「心」ばかりを大事にしちゃって、「身体(カラダ)」をないがしろにし過ぎてるんじゃないか? 

「目に見えるモノ」ばかりを信じちゃって、「目に見えないモノ」をおろそかにし過ぎてるんじゃないか? 

「物」はたくさんあっても、どうにもこうにも息苦しいこの世の中。

「心」や「目に見えるモノ」ばかりに振り回されるのはもうイヤイヤ! 

「身体」ももっと大事にしたいの! 「目に見えないモノ」ももっと大事にしたいの!!

 

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蓑島豪智(みのしま・たけとも)

いわくら病院院長、WRAPファシリテーター。1968年生。1994年京都大学卒業、1998年京都大学大学院退学。おもしろそうだなと大卒後すぐに飛び込んだ脳科学研究の道。うまくいかず元々目指していた医者になると決め、悩んだ末選んだのが精神科。理詰めで進路を考えたけど、最後は感覚的に決めた。脳という切り口から入った臨床の世界。今はそれも大切だけど、病院への入院中心から地域生活中心に改革を遂げたイタリアに触れて人間くさいことの大切さに目を開かれ、病気があっても当たり前に地域で暮らすこと、病気があって凝縮して滲み出てくるその人らしさに心打たれながら、まだまだ入院医療の占める割合の多い日本の精神科医療のあり方を何とかしたくて精神科病院の現場にいます。

 

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水野哲雄(みずの・てつお)

京都造形芸術大学名誉教授。1948年生。1972年京都工芸繊維大学大学院修了。ヴィジュアルコミュニケーションデザインからビデオアートを展開。1978年から京都芸術短期大学ビジュアルデザインコースの教員となり、映像コース、京都造形芸術大学情報デザイン学科、2003年〜2006年芸術基礎教育センターを経て、2007年に新設されたこども芸術学科で教鞭をとる。2014年に同校を退職後、名誉教授となる。芸術基礎、ベイシックデザインを専門とし、アートやデザインが社会課題を解決することを希望に活動している。「こども」と「アート」の視点で生き方を捉え返すアートと福祉の交差点、アトリエ「み塾」、生活ゴミの資源化を基にエコライフの愉しさを実践する場、「暮らし工房」を主宰し追求中。

 

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木ノ戸昌幸(きのと・まさゆき)

NPO法人スウィング理事長。1977年生。立命館大学文学部日本文学専攻卒。NPO、演劇、祇園のスナック、遺跡発掘等々の活動・職業を経て、「毎日笑えるよ」という友人の勧めで障害のある人に関わる仕事に就く。2006年、NPO法人スウィングを設立。人の「働き」を「人や社会に働きかけること」と定義し、芸術創作活動「オレたちひょうげん族」、清掃活動「ゴミコロリ」、京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」等々の活動をプロデュース、障害の有無や対価の有無をとっぱらった「NPO」(=市民団体)、「一市民」としての創造的な取り組みや発信を通して、社会をオモシロく変えてゆきたいと願ったり願わなかったり。黄色が好き。でも青も好き。ちなみにホントは赤も好き。

 

 

「縁」に導かれて♡

木ノ戸:昨年の年明けぐらいから僕自身、調子が悪いというよりも、すごく内面に深く潜りこんでいくような時期があったんです。それはまぁ、しんどかったですし病名が付くような状態だったかもしれないけど、自分としては病気ではなくって、自分にとって必要な作業をしていると感じてたんですね。で、最終的に得た答えみたいなものを「身体性」と「目に見えないモノ」っていう言葉で表現しはじめたんですよ。

水野:なるほど。分かる、分かる。

木ノ戸:「目に見えないモノ」のひとつとして「縁」というものも思ってるんですが、今回このテーマでゆこう! と決めたとたんに、ドンピシャのタイミングで水野先生の「身体性」に関するテキストが目に飛びこんできたんです。偶然と言っても必然と言ってもいいんですけど、内容にもものすごく共感しまくって、「縁」だなあと。

水野:ありがとうございます(笑)。

木ノ戸:蓑島先生からも同じようなタイミングである研修会の案内メールをいただいたんです。「うわ! 来た!」って思って。その研修会自体も素晴らしかったんですけど、もう「来た!」と思ったんですね。そんなにしょっちゅうメールを交わすほど仲良くはない。でも、お互いすごく好き合ってると僕は思ってるんですけど(笑)。で、先生はこの座談会の参加を迷われたみたいなんですけど、最終的には「何かのご縁だから」という言い方をしてくれたんです。

水野:「岩倉」[1] という地は聞きかじりですけど、非常に高貴な方がちょっとおかしくなって、で、お隠れになるというか、井戸かなんかの水を飲んで良くなったと。そういう謂れがやっぱりもともとなんですか?

蓑島:史実として、文書レベルで残っているものはあるみたいです。

木ノ戸:僕は中学校の教科書で「岩倉」を習いました。やっぱり日本の精神保健医療、発祥の地で間違いないんですかね?

蓑島:まぁ、いくつかあるんですけど、そのうちのひとつということですよね。

水野:蓑島先生は患者になったことはあるんですか?

蓑島:僕は医療機関にはかかりませんでしたけど、でも大学院生の時に一時「鬱」でした。

水野:みんなあるような気がするんですけど。僕は入院まではいかなかったんですけど、一応通院で薬を4年ほど飲まされましたね。あまり飲まなかったんですけどね、アルコールは飲んでましたけど(笑)。

全員:(笑)

 

[1]京都府京都市左京区南部に位置する地域。

 

肥大化する「視覚」

水野:「身体性」って身体をどう見るかによるよね。「心身」って言うじゃないですか、「心」と「身」。その「心身」というのを分けるんじゃなくて、どう繋がっているのか、どう関わり合っているのかというところに興味はありますね。

木ノ戸:昨年の11月に「アートミーツケア学会」[2] の札幌大会に参加させてもらったんです。そこで、ある講師のお坊さんと個人的に話す機会があったんですが、ものすごく興味深い話をささっとしてくれて。お経も元々は身体が先なんやと。身体から立ち上がったものを言葉として表したものであって、言葉が先じゃないんだという話で「あぁ、なるほどな」と思ったんですね。

水野:美術でもそう言うからね。絵を描く時にまず身体で描きやって。絵はテクニックで描けるもんじゃない。身体が何か感じたり思ったりしてるからキャンバスに投影できるんですよね。ある時、大学の山で木を一生懸命描いてる子がいて「木の根っ子のグ〜ッ! と立ち上がっている感じをどうしたら上手く描けるんですか?」って聞いてきたから「抱いてみ」って言ったの。素直な子やったから木に抱きついて、そしたら「何か分かるような気がしました、ありがとうございます」って。

木ノ戸:もっと五感ですよね。みんな同じぐらい大事なはずなのに、目からの情報にすごく今、囚われてるような気がします。情報の80%だか90%が視覚からって言いますけど、もともと目ってここまで大事だったのか? って疑問に思います。

水野:特にビジュアルの世界は道具がどんどん進化していって、どんどんメディアが発達していって、「こんなことができたらなあ」が身体を使わなくても何でもできちゃうようになった。すごく視覚が肥大化してイマジネーションの世界が簡単にリアルにできるようになって。頭でっかち、イメージでっかちになるね。そうなってくるとやっぱり身体は正直なもんで、疲れちゃうっていうかついてゆけなくなっちゃう。

木ノ戸:身体的に何も感じるものがないし、イマジネーションがイマジネーションじゃなくなりますよね。

水野:そう。何でもできちゃうと人間すぐ慣れちゃうからね。

木ノ戸:メガネを外すとぼやけますよね。視覚情報が鈍ってすごく楽なんです。スウィングの朝礼や終礼はいつも大体20人ぐらいでやってるんですけど、ある時、10人ぐらいやったんですよ。その楽さがすごかった。同じ空間にいる人数が少ないことのリラックス感をすごく感じたんです。いつもは喋らない人がすごくいい表情をして喋ったりとか。

水野:それと似たような経験、僕もあるんですよ。教師という立場にあったからやっぱり30人、50人を前に喋る。どうやったらいいんだろうと分からなくなって、そんな時にある人が「目の合う子に話しかけな」って。そうすると2人のその関係が広がるんだよね。たくさんいようが一対一の関係でいいと思えたからそれで救われた。蓑島先生はどうですか? 基本的に患者さんとは一対一という状況ですよね? 

蓑島:う〜ん。

木ノ戸:先生、言葉選ばないで下さいよ。ちゃんと原稿見せますんで。ダメなものは後でちゃんと消しますんで(笑)。先生がスウィングに来てくださった時、「やっぱり現場の人には敵わない」って言ってくださったんですね。覚えてはりますか?

蓑島:言いました?

全員:(笑)

木ノ戸:言ったやん!

水野:それはどういう意味やったんですかね?

木ノ戸:どういう意味やったんですか? 覚えてないでしょうけど。

全員:(笑)

蓑島:僕の中で「そもそも何で病気になるのか?」っていうところが引っかかっていて。最終的には病気と呼ばれるしかないものにたどり着いちゃうと思うんですけど、でもそこに至る過程は当たり前の悩みだったりとか苦しみだったりとか、そういう段階があるような気がしているんです。でも、医療という現場にたどり着かれるにあたっては、それこそ病気としか呼べないような何かを携えて来られることになるから、普通に症状が拾われて、それをもとに「病名はこうです、だから治療はこうです」みたいな流れになっていくと思うんですね。それはそれで必要だとは思うんですけど、ただそれで「病気を減らしたい」とか、「治したら終わり」とかではないような気がしていて。やっぱりその人の生活とか文脈に根差したものが、そういうやり方だと置き去りにされちゃう。そうなるとまた同じようなことが繰り返されるだろうし、そうじゃなくても、その人のことなのに何か医療の問題みたいになって、変なことが起こっているような気がしています。

木ノ戸:病気ってお医者さんが病気って言ったら病気になるじゃないですか? お医者さんが病気扱いしなければ病気じゃないんでしょうか?

蓑島:そこが本当に難しいなと思っています。やっぱり相対的なものだろうなと思っていて。ある一線越えちゃうとやっぱり病気としか言えないようなところもあるかな。

木ノ戸:でも、それを許容できる社会であれば、病気にはならないということですよね?

蓑島:そうです。最先端の薬や医療が使える国よりも素朴な国のほうが予後が良いという研究もありますね。それはそうだろうなと思います。単純に病気として切り取られて治すべき対象として扱われて「どの薬が当てはまるか」「薬がダメなら電気ショック」とか次々にいろいろな「治療法」というものが当てはめられていく世界と、「ちょっと変わってるけどそれもいいよね」と受け入れられる世界にいるというのとでは全然違いますよね。

 

[2]人間の生命やケアにおけるアートの役割を研究する場として、またアートの力を社会にいかしていくためのネットワークとして2006年に設立。

 

「心」はどこにあるのか?

木ノ戸:僕はスウィングをはじめて半年ぐらい経った時に急に発作に見舞われて、いわゆるパニック発作やったんですね。あれは発作が来るかも分からない…という予期不安、それが発作を起こすらしいんです。

水野:地震みたいなもんやな。

木ノ戸:で、恐らく5年ぐらい服薬もしたんですけど、ある時から積極的に発作を呼びこむようにしたんです。

蓑島:すごい。

木ノ戸:例えば車を運転しながら「来いっ! 来いっ!」って具体的に言ってたんですよ。歌とかも歌ったりして。

水野:どうなったん?

木ノ戸:そしたら来ないんですよ。発作を歓迎しよう! とシフトチェンジしたら起こらないんですよ、全然。

蓑島:そういうのはね、森田療法[3]の中で「恐怖突入」っていうものがあって、苦手な場面に対してどんどん身を置いていくっていう。あとは認知行動療法[4]によって苦手な場面に身をさらしながら、その状況に慣れていくみたいなところなんですけど。

水野:「プレッシャーを楽しむ」みたいなことかな。

木ノ戸:どうせ起こるものであれば、こちらから歓迎しよう! という開き直りですね(笑)。身体的に声を出して脳が生み出す不安へ反攻するという。僕はそういう経験もあって脳じゃなくって身体が先なんちゃうかなって思うんです。脳が大活躍しすぎ! って。

水野:どうですか、蓑島先生?

蓑島:今の精神医学はやっぱり心は脳の中にあるって仮説して、分かる範囲を突き詰め尽くそうとしているように見えるんですけどね。僕もそうできたらいいだろうなあと思ってたんです。もともと精神科やる前には高次脳の働きに単純に興味があって、脳科学をやってる大学院に入ってたんです。その中でいろいろなことが分かってくる状況を見ながら、そういうことの延長でいつか説明がつく時代がくるかもしれないなと思ってたんです。だけど実際に医者をはじめたら、そんな簡単なことではないなって思うようになったのは実感しますね。

水野:脳は単なるスイッチだと思うんですよ。感じた情報をフィルターにかけるわけでしょ、役に立つとか立たないとか。今、僕3歳児と付き合ってるんですけど、4月、5月は宇宙人ですよね。9月、10月になると一応人間っぽいコミュニケーションが成り立って、2月、3月になるとすっかり地球人って感じになる。植物でもそうだと思うんですよ。種飛ばして、そこに根付いて、根を張って、頭を出して。温度とか水とかそこの環境に順応して、対応できたものが育つんですけどね。子どもも同じでさ、実生の芽吹いてくる在り様が見えてくる。

蓑島:僕、悩んだりすると、とことん悩んで閉じこもって動かなくなるんですけど、悩みが底尽きると動きたくなるんですよね。若い時だったら走りはじめたりしてその中で何か言葉が戻ってくるというか。ついこないだで言うと経験したことのない物凄い痛みに襲われて本当につらくって病院に行ってみたけど何も見つからなくって。でもある時、自分が言い出した仕事がいくつかあって、それが一通り終わった瞬間にパッ! と悩まされていた痛みが消え去って「なんやストレスやったんか」みたいな。

木ノ戸:身体は先に気づいてるわけですよね。

蓑島:そうですね。

木ノ戸:その感覚が大事なんじゃないかなと思うんですけれども。でも脳が作った「気持ちらしきもの」が優先されて、痛みとか身体の声がなかなか大事にできない。

蓑島:ある方から「身体全体の細胞が喜ぶことを大切に生きていく」という話を聞いて、そうだなと思って。身体は知っているのに頭が働いていろいろ理屈つけて抑えられてしまっているんですよね。身体の細胞が喜ぶことに向かっていくとたくさん困難もあるけど、自分なりに努力してベストを尽くす。その積み重ねの中で次々に扉が開きはじめて必要な人が集まったりとかお金が集まったりして目標が形になっていく。そういうもんじゃないのかって話してくれて、本当にそうだなと思いました。

木ノ戸:いろんな邪魔なものを取っ払って本当に自分が進みたい方向に進んでいくということを重ねていけば、道は開けていくと思うんです。スウィングを作るにしても、何の裏付けもなければ計画性もほとんどなかったです(笑)。

水野:でも、それって創作のプロセスとよく似てるよ。最初から最終形態のイメージがあるわけじゃなくて、何となくぼや〜っとしたものはあるけどね。やって、いじってる過程でだんだん「これが作りたかったのか」と逆に素材などから教えられる。だから創作の過程というのは作業じゃないんですよね。設計図があってそれに従ってやるのではなく即興と一緒です。最後どうなるんだろう? こっちのほうが面白いかな? とかやりながら、設計図も書きながらみたいな。そうしていい作品ができた時は自分にすごく発見がある時。

蓑島:それって理詰めの研究でもそういうものなんだなと感じさせてもらっていて。実験する時もある程度「こんなこと試したらこんなことが起こるんじゃないか?」と想定してやるんですが、その通りのことが起こってもそれは大した研究じゃないんですよね。いい研究というのは想定したことから外れたことが出てきた時。出てきたことにちゃんと目を開いて何があるのかを見て気づけた時に大転換が起こって、これまで想定もしてなかった面白いことが出てくる。

木ノ戸:「こうなるに違いない」という確定的な仮定を持ってはじめたことって、その仮定に沿って動いていく気がするんです。実際に動いているのか、そう見えるだけなのか分からないですけど。

蓑島:何か降ってくる気がするんです。本当の意味で震えるようなことって降って来るような気がする。あまり自分の考えの範囲の中でやっていることって驚きも少ないし、喜びも少ない。思っていること、言いたいことがあるから投げかけてみるんだけど、その結果、想定外のことが起こって一時的に批判があっても、そこを乗り越えてやっていくと「化ける」というか。やっぱりそういう掛け合いの向こうに面白いことが転がっていると思う。

 

[3]精神医学者・森田正馬(もりた・まさたけ)によって創始された精神療法。対人恐怖や広場恐怖などの恐怖症、強迫神経症、不安神経症、心気症などが主たる治療の対象とされる。 [4]「認知」(現実の受け取り方やものの見方)を修正することで、気分や行動を変化させようという治療法。

 

話し言葉 vs. 書き言葉

木ノ戸:言葉が目に見えるものか、見えないものかっていうのもすごく難しい問題だと思うんです。話し言葉って耳から入ってくるけど、その点、書き言葉は目に見えて残ります。蓑島先生は患者さんと対面する時に話しながらカルテに書くわけですよね? 何か切り分けがあるんですか?

蓑島:僕は医学教育的には悪い書き方をしてると思うんですけど。聞いたまんまに書いていくんです。たぶんそれは僕の特性で、音で聴いたことを途中まで本当にできるだけそのままにカルテの中に収めていくんですね。でもそれは、その人の「声」を聴くステップのような気がしていて、聴こえてきたら突然やめてる自分がいるんです。向き合って入っていくまでの準備段階みたいな感じでいますね。

木ノ戸:カルテとして成立しないんじゃないですか? 途中までは書いてって(笑)。

蓑島:そうですね、途中からスタンスが変わっちゃってるので(笑)。ただ、そうやってその人の状況や今が語り出されて紙に紡ぎあげられていく中で、何となく「そうなのか」みたいなのが自分の中に芽生えてくると、そこでちょっとやり取りをはじめたりして。そんな感じかなと思います。

木ノ戸:話し言葉は耳から入ってくる分、自分の都合のいいように解釈したり、あるいは都合の悪いように解釈してしまう可能性がありますよね。

水野:その時にね、僕は「声」だと思うんですよ。言葉じゃなくてね。言葉というのは意味が含まれてくるでしょ。そうじゃなくて、ただ発語するというか。乳幼児の「声」はまだ言葉になってないけど、何かすごく分かる。

木ノ戸:政治家の発言が信じられないとか、そういうことですよね。

全員:(笑)

木ノ戸:いくらいいこと言っても、こいつは嘘ついてるっていうのがバレちゃう(笑)。

水野:そう、そう、そう。

木ノ戸:言葉以前に何かがあるという。

水野:思いなり、発する何かね。「聞いて!」ということなのかもしれませんけどね。

木ノ戸:書き言葉はもう揺るぎようがないじゃないですか、だって書かれてるし消えないものですから。それをどう解釈するかは、見た人がどうかってのはありますけど、話し言葉ほど自由じゃないですよね。

水野:手書きって大事ですよね。でも意外と書き文字もね、違うんですよね。字の形が委縮してるなとか、体裁ぶってるなとか、そういうこと気にせず気持ちがガーッ! と出てるなとか。

蓑島:僕、たぶん話し言葉なのか、書き言葉なのかがポイントじゃないような気がしていて。話し言葉であろうと書き言葉であろうと、行ったり来たりが必要ってことじゃないんですかね。そこがないと一方的になって、こちらの思いとかの文脈の中での理解になっちゃって。

木ノ戸:書くという行為はフィジカルな行為ですよね、そのフィジカルな行為に至るまでの間にワンクッションというか、言葉を選ぶと思うんです。ある程度整理して、どう伝えたらいいのかってことを考える。僕らのいる業界は特に…かも分からないですけど、言葉で話してるけど伝わってないことって本当に多いんですよ。伝えられる側も分かってないのに「うん、うん」って聞いちゃうんです。

水野:でもね、本当に思いがあって言わずにいられない時って、雄弁になるっていうか伝わるよ。ビヤ〜ン!って。

木ノ戸:それはもう、ちゃんと「声」になってますよね。

水野:「身体性」があるわけか。

木ノ戸:「身体性」のある言葉は人に訴える力があるし、そうじゃない言葉って響かないと思うんです。

蓑島:僕、声ちっちゃいってよく言われるんですけど、でも本当に言いたいことが溜まってきて言う時って、何か自分でも「声」が出てるなって感じるんです。

水野:僕なんか中学の頃、よくクラスで意見とか言うじゃないですか、ミーティングとか。あの時に何か「これ言わなくちゃ」って思うと、胸がドキドキして言えなくなるんですよね。手が上げられなくなるんですよ。「好きです」って言う時でも言えないでしょ、ドキドキして(笑)。

木ノ戸:その時に「好きですって言えない」って言えたらいいですよね(笑)。それが身体の「声」やと思うし。

全員:(笑)

水野:それ言えたら楽だね。そういう発想なかったな。

木ノ戸:例えば、慣用句にも身体がよく出てきますよね。「胸が痛む」とか「目から鱗」とか「肌が合う」とか。僕たちは何気なく理解して使ってるけど、こういう言葉って身体感覚を大事にしているからこそ生まれた言葉なんだと思うんです。

水野:そうですね。

木ノ戸:そして実際、「肌が合う」という身体的な快、不快を出発点にしているからこそ、言葉としての強度を持つんじゃないかと。「同じ匂いがする」とかも、ただの表現としてではなく、実際自分と同じ匂いを身体的に感じたんじゃないかと思うんです。

 

脳のアンバランスと「人」

木ノ戸:僕の中での「目に見えないモノ」の中には「自然」があります。最近やたらと「自然」に足が向きはじめたんですが、例えばさっきまでささくれ立っていた気持ちがちょっとドライブして「自然」に入っていくと、それがもう大転換したりしている。自分の脳がこしらえたものなんて大してあてにならないなあと思いますし、何かもっとこう、大きなものに生かされていることを実感します。「自然」というのは木であるとか川であるとかそれ自体は見えるけれど、そこから受け取るものは目に見えない。

水野:「現象」ですね、それはきっと。「自然」の表れというか。僕の漠然としたイメージでは自分の存在というものは意識している自我の領分とそれ以外の部分があって、その2つの潮の満ち引きのようなもの。自己を主張すればするほど自然的なものが後退していって、逆に自分を空っぽにしていくと「自然」が向こうからやってくる。キャッチボールというか、どちらかだけでは嫌なんだよね。その動き、ダイナミズムが面白いと感じる。

蓑島:さっきの脳の話でも思ったんですけど、木ノ戸さんが言っている脳って高次脳機能だと思うんですよ。ものすごく進んだところの脳の話。

木ノ戸:そうかもしれないです。

蓑島:脳って本来「本能」の部分も扱っているわけで、今はそこの中でアンバランスが起こっていて、脳の中で活躍しているところが限局しているんですね、このあたり(おでこのあたり)に。

木ノ戸:それは臨床の場で実感されますか? いわゆる精神疾患の人って増えてるんですか?

蓑島:話の最初の方に出ましたけど「岩倉」って精神医療領域のレッテルがあって、誰でもかれでも気軽に受診していただけるっていう環境にはなっていないと思います。町のクリニックとはちょっと違うんですね。でもそういう限られたフィルターを通してでも入院されてくる方は変わってきてるんですよね。前だったらはっきりと「鬱病」とか「統合失調症」というような人が多かったはずなんだけど、同じ病名が付いていてもその色合いは変わってきていると思います。そういう意味で言うと裾野は広がってきていると思います。

木ノ戸:なぜ裾野が広がってきたんでしょうか? ある人が「今の時代、精神科を受診すれば誰でも必ず病名がつく」って言ってたんですね。ちょっと「不安なんです」「悩みがあるんです」とか言えばすぐ病名がつくと。そういう「ハードルの甘さ」なのか、そもそも社会の許容値が狭まったのか、どんな感じがしていますか?

蓑島:下世話な話で申し訳ないですけど、今の病院のシステムだと病名がつかないと医療機関で料金が発生しないんです。めちゃめちゃ効率的にやると「睡眠について問題があるか?」「気分について問題があるか?」ポンポン聞いていって、それに当てはまる病名を付けられないわけではないんです。

木ノ戸:ただ問題や課題を抽出するのは楽ですよね。そういうものばかり取り出す風潮って何でしょうか?

蓑島:目の前にいるのは「人」なのにも関わらず、どこか「物」扱いというか。人と人として向き合うとなるとエネルギーもいるし、出されたものに対して反応する自分も出てくるし、その掛け合いの中でややこしいことになる場合もあるわけです。でも、そういうことの向こうに表れてくるのが「人」であるのに、「なまもの」としての扱いが削がれていって「物」みたいな扱いになってしまうというか。それで済んでいくこともあるから、そういうアプローチも否定ばかりはできないですが、いつまでも大変さが残っていく時に、最初のそういうところでの掛け違いが原因で長引いていることもあるかなと思います。

 

再び「縁」について♡

木ノ戸:蓑島先生は今回の座談会を「縁」という風に言ってくださったんですけど、何かそういうものに対するお考えってあるんですか?

蓑島:僕は繋がりを求めつつ外に出られない人間だったんです。固い話なんですが精神科で仕事をするようになって、これからどうしたらいいのかと悩んでいる時に、本当に偶然だったんですが、イタリアの精神医療を見学するツアーがあったんで参加したんです。イタリアには単科の精神病院がない[5]んです。僕は精神医療の見学だけのつもりが、たまたま案内してくれた人が人類学者で、ユダヤの収容所跡にも連れて行かれて。見学が終わった後にぼそっと「これができたことと精神病院ができたことは同じだよね」って疑問を落とされたんです。で、そうやって頭を壊されていく中で、その時に一緒に行った知らなかった人たちと、食事を囲んで美味しいワインを飲んでゲラゲラ笑いながら話をしたんです。そのうち何となく知り合えていくようになって、日本に帰ってからも「こんな面白いこと今度あるんだけど来てみない?」とか誘っていただいたりして。これまでの閉じた世界と変わっていくんですよ。多分この場に来ているのもその延長じゃないかと思うんです。怖いけど自分を出してみた時に、そこに招かれるというか、そういうのは起こるべくして起こるんだと感じます。

 

[5]1970年代に脱精神科病院を掲げて政策転換、1998年には全ての精神科病院が機能を停止し、そのマンパワーとお金を地域支援に注ぎ込み、患者さんの地域での生活を可能にした。

 

2017年5月8日(月)夜の京都にて…

(フリーペーパー「Swinging Vol.22/特集:精神科医×芸大教授×ドシロウト 〜「身体性」と「目に見えないモノ」〜」より転載)

 

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※ 次号「Swinging Vol.23」は2017年12月1日発行の予定です!

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