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親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO 東京展を振り返る

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ああ、もう2月も中旬ではないか。ということは「親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO」(以下、親キャバ)東京展の開催からもう2ヶ月も経っちゃったということではないか。

もう2ヶ月なのか、まだ2ヶ月なのか。よく分からないが、これ以上ぼんやり先延ばしにし続けていると、来る鳥取展に追いつかれてしまうこと、間違いない。

さあ、あの熱い5日間(2018年12月14日→ 12月18日)を振り返ってみようじゃないか。 

 

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●難しすぎて笑ってしまう

親キャバ東京展の会場は「武蔵野市立吉祥寺美術館 市民ギャラリー」。そこはザッツ! 市民ギャラリー! という感じの場所で、照明は蛍光灯だけだし、壁に釘を打つこともできなければ粘着性のある物を貼ることもできない。悪口に聞こえなければいいのだが、こんなルールだらけの無味乾燥な空間で親キャバできたら超オモシロい!!! と大興奮したのははじめて下見に行った昨年3月のことだ。

が、大興奮を裏付けるように、想像以上に展示プランを練るのは難しく、デカい会場の左半分に「親の年金をつかってキャバクラ」巨大習字のみを展示し、さらに展示の一部を持ち出し、もともとグッズ販売をお願いしていた「マジェルカ」を第2会場にできないか? というアイデアを皆でひねり出したときの気分は、(ただの想像だが)まるで富士山の頂上から初の日の出を眺めたような爽快さだった。

 

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「下のギャラリー貸して? そして会期の都合上、店休日も営業して欲しいの!」という、ゴリ押しのアイデアをマジェルカオーナー藤本氏はふたつ返事で(たぶん)快諾してくださり、しかも会場設営からの数日間、僕を自宅に泊めてくれた。 藤本さんとはお互いマルイチ(僕はバツイチとは言わない)になってから一層仲が良くなった気がするよね! そんなんで仲間意識持つのもいいよね!

 

 

さて、会場を2つにすることで最高の初日の出を拝めたのはいいが、当然その分手間もかかる。2つの会場を繋ぐための案内図のようなもの(2種類)と、いくつかのルールをかいくぐり設営作業をスムーズに実行するための精緻な設計図を作成してくれたのは坂田佐武郎氏だ。主に金銭面の都合上、坂田氏を東京会場に呼ぶことはできなかったが、この春開催する鳥取展のトークイベント(4月20日開催、詳細は下記)には登場してもらいます! みんな、きっと来てね! きっときっとだよ! 約束だよ!

 

 

結果、第1会場(吉祥寺美術館)には「CHAPTER.1/軍手」、「CHAPTER.2/Tシャツ」、「CHAPTER.3/G」、「CHAPTER.5/ことば」を展示し、第2会場(マジェルカ)には「CHAPTER.4/紙」を展示することにしたのだが、徒歩8分という「ギリ行く気になる絶妙な距離感」のおかげもあってか、ほとんどの来場者を両会場に誘うことができたような気がしている。繰り返すが「気がしている」。

 

 

●なんでこんなに??

2会場にまたがることとなり、また時間が厳密に決められていることもあり、会場設営にはそこそこの人数が必要だった(ん〜っと、最低10人くらい?)。が、全然問題なかった。信じられないくらい、めっちゃくっちゃ大勢の人が集まってくれたのだ。

東京展のコーディネーターをお願いした愛するcon*tioのおふたり、メジロックの皆さん、枝松和子さん、安部由里子さん、おざわありすさん、世古口敦嗣さんにこの場を借りて改めて感謝したい。

 

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……っておい! スウィングの諸君! 分かっているのか! 特に(サボり癖男)四至本君とか、(いつだって自分が被害者)Qさんとか! いや、これは「展覧会あるある」なのだが、展覧会を、つまり外向きのプロジェクトを担当する僕やかめちゃんは、「……マジか。……こんなにもたくさんの人にスウィングは愛されているのか」という心震える事実に触れる機会が(当たり前に)多い。が、この感じをなかなか肝心のスウィング内で共有しきることは難しく、「んもう! 鈍いね、アンタたちは!! キー!!!」となることもしばしばなのである。スウィングの、地道な日々があるからこそ、展覧会などの発信が成り立つわけだから、いや、むしろ鈍くてもOK! なスウィングだからこそ愛されているのかもしれないから、この「キー!!!」はお角違いなのかもしれないが、でも、とにかく、「キー!!!」ってなるくらいに(?)猛烈な感謝の念を、今改めて感じている。

 

 

そしてこの勢いで言ってしまおう。コツコツ展覧会への道筋を段取りしてくれたり、いろんな人とやり取りしてくれたり、二日酔いでなかなか会場に現れない僕をそっと放置してくれたり、いつもいつも「縁の下の力持ち」に徹してくれているかめちゃん。口に出して、言葉にして伝えてるつもりではありますが、私、どちらかと言えば書き言葉のほうが得意ゆえ、この場を借りまして常日頃の多大なる尽力への、心からの感謝を伝えさせていただきます。本当にいつもいつもありがとう!!!

 

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●中身について

あかんあかん。時間が経っているせいか、ずっと感謝ばかりしている気がする。もうちょっと中身のことを。

中身は……中身は……とても良かったです! 

非常に説明のしづらい親キャバのテーマのひとつに「普遍性」があるが、TOKIOでもその普遍性は通じた! という実感がある。

特に吉祥寺美術館は、住みたい街ランキング上位常連「吉祥寺」のド真ん中にあるにも関わらず、「コピス吉祥寺」という商業施設の「7階」という立地もあってか、また魅力的な場所が他にもたっくさんある街ゆえか、わざわざ、そこを目的としない限りは滅多なことでは訪れにくい場所であったように思う。

 

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だから「一生懸命準備したけど誰も人来ないかもね、まあ、しゃあないよね」という未来予想図はむしろ既定路線だったのだが、さすがに人でごった返すようなことはなかったものの、ほぼひっきりなしに、多くの方にご来場いただき、非常に好意的な感想の数々をいただいたのは嬉しい誤算であった。

 

 

その中のおひとりが吉祥寺の本屋さん「BOOKSルーエ」の店員・花本武さんで、今現在、BOOKSルーエ階段ギャラリーにてスウィングの展示をさせていただいているのだから、縁というのは不思議なものである。

 

「まともがゆれる」刊行記念展示「まともをカッとばせ!『スウィング』フルスウィング」展

 

 

また、ほぼ丸投げになってしまうが、やはり来場者のおひとり、逸見さんという方が超詳細且つ素敵なレポートをnoteに書いてくださっているのでここに紹介させていただきます。

 

→【イベントレポ】「親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO」東京展

→【イベントレポ】「親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO」東京展

 

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さらにさらに、会期2日目に開催した満員御礼トークイベントのレポートは、マジェルカスタッフTさんが思いたっぷりに、そして速攻で書いてくださったのでぜひぜひ読んでください。またも(今さらIKKO風に)丸投げ〜!

 

→ドキドキ♡SWINGトークショー

 

 

このトークイベントの直前、吉祥寺で決行した感動的な「ゴミコロリ」(正確には「プチコロリ」)の様子はこないだ僕が書きましたので、未見の方はご一読ください(やっと自分で書いたか……)。

 

→第63回プチコロリ 〜ゴミブルーとゴミイエローの初対面〜

 

2018年度の親キャバ巡回はこの東京展にて終了。2019年度は春、鳥取展(鳥取県下2ヶ所を巡回)からスタートし、その後は東北でできないかなあ、ほんでその後は愛知でできないかなあと現在、模索・調整中である。

 

 

親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO 鳥取展

●会 期:2019年4月4日(土) → 5月6日(月・祝) 10:00 → 16:00/土日祝は17:00まで/水曜休館

●会場1:くらよしアートミュージアム無心 鳥取県倉吉市魚町2540-2

●会場2:MIRAI ART GALLERY 鳥取県倉吉市駄経寺町212-5「鳥取県立倉吉未来中心アトリウム」内

●共 催:あいサポート・アートセンター

 

トークイベント開催(要・事前お申込み)! 

●日 時:2019年4月20日(土)14:30 → 16:30  

●会 場:レストラン&カフェ白壁倶楽部 鳥取県倉吉市魚町2540

●出 演:木ノ戸昌幸(NPO法人スウィング)・坂田佐武郎(Neki.inc)・蛇谷りえ(うかぶLLC)

●参加費:ワンドリンク制(ドリンク代はご負担ください)

●お申込:あいサポート・アートセンター 鳥取県倉吉市魚町2563 

Tel:0858-33-5151  Fax:0858-33-4114

Mail:info.artcenter@ncn-k.net 

Web:https://art-infocenter.jimdo.com

 

親の年金をつかってキャバクラ 鳥取展(巡回展)

●会 期:2019年5月10日(金) → 5月19日(日)10:00 → 18:00/5月13日(月)休館

●会 場:とりぎん文化会館・展示室 鳥取県鳥取市尚徳町101-5

 

 

それでは皆さま、春爛漫の鳥取でお会いしましょう!

 

木ノ戸

| 親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO | 13:47 | comments(0) | trackbacks(0)
第123回ゴミコロリ

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歴史ある由緒正しき地域、京都・上賀茂。

閑静な住宅地に京野菜を育てる畑が混在しています。

 

ん? 上空に何やら白い物体が。

 

 

これね。

 

どうやら近くに落ちたようだ。気になる、どーしよ…。

そうだっ! 今日は毎月一度のあの日だった!!

 

はいっ! というわけで去る1月16日(水)、「第123回ゴミコロリ」を実施しました。

2019年一発目、謎の飛来物探しも兼ねて上賀茂地域を3グループに分かれて実施してまいりました。

 

そのうち、北-2エリアと北-1エリアの様子をご覧頂きます。

まずは、北-2エリアいってみよう!

 

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真ん中の女性は韓国からの参戦、テンテンさん。

 

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そしてお馴染み、楢崎さんご夫妻(最近スウィング内では父・母と呼ばれてはります)。

みなさん、よろしくお願いしま〜す。

 

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はい、いつもの上賀茂児童館前の公園。

子どもは風の子、園児が走り回って遊んでます。

 

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ゴミブルー、何やら怪しげな動きでこどもを喜ばせようとしています。

が、微妙な反応。

 

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ギャラリーも増えたところで、ゴミブルー2人が漫才で子どもたちを笑かしにかかります。

ゴミブルーと子どもたちの心はつながってるんです。

 

ブルー(blue)がふたり(two)だけに、ブルートゥース(Bluetooth)でね。

 

しかししかし、やっぱり微妙なリアクション。

ここ京都は大阪ほどではありませんが、やっぱり同じ近畿圏内。

笑いのレベルは高いです。近畿のキッズたち、恐るべし。

 

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あれ? 落し物かな?

あの飛来物ではなさそうやし…。

 

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あっ、君のかい? …って、目すら合わせてくれへんやん。

 

漫才もうけず、目も合わせくれずで、がっくし肩を落とし公園を後にします。

 

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おっ! 畑にペットボトル!

いっとけ、いっとけ!!

秘技繰り出して、気持ち上げてけ!!

 

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はいっ、出ました!

上賀茂の地に古くから伝わる、仲間との信頼関係が欠かせない伝統の技!

伝統と信用の積み重ね「秘技! 田んぼゴミ扇取り!!」

 

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惜しい…。

 

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伝統的な技がダメなら革新的な技で攻めます!

全身から吸い込んだ大量の空気を靴の裏に吹き込み続けることで浮上させる「秘技! ホバークラフト取り!!」

 

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やや浮遊力弱めですが、省エネです。

 

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はい、大成功!

 

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「そんなバナナっ⁉」

 

デスコロさん(デスコロイヤーXL)、ゴミブルーの秘技はイカサマちゃうかと疑っています。

 

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秘技とはこういうものだと、実践します。

 

「秘技! ゴミゴロリン取り!!」

 

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なんかギリギリって感じ。

手も畑にinしてたしね。

 

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この辺りはボーナスステージです。道路も…

 

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水路もゴミが多いです。

 

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それにしても楢崎父、体が柔らかいです。わざわざ柵を乗り越える必要なし。

 

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「第102回ゴミコロリ」で生まれた「秘技! アンドリュー・ベニンテンディ取り!!」を自分のものにされてます。

 

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あれはひょっとして例の飛来物か?

さぁ、どの秘技で来る?

 

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「ホバークラフト取り」か?

 

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「ギャートルズ取り」か?

 

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…何?

 

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何? 何? 新技やん!!

 

一見、ブロックとフェンスの隙間からマンション敷地内を覗き見しながらコロる「秘技! ピーピング取り!!」かと思いましたが、どうやら違うようです。

 

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これは、左右横の動きだけで、敵(ゴミ)を攻撃し倒していく…

 

 

「秘技! スペースインベーダー取り!!」じゃないですか!

上の画像を見て「インベーダーゲーム」のことかと思ってらっしゃる方も多いかもしれませんね。

 

細かいようですが「スペースインベーダー(Space Invaders)」とは、株式会社タイトーが1978年(昭和53年)に発売したアーケードゲームのことをいいます。これを初めとする同社の後継製品や、また他社製の類似商品・模倣品を総称してインベーダーゲームと呼ばれているようです。

 

ま、どうでもいいですが…。

 

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さすが、軽快な動き。

 

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そして、片手だけで全体重を支える腕力。

見事です。

 

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でも、いっつもあとちょっとなんです…。

コロったものもどうやらあの飛来物とも違うっぽいし。

 

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じゃ、あれはどうコロる?

 

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なるほど、そうきたか!

 

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「秘技! パーマン取り!!」か。

地面スレスレで浮いているので畑にinしてないんです。

 

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あ、いやだから…そういうところ。

あとちょっとなんですって。

 

 

先ほどとはまた別の水路。

 

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みんなで力を合わせてコロリます。

 

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時にはひとつのゴミを取り合うことだってあります。

それだけ一生懸命なんです。

 

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これは幻の秘技ではありませんか⁉

第108回ゴミコロリ」で地味〜に生まれた「秘技! 分身取り!!」

 

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今回は水上からと水の中からとで協力してコロリます。がんばれ!

 

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お見事! 「グッコロ(Good CORORI)」です。

 

それにしても、あの飛来物の行方はわからぬまま…。

北-1エリアの人たちに期待しましょう!

 

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てなわけで、こちら北-1エリア。

こちらのグループにはお馴染みのくみさんにワタナベさん。そして前回に引き続き孫さんがお店の従業員の方といっしょに参戦して下さってます。よろしくお願いしま〜す。

 

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みんな〜、ノッテるかい?

 

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はい、ブランコに乗ってます。

なんでだろうゴルゴ、ブランコに乗ってるのにブランコ感がないのは…。

 

むしろこっちに近いね。

 

 

宙吊りで、上空からゴミをコロるのかな?

そういえば最近のジャニーズはよくライブでワイヤーに吊られて宙を舞ってるみたいだよ。

上の写真の人が誰なのかはもう僕にはわかりませんが…。

 

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シッシー、最近よく撮影任されるね。

ひょっとしてワイヤーに吊られながら撮影してるの?

 

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なんだ、「秘技! お山の大将撮り!!」か。

ちょっと前回から「秘技」多用してるねシッシー。撮影に自信がないのかい?

 

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それにしてもみなさん、頼りになる助っ人です。

 

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あれ⁉ ひょっとして例の飛来物では?

 

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ゴルゴとゴミマスクさん(ユート・ザ・ゴミマスク)が力を合わせて〜…

 

ん???

さっきの宙吊りといい、この背中合わせの感じといい、これってまさかあの人たち意識してるんじゃない?

 

 

KinKi Kids?

 

この辺りはジャニーズに興味ない僕でもわかります。

ってことは、謎の飛来物の正体はひょっとして…

 

 

ひび割れたビー玉???

 

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って、「ドラゴンボールかいっ!!」

すみません。年末の件(くだり)引きずってます。

 

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2019年一発目、ご覧のとおりなかなかの収穫でございます!

 

西-1エリアの方にはスウィングみんな大好きうたちゃんと、実習に来ていたひまちゃんが参加してくれていました。

うたちゃん、また来てね。ひまちゃん、実習初日いきなりのゴミコロリ、お疲れさま!

 

続きまして、「ゴミコロ支部」の皆さんからの報告をご紹介します! 

では、ご覧ください!

 

 

【京都/西山ケミックスさんからのゴミコロレポート】

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今月は小雨が降っていたため、 社内の清掃を行いました!

 

 

【愛知/ヨナワールドさんからのゴミコロレポート】

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新年明けましておめでとうございます。寒さも厳しくなり、本格的な冬の訪れを感じる頃となりました。 さて今年最初のゴミコロリ、晴天に恵まれ暖かい日の光を体に受け、メンバーさんにも笑顔が溢れていました。相変わらずゴミはちらほら、隅っこにはたっぷりとあります。「今年は暖かいね、けどやっぱり寒いね」と言いながらゴミを拾いました。

 

 

【神奈川/NPO法人新さんからのゴミコロレポート】

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1月23日(水)に『横浜支部 第6回ゴミコロリ』を実施しました。 1月とは思えないくらい温かい日で、施設からJR磯子駅までの往復とJR磯子駅前で実施しました。

 

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新しいマスクで久々に登場した『ヤッチャンイエロー』に加え、新しく仲間入りしたタイガー??? 『コロ・カキドン』怪しい仮面の『アーイエロー』、『ゴミコロリの旗』も登場しました。 缶やペットボトルは少なく、バス停や横断歩道のそばに煙草の吸殻がたくさん落ちていました。

 

 

【兵庫/casaそらさんからのゴミコロレポート】

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2019年 ゴミコロリ初め! 朝、太陽がちらっと雲間から見えたあとはどんよりの曇り空。なんとかお天気が持ってくれるといいなとの思いがあり、珍しく少し早めに海岸へ。 車をとめて準備していると近藤ファミリーがやってきて、浜におりると向こうから梅ちゃん親子がとことこ。 口々におめでとーと言い合いながら、新しい一年の始まりが海なのも素敵だなあ。初参加のパパさんたちにゴミコロゼッケンをつけてもらって、軍手とトング、ゴミ袋を持ってなんとなくペアになってゴミ宝探しへとそれぞれ散らばっていく。 2回目とは思えないほどの速やかさ…笑。 少し遅れてうちの主要メンバー、高橋ファミリーも合流、さらにそのあと、丸ちゃんもやってきてくれ、今日も賑やか。 みんな散らばって行ったし、そろそろ私も始めようと思っていたら、向こうから梅ちゃん親子が戻ってきて「娘が…ピンクレンジャーになりたいって聞かないんですよ…」笑 「まじか…180センチ対応。どう見ても5歳児には…」ごそごそ… 開けてみるとスカートがある「!」 ピンクのかわいいジャンパー着てるし、この上にスカート!ありじゃん!ってことでスカートをはいてもらうと…ぶかぶか。「あ!ベルト…」ベルトで強引に留めて。マスクも被りたいって言うから、被せてみたら!…かわいいピンクレンジャーができちゃった❤︎

 

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ピンクレンジャーはご機嫌を取り戻し、ゴミコロメンバーの救援活動にあっちこっち走り回って大活躍!でした。 ただし呼ぶ時は『ピンクレンジャー!』と呼ばないと来てくれませんが…笑 そんなこんなしているうちに今日も様々なゴミが集められ、みるみるゴミの山が… 大物狙いの子どもたちをよそ目に小物狙いの私は、環境についても詳しい丸ちゃんと小石や海藻に混ざって存在する小さなプラスチックゴミを拾い集め、この小さなゴミたちが海の生き物に及ぼしている影響について子どもたちに知ってもらいたいんだよね〜とか…ぶつぶつ。 ふと、丸ちゃんの手に乗ったそれらの小さなものたちの可愛さに「きゅん❤︎」 「あ…これで作ればいいじゃん」って、訳で今年は海ゴミコロリ収集物でアートします❤︎

 

 

支部のみなさん、お疲れ様でした!!

 

2月です。いよいよプロ野球各チーム、キャンプが始まってますよね。まだまだ寒い日が続きますが、この時期から体を作って開幕を迎え、シーズン通していいパフォーマンスをするために必要なことなんですよね。そう、寒いからって家に籠ってばかりじゃいけないんです。1年通していいゴミコロリができるように、この時期のゴミコロリが重要です!

 

「ゴミコロリ」に賛同し、ともに「ゴミコロリ」を行ってくれる個人&団体さん(ゴミコロ支部)随時募集中! 「ゴミコロ支部」募集の詳細はこちらをご覧ください! →

 

そして「第124回ゴミコロリ」は明日2月20日(水)の開催です。直前になってしまいましたが、参加希望の方は担当・西川までご連絡ください!

 

→MAIL:nishikawa@swing-npo.com

 

そして本日より京都芸術センター(通称:芸セン)ではじまった「逡巡のための風景」展の連動企画として、芸セン近くでもゴミコロリを行います。こちらは申し込み不要です! 

 

○集合時間:12時45分(実施は13時より90分から120分)

○集合場所:芸センエントランス

○準備物:特になし(軍手、火バサミ、ゴミ袋等、スウィングより持ってゆきます!)

 

…でお願いいたします!

 

町に溢るるゴミある限り、我らの戦い終わりなし。

拾うはゴミでも心は錦、見た目は青でも心は真っ赤。

嗚呼、さすらいのゴミ野郎、 嗚呼、我らゴミコロレンジャー!

 

(西川)

| 【OYSS!】清掃活動「ゴミコロリ」 | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0)
そのマリオの弟は違う

 

僕はゴルゴがまあまあ好きだが、自己アピールの度が過ぎるところなど、あまり好きではないポイントも多い。同じく僕はアッキーがまあまあ好きだが、ああ今日も声がデカい! ああ今日もそうちゃんに過干渉している! とかイヤだなあと感じること、頻繁である。誰かを好きということは、イコールその人の全てが好き! ということではないのだと思う。(付き合いが深くなればなるほど)嫌だなとか、苦手だなとか感じるところが1つもないことのほうが不自然だし、「この人の全てが好き!」なんて言葉の中にはウソや偽善の匂いを感じてしまう。即ち、無理して人の全てを好きになる必要なんてない。たとえば僕はゴルゴとアッキーがまあまあ好き。

 

そしてゴルゴとアッキーも客観的に見て、それほど仲が良いというわけでもなく、まあ、ほどほどの付き合いをしているように見える。いや、ゴルゴはアッキーのことが大好きなようだが、アッキーはそれほどでもないらしく、以前にはこんなエピソードもあった。

 

2018.04.27 Friday:図々しさと正直さと傷つきやすさと

 

 

さて、ある日の昼休み。ゴルゴがアッキーに「知らんやんな〜?」というちょっと意地悪な雰囲気を漂わせながら、ある質問をする。

 

 

「アッキー、スーパーマリオって知ってる?」

 

 

……ダサい質問やなあ、おい。しかしゴルゴのいやらしい雰囲気を敏感に感じ取ったらしいアッキー。いつもよりも一層デカい声で「知ってるよ」と答える。そんなん常識やん。何? 僕が知らんとでも思ってたん?

 

 

するとゴルゴ、疑いの眼差しを露骨に向けながら「ホンマに知ってる?」としつこくもう一度聞く。少し腹が立ってきたらしいアッキーは「知ってるよ!」 とさらに強い調子で立ち向かう。

 

 

「じゃあ、マリオに弟がいるの知ってる?」 

 

 

ホントにしつこいな。勝ち負けで会話するのはやめてくれへんかな。さらに強い語気で「知ってますよ!」と返すアッキーに対し、ますますゴルゴも臨戦態勢を崩さない。 

 

 

「じゃあ弟の名前、誰か知ってる?」

 

 

……え? ……名前? ……弟がいるのは何となくおぼえてるんだけど、名前となるとちょっと。……痛いとこついて来ますね、あなた。

癪にさわるけれど(何かに)負けたわ。正直に言うわ。

 

 

「う〜ん、ちょっと分からへん……」

 

 

さあ、遂に(何かに)勝利したゴルゴ。

その態度を一気に尊大に膨れ上がらせながら、厳しいひと言をアッキーに突きつける。

 

 

 

「アッキー、知ったかぶりはあかんよ! マリオとメルー」

 

「ああ! そうか!」

 

 

誰や、そいつは!!!!! 

どこのマリオで、どこのメルーじゃ!!!!!

 

全くもって意味不明だが、なぜだかさっきよりも仲良くなった感じのふたり。「よく知っている」ゴルゴにアッキーは敬意を表し、ゴルゴもまた、「知らない」を素直に告げたアッキーに(優越感を存分に匂わせつつ)敬意を抱いているようだ。

 

必要なのは、「正解」ではないらしい。

 

木ノ戸

| スウィンギン・ドキュメント | 16:28 | comments(0) | trackbacks(0)
すぐに言葉になんてできないもの

 

心揺さぶられるものに出会ったとき、すぐにジャッジをすることなんてできない。逆に言えばすごかっただのおもしろかっただの良かっただの悪かっただの即時的に言えてしまえるものは、結局のところそれは(自分的に)「消費」の対象であって、長く自分の中にとどまるものではないような気がする。

 

現在、京都造形芸術大学を舞台に開催中の「2018年度京都造形芸術大学 卒業展/大学院修了展」。今年もその広報デザインは坂田佐武郎氏によるものだ。そのビジュアルを最初に見たとき、僕はほとんど何も言うことができなかった。 たぶん猫で言えば、グルル……と短く喉を鳴らした程度の反応であったと思う。良い悪いではない。とにかくそれは僕の中に強烈に残り続け―もちろん今も残っている―、結果としてそのデザインを抗いがたい入口として、数年振りに卒展へと足を運んだ。都合により短時間しか滞在できなかったが、ずっとずっと、もっともっと、半年くらいやり続ければいいのに! と思った。最近、いろいろな物事のサイクルがものすごく短くなっているように感じるのは気のせいだろうか。

 

 

今夜、ロームシアター京都にて明日明後日と上演される『はじめまして こんにちは、今私は誰ですか?』のゲネプロダクションを観賞させていただいた。「この舞台、観に行きたい! でも次の日、3時起きで沖縄出張だからちょっと無理かも……」と駄々をこねていると、縁あって「観に来ませんか?」というお誘いを受けたのだ。僕には(僕にとって)つまらないものを目にすると、たとえ劇場の最前列であろうが、どんな著名人が目の前にいようが、「寝てしまう」という大変不届きなクセがある(つまらないわけではなく、あまりにも心地良い場合に寝てしまうこともある)。一緒に行ったあちゃみちゃんは寝てしまったらしいが僕は一睡もすることができなかった(……何を言っているのだ?)。そして終演後、すぐに感想を口にすることもできなかったし、誰かに聞かれたらやだなとも思っていた。劇中、倉田翠さん(演出・出演)が「楽しいからではなくって踊らなければならないから踊っている」と、アドリブだかセリフだか分からない調子で語っていたのに痛く共感した。僕も己の行動を本気で喚起するものは「〜したい」ではなくって、もっと切実な、ほとんど不可避な「〜ねばならない」だと考えている。

 

 

ちなみに今日の昼間、我々スウィングへっぽこ役者勢は、オール上賀茂ロケである撮影を行っていた。様々なシーンをアドリブ的に撮っていったが、恐らく踊らなければいけない理由は何ひとつないゴルゴは、上賀茂神社の真ん中でひとり楽しそうに踊っていた(いや、お願いして踊ってもらったのだ)。

 

先日、椹木野衣さんのお話を聴く機会があったのだが、「すぐに感想を言わないようにしている。ていうか言えない」というようなことをおっしゃっていて、強烈に勇気づけられた。僭越ながら「ですよね!」と思ったのだ。以前にも似たようなことを書いた気がするが、例えば僕の話を聴いてくれた学生に「人生観が変わりました」なんて即座に言われてしまうと、「そんなのたったの1時間で変えてんじゃねえ!」とか思ってしまう。とか言いながら椹木さんの言葉の数々は鋭く深く突き刺さり、人生観とまでは言わないものの、「何かの観」が変わってしまったような気がする。

 

心揺さぶられるもの、すぐに言葉になんてできないものが、必ずしも自分にとって快いものだとは限らない。快、不快という区別を越え、自分にとっての本物であったならば、それは否応なく自分の中にとどまり続け、新たな自分を形作る……いや、本来の自分へと帰るための、骨肉となるのだろう。

 

木ノ戸

| 考えごと | 01:43 | comments(0) | trackbacks(0)
【寄稿】救う人、救われる人/稲垣えみ子

 

僕の十代は、激しい自意識と葛藤と心身の異常にまみれた地獄のような日々であった。

だから僕に、青春なんてなかったと思っていた。ゼロ青春、来世に乞うご期待。

何の後悔もないし(しようがないし)、それはそれで仕方がなかったのだが。

でも、稲垣さんに、思いがけず「青春」という言葉を与えてもらって、僕は声を上げて泣いてしまった。

これは何という贈り物だ。僕は何て素敵なものを食らわされてしまったのだ。

 

このたび朝日出版社から刊行された『まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験』に寄せていただいた稲垣えみ子さんの文章をここに転載させていただきます。僕の青春はさておき、素晴らしい文章です。予定では3月8日(金)に稲垣さんに会うことになっているのですが、シラフでは絶対に会えないことをここに固く誓います。

 

木ノ戸

 

※ 3/8トークイベントは定員に達したため、受付を終了しております。

 

 

【寄稿】救う人、救われる人/稲垣えみ子

 

この本を読んで、いろんな感想を持つ人がいると思う。  

面白かったとか、笑えたとか、救われたとか、癒されたとか。もちろんそれは全部その通りなのだ。何しろこの本に登場する愉快な人たちの愉快なエピソードには、その全てが間違いなくみっしりと詰まっている。でもきっと、もっとこう、なんというか、そういうわかりやすい言葉だけでは言い表せない、何かずっしりとしたものを感じた人もいるんじゃないだろうか?  

私は、そうだった。  

なぜならこの本には、私が今切実に求めている、これからの長い(短いかも知れないが)「老後」を生き抜くための知恵が詰まっていたのだ。  

私は心の底からナルホドと思い、そして明るい希望を持った。  

……え、だからなんなんだって? ハイ、もちろん誰もが老後に悩んでるわけじゃないでしょう。ですが人の切実な行き詰まりとは、対象はどうあれ案外とその原因の根っこは同じだったりするんじゃないだろうか。  

なので、全くの私事になり恐縮だが、そのことについて書いてみたい。  

 

ここで少し自己紹介をすると、私は今53歳である。バブル時代に大学を出て大手新聞社に就職。伝統ある大組織で働く苦労はそれなりにあったにせよ、時代にも人にも運にも恵まれすぎた人生であったと思う。ところが次第に世の様相が変わってきた。景気は悪くなり、会社も先行きが見えなくなった。人は減り、仕事は増え、将来の打開策もない。なんだか、それまで当然のように思い描いていた幸せってものがどうも少しずつ遠のいていく感じであった。とはいえ今すぐ会社が潰れるわけじゃなし、まあギリギリこのまま一生逃げ切れるか……などとぼんやり考えていた。そんなナメた中年であった。  

 

ところがどっこい。そうは問屋が卸さなかったのである。  

50を前にしたある日、我が世をひっくり返す事件が起きた。母の突然の病が発覚。しかも母はなんとあの、現代人の誰もが恐れる「認知症」になってしまったのである。  

慌ててニワカ勉強をした我が家族は、本人がどんなにおかしな行動をとっても責めたり問い詰めたりせず受け止めることが対応のコツと知り、そのように努力した。それが奏功したのか、母はいわゆる問題行動を起こすことはほぼなかった。でもそれは表面上のことで、誰もが心に絶望を抱えていた。  

おしゃれで頭が良くて、何事もキッチリしていた母。その母が確実に一つずつ「ダメ」になっていく。手は震え、服装は乱れ、背中は曲がり、歩くことも食べることもうまくできなくなっていく。私はそのことが許せなかった。大好きな母が母でなくなっていくことが怖かった。でも誰より母自身が絶望していたのだと思う。だって、おしゃれも、お料理も、人より努力して、人よりも上手くできることが母のプライドだったのだ。それがいきなり、努力が通用しない世界に放り込まれたのである。何をやっても人より「劣っている」のである。そして「劣っている」ことは増えていく一方なのである。母は人前に出ることを嫌がるようになった。説得して外に連れ出しても、知っている人が近づいてくると気の毒なほど全身を硬くして緊張していた。母は自分を恥じていたのだ。スポーツクラブもやめ、髪を切りに行くのも歯医者に行くのも抵抗するようになった母は、家で居眠りばかりするようになった。そしてますます縮んでいき、周囲を悲しませた。  

 

我々は何と戦っていたのだろう。  

もちろん全ては病のせいである。でも本当にそうだったのだろうか。  

そうじゃなかったのだと思う。我々の巨大な敵は我々自身であった。我が家族は「できなくなること」「失っていくこと」への備えが全くできていなかった。それはダメなことだという価値観を信じ切って生きてきた。一生懸命勉強し、働いて、就職し、家を買い、子を産み、子を一流大学に入れ、老後も趣味や付き合いを絶やさず、前へ上へと日々頑張っていた。それが両親の良き人生であった。そしてその子供も価値観を疑うことなく生きてきた。しかしそれは、母の病により一瞬にして暗転したのである。  

動きたがらない母に、我々家族は、頑張って歩こう、できることはやろう、脳トレ頑張ろうと繰り返し言う。だが母は悲しそうにうなずくだけで動こうとしない。そしてある日、そんな耳タコの励ましを受けた母は顔をしかめ、悲しそうに言った。「年を取っちゃいけないの?」  

一瞬の沈黙。いや、そんなことはないんだよ。でもさ、ちょっとでも元気でいて欲しいからさ……と言いつつ、ああそうなのだと思う。母の言う通りなのだ。我々は母が「年をとること」が許せなかったのだ。  

認知症とは急速な加齢である。加齢を止めることはできない。そのシンプルな事実を我々は受け入れることができなかった。いちいちギョッとして、その進行を少しでも遅らせたくて、母を叱咤激励する。でも考えてみれば、それは母の存在の否定以外の何物でもないではないか。それでも「頑張れ」と言ってしまうのはなぜなのか。「できない」という現実にただただ肩を落としてしまうのはなぜなのか。そんなふうに、周囲の人に「肩を落とされ続けて」、つまりは期待を裏切って生きなければならなかった母の悲しみを思うと泣けてくる。  

で、私は遅まきながら考えたのである。  

できないこと、できなくなること。それは本当にダメなことなんだろうか? 阻止しなければならないことなんだろうか? もしそうなら我々はどうやって歳をとっていけばいいのだろう。歳をとるということは「できなくなること」の連続である。その度に敗北感に打ちひしがれ、絶望のうちに死んでいかなくてはならないのだろうか。  

逃げ切れるだって? そんなナメたことを言っている場合ではなかった。ふと気づけば、私にも老いは他人事ではない。というか、すでに私も老いの入り口に立っているのである。  

ことここに至り、私は心から決意した。  

何としても自分を変えねばならない。価値観を変えねばならない。「失っていくこと」は敗北ではない、「できないこと」は惨めではない、っていうか、むしろ楽しいかも……などと考えることはできないだろうか? いやわかっている。どう考えても無理がある。だがいくら無理であってもこの転換はどうやったってやり遂げねばならぬ。そうでなければこれからの我が人生は地獄である。

こうして私の独自の戦いが始まった。  

50歳で会社を辞め、溜め込んでいたモノもほとんど手放した。まずは奪われる前に自ら失う作戦である。こうして「楽しく閉じて行く人生」への迷走が今も続いている。  

 

で、この本は、まさに「失った人」「できない人」「回復することのない人」たちの物語なのであった。  

その名を「障害者」という。  

しかし読み進めるうちに、そもそも障害って何だろう?ということがわからなくなってくる。つまりは、できないとは何だろう、できるとは何だろう?と混乱してくるのである。  

そのくらい、彼らのエピソードは愉快なことに溢れているのだ。  

なぜだ? なぜなんだ?  

実はあまりのことに、まだちゃんと頭が整理できているとは言えない。なので、なんとか理解できたことを理解できた範囲で、箇条書きにしてみた。  

 

_罅垢篭垢せ廚すみで自分たちを縛っている

「健常者」の物語が全部愉快ってわけじゃないのと同様に、「障害者」の物語が全部愉快ってわけじゃない。じゃあなぜこの本は愉快なのか? それは、彼らのいる「スウィング」という場所が、「できない」ということにこだわっていないからである。こだわらなければ敗北も失敗もない。そしてこだわらないだけで、なぜか「できる」がどんどん増えてくるのである。仕事が生まれ会話が生まれ笑いが生まれ詩が生まれ絵が生まれ……っていうか、これって考えてみたら、人生に必要なことの全てじゃないですか? だとしたら、できるとかできないとかって一体何だったんだ?  

というか、おそらく我々はいつだって「できない」ことをなくすこと(そんなこと本当はできるわけないのに!)にこだわりすぎて、そこに尽きることのないエネルギーを注ぎすぎて、「できる」ことをほったらかしにしているのだ。いやいやいや思えばどれだけ無駄なことをしているのだろうか。そして、今度はそんな余裕のある心で「できない」を改めて見てみると、「できない」はダメなことでも無くさなきゃいけないことでもなくて、いやもちろん「できない」という事実には全く変わりないのだけれど、なぜかほとんどチャーミングと同義語になっていたりするのである。  

 

△金に支配されるな  

ああならばなぜ我々は、できるとかできないとかにこだわってしまうのだろう。そのことも、この本にはちゃんと書いてある。全ては「お金を上手く儲けられるかどうか」ということなのだ。それが「できる」と「できない」(ひいては「いい」と「悪い」)を分けているのである。  

改めて考えると、お金はもちろん大事だけれど、所詮は道具だ。  

人が幸せになるための道具の一つ。それだけのこと。ところがその道具が、いつの間にやら我が物顔に人の「価値」まで決めてしまっているんである。で、我々自身もそれを当たり前のことのように認めているんである。で、その価値が低いと決めつけられた人の人生を暗くしたり窮屈にしたりしているんである。で、我々自身もいつその「人生を否定される側」に回りやしないかとビクビクしているのである。それってどう考えても変だよね?  

ナルホド。いや言われてみれば本当にそうである。  

 

思い込みを捨てたら世界は爆発的に広がる  

そして愉快なのは、この、お金が支配する「できる」とか「できない」とかを取っ払った途端、ガチガチにみんなを縛っていたロープみたいなものが緩み、いろんなことが爆発的に生まれてくるらしいのである。イライラは笑いに、無用な緊張は明るい熱意に、敵は友達に変わり……いやそんな理屈を並べるまでもなく、この本に地雷のごとく散りばめられた詩を読めばもう誰も何も言えないよ! だってこの、どんなにカタクナな人の心のガッチガチの栓をも有無を言わせずプシュウと抜くような、破壊的なパワーに溢れた「障害者」のポエムと言ったら!  

正直なところ、私は猛烈な嫉妬を覚えた。一体全体、私にもこんなものが書ける日が来るんだろうか? そんな気がしないのは、私がどこまでいっても力みかえっているからである。小賢しく「できる」世界にしがみついているからである。力を抜くことこそがクリエイティブの肝とわかっちゃいるのだ。わかっちゃいるんだが「健常者」である私は考えすぎて力を抜けないのである。そう「健常」が「障害」になっているのだ!  

いやもう、訳がわからない。全くわからない。でも、少なくとも老いていろんなことができなくなっていくことを恐れることなんてないんじゃないか? ただ胸を張って「できない」を受け止めればいいのだ。だってその時こそ私にも本当のクリエイティブがやってくるかもしれないんである!  

 

ぅ瀬瓩覆海箸魯瀬瓩犬磴覆  

……と、私はなんだかよくわからないながらもすごい希望を持った。  

でも同時に深く落ち込みもしたのである。母の「できない」を認められなかった自分の小ささ、狭さがもたらした罪を改めて考えざるをえなかった。思えば母にもできることはたくさんあったのだ。ユーモアもあったし、嬉しいことがあった時の心が漏れ出したような笑顔は元気な時をしのぐパワーがあった。くちゃくちゃになった服の山の中から一生懸命カッコイイ服を取り出そうとする根性もすごいものがあった。ああそれを一緒に面白がって楽しむことがなぜできなかったのか? もしそうしていたら母の晩年はどうなっていただろう。しかし母はもういないのである。  

ああ本当にダメな私であった。全ては私の弱さである。  

でも、ならばその弱さからスタートするしかないのだ。  

 

この本の著者である木ノ戸さんがすごいのは、そもそもできるとかできないって何だろうね?というところからスタートしたことだと思う。でもそれには理由があって、木ノ戸さん自身が「できることがいいこと」という常識にサンザン苦しんできた人だからなのだ。ついには体に変調まできたす事態となり、もがきにもがいて現在の「スウィング」をつくったのである。  

つまりはこの本は、スウィングに集う人々の非生産性、非効率の極致、そして予測不能なぶっ飛んだ行動に、時にイラつき、いやもう勘弁してよと心の中でツッコミを入れつつも、いや……もしかしてそれってそもそもアリなんじゃ? しかもよくよく考えるとなんか笑える!なんて総括しながら、縮こまりそうになる心を風にさらし、もつれすぎて絡まった糸を少しずつ解きほぐしながら、なんだ大丈夫じゃん! これでいいじゃん! いやむしろこっちの方が良かったりするんじゃ?と、どんどん自由に、身軽になっていく木ノ戸さんの青春の記録でもある。つまりは木ノ戸さんの「弱さ」なくしてスウィングはなかったのだ。というか、自分をサンザンな目に合わせやがった常識とやらをフンサイしてやるために障害者を利用しているんじゃ……つまりは、木ノ戸さん自身が「障害者」に切実に救われているんである。  

 

なるほどそういうことか。  

弱くていいのだ。ダメでいいのだ。ダメだから人に救われるし、救われたら人を救おうと思うのである。こうしてダメがダメを救っていく。世の中を回しているのはお金じゃなくて「ダメさ」「弱さ」であっていいんじゃないか。  

というわけで、私も詩を書いてみました。  

 

愛が地球を救う  

んじゃなくて  

ダメが世界を救う  

 

ああ小賢しい。恥ずかしい。しかしこれが今の私の限界である。まずは自分の弱さを世界に開くところから。ですよね?

 

 

稲垣えみ子(いながき・えみこ)

1965年愛知県生まれ。87年朝日新聞社入社。論説委員、編集委員を務め、原発事故後にはじめた「超節電生活」を綴ったアフロヘアの写真入りコラムが話題となる。2016年に早期退職し、現在は築50年の小さなワンルームマンションで、夫なし、子なし、定職なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしの「楽しく閉じていく人生」を模索中。近著に『人生はどこでもドアリヨンの14日間』(東洋経済新報社)『レシピがいらない!アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)など。

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